文╱中国の大法弟子
【明慧日本2018年1月28日】明慧ネット2018年1月3日に掲載された『真相定期刊行物の製作教程』を読みました。ここでは真相資料を製作する際、修煉者の心理状態について話をさせていただきたいと思います。
真相定期刊行物の紙面が2段組みに変更されてから、私は2段組みの定期刊行物を作り始めました。その後、明慧ネットに発表された同修の文章では、定期刊行物の表紙を光沢紙にするようにと提案されていたため、それがとてもいい考えだと思い、光沢紙を使って表紙を印刷するようにしました。毎回新しい定期刊行物が発行された時、私はまず表紙のデザインを確認し、もし周りに余白がなければプリンターを「ふちなし印刷」に設定して、表紙を別に印刷するようにしました。
編集する同修はとても大変だと思いました。特に『九死に一生』のような画報の場合、すべての挿絵の人物の表情がとても生き生きと描かれ、毎回印刷しながら定期刊行物や画報を読むと、挿絵に込められた編集する同修の熱意に心を打たれました。師父は私達に何事も必ずしっかり行うようにと教え導かれました。そのため自分に厳しく、自分が担当している部分をしっかりと行い、印刷の質をしっかりチェックし、すべての真相資料にできるだけ明慧が編集した本来の効果が出るように心がけました。
明慧定期刊行物の発行に協力できるかどうか、それも修煉の一環だと理解しています。私は、人を救う中、どのプロジェクトのどの部分でもそうですが、自ら担当している部分をしっかり行い、全体の協調の中で、最高の効果を出すようにしなければならないと思いました。
また、あるスーパーで1冊の真相定期刊行物が置かれているのを見ました。その資料の表紙は光沢紙を使っていましたが、「写真印刷設定」も「余白なし設定」もされておらず、見た目には印象が薄く、あまり目立たないように感じました。同修達が苦労して編集したものが、私達の最後の工程でその効果を弱めていました。
調査によると、地元の一部の同修は家で資料拠点を長く運営していますが、定期刊行物の表紙に余白が必要かどうか、それすら気に留めたことがないようです。いつも、新しい週刊や定期刊行物が発行されると、ただダウンロードして印刷し、以前の定期刊行物や特別号を勝手に「処分」するそうです。実は明慧特別号はすべて共通して使えますが、一部の特別号(原版)は時期によって更新はありますが、いつでも使えます。例えば、明慧特別号「2014年版」の場合、『一生で、何回騙されるのか』のタイトルは、とても注目されますが、実はその内容はすべて『共産党についての九つの論評』、『党文化の解体』から引用したもので、ただ内容が要約され、さらに多くの漫画を活用し、中国共産党の邪悪さが一目で分かるように編集されたもので、一般市民にとても好評です。
一部の同修はまだ「受動的」(プリンターに似ている)な状態に留まっているように見受けます。真相資料を製作する際、私たちは印刷の品質をしっかりチェックする他、印刷材料の選択や組み合わせなどにも気を配らなければなりません。なぜなら、明慧が発表した真相定期刊行物、特別号は種類が豊富で、異なる階層、異なるタイプの人々が読みやすいように編集されているためです。
印刷の工程ではどうすれば品質を高められるかについて、同修と交流したことがありますが、その時、「人を救えればそれでいいのではないの」と言われ、同修の態度を見て、私はもうこれ以上何も言えませんでした。また、隣の県の同修と交流した時、彼女は「私も地元の同修に光沢紙で表紙を作ろうと提案しましたが、光沢紙のコストが高いと言われ、確かに印刷量が多いいし、農村に一度行くと数千部の印刷をしなければならないので、結局ずっとそのままにしていました」。それを聞いて私はまた何も言えませんでした。実は、何事に対しても本人の気持ち次第で、それはその人の発想の原点となります。「真相資料の品質はとても重要なことです。もし、1部のきれいに製作した資料が1人を救うことが出来、100部の粗末な資料で1人も救えないとなると、どちらがいいのでしょうか?」と思いました。