【明慧日本2018年2月25日】貴州省卒節市の陳碧琴さん(64歳女性)は2004年に法輪大法を修煉してから、心身とも元気になりました。陳さんは12年10月に人々に法輪功の実態を説明していた際、強制連行され、懲役4年の判決を受けました。貴州第一女子刑務所(羊艾刑務所とも呼ばれる)で迫害された陳さんは持病が再発し、それに新しい病気にもかかりました。4年間の不当な監禁生活を終えた後、陳さんは入院して一生の貯金の十数万元を費やしました。しかし持病が治らないばかりか、新しい病気に罹りました。病気だらけになった陳さんは17年4月に再び法輪大法を修煉し始めました。短い数カ月で、すべての病気がなくなり、心身ともに元気になりました。
法輪大法を修煉して心身とも元気になる
陳さんは卒節市水務会社を退職した従業員で、卒節市環北路外運站の宿舎に住んでいます。43歳に退職した当時全身病気だらけで、最もひどかったのが眼病と五十肩、両脚の膝の骨増殖症でした。発症すると非常に苦しかったのです。両目は一日中真っ赤で、痒くて、硬く、痛みました。五十肩により両手が痛んで動かすことができず、両脚の膝は写真を撮ってみると骨棘で、のこぎりの形状で、歩く時がに股になり、硬くて、痛みました。各種の薬物や、各種の治療方法を試し尽くしましたが、効きませんでした。
04年4月のある日、陳さんが苦しみながら歩く姿をみた知人が法輪功をやればよくなると教えてくれました。こうして、陳さんは直ちに『轉法輪』をもらい、法輪功の師父の『済南での説法』ビデオを見はじめました。また法輪功の五式の動作を学びました。字が識別できない陳さんでしたが、学法グループに参加して数カ月後、『轉法輪』を通読できるようになり、すべての病気がなくなりました。修煉する前、陳さんはやさしい人でしたが、また強情でした。退職する前、陳さんはほとんど毎年『模範従業員』に選ばれましたが、性格があまりよくなく、気に入らないことを目にすると怒りだし、ひいては口喧嘩をし、罵りました。嫉妬心と恨む心が強かったのです。法輪大法を修煉してから、陳さんはたくさんの高次元の道理が分かるようになり、人に優しく、嫉妬心と恨む心など多くの人心をなくし、毎日嬉しく、楽しく過ごせるようになりました。
「大法を修煉して、心身とも健康になる」という言葉は陳さんにとって、更に多く、深い意味があります。陳さんは大法の実態を伝えることを通じて、更に多くの人が疾病の苦しみから、人生の迷いから解脱できるようにさせたいと思いました。このような善良な挙動を理由に4年間刑務所で迫害され、強制的に洗脳され、三書を書くように強いられ、奴隷のように強制労働をさせられました。修煉を放棄したため、4年の刑期が終わった後、家族により病院に搬送され、一生の貯金である十数万元を費やして、手術を受け、治療を受けましたが、効きませんでした。
真相を伝えたため、懲役4年の刑を受ける
12年10月に卒節市の古いバスの駅付近で法輪功の資料を配布していた時、陳さんは人に通報され、警官により七星関区留置場へ強制連行され、7、8カ月後に市の裁判所で審判されました。陳さんは無罪を主張しましたが、裁判官は彼女が法廷に対抗したと中傷しました(裁判所は本来両方の意見を聞くべきで、片方の弁護が法廷に対抗したという説は存在しません)。撮影を担当していた警官は陳さんが人心を惑わすと言いふらしました。法廷で懲役4年と下され、翌日羊艾刑務所に送られて引き続き迫害されました。
羊艾刑務所で2年近く監禁されている間、陳さんはずっと4大隊で強制的に洗脳され、転向を強いられました。羊艾刑務所の4大隊は実は洗脳転向班であり、不当に刑を言い渡されて、羊艾刑務所に送られるすべての法輪功学習者は必ず4大隊で転向を強いられます。刑務所の1日のスケジュールはすべて決まっています。いわゆる学習の内容、転向ステップ、監視役をどう按配するかなども決まっています。陳さんは2年近く二つのことを強いられました。その一は毎日学習し、毎日宿題をやる、その二は労働の前に三書を書くことでした。
毎日行ういわゆる学習内容には、刑務所の規定、法律、法輪功を中傷する各種材料などがあります。宿題とは当日の内容に結び合わせて、警官からの要求を満たす認識、体験文章を書くことです。普段警官は顔を出さず、受刑者にやらせます。1人の法輪功学習者には2人の監視役の受刑者がつき、24時間監視します。警官は減刑を餌に監視役を操ります。それに監視役は麻薬常習犯、殺人犯、汚職などの受刑者なので、彼女らの大多数は性格が陰険でやり口も あくどいのです。ちょっとしたら、ひどく殴られ、罵られます。警官は監視役の受刑者に法輪功学習者に対して細かく監視し、厳しく監視するように要求し、法輪功学習者を殴ったり、罵ったりしてはいけないという要求を一切言いません。
刑務所で虐待され、全身病気になる
陳さんは1年か、2年しか学校に通ったことがなく、全く字が読めないし、宿題もできません。その上転向するかしないかということで監視役の受刑者に絶えず殴打され、罵られました。4大隊に入ったばかりの時、監視役は麻薬販売犯の羅沢蘭と横領犯の盧蘭でしたが、ずっと殴ったり罵ったりしていました。特に盧は一度両手で陳さんの頭を力強く殴り、陳さんの髪の毛を掴んで、壁に強くぶつけました。陳さんは両目の前で天地がぐるぐるまわり、もう少しで気を失うところでした。事後、頭全体にできものができました。一度夜陳さんはトイレに行こうとしましたが、許可をもらえず、たらいにしたところ、しばらく罵られました。盧に入れ替わったのは胡家会でした。しばらくして羅が変わったのは殺人犯の陳征琴でした。監視役が絶えず変わっても、陳さんに対する殴りと罵りは絶えませんでした。しかも時には更にひどくなり、最後には三書を書き写すように強いられ、それから強制労働を強要されました。
残りの2年ちょっとの間、陳さんは8大隊に移され、強制労働をさせられました。朝7時から夜7時まで働かせられ、お昼の食事の時間以外、ずっと靴を造り、1カ月に9元もらいました。
刑務所での長期にわたる圧力の下、煉功ができず、夜に脚を曲げて寝ると監視役に脚を引っ張られました。学法ができず、最初は監視役の視線を避けて経文を暗唱していましたが、あとになるとますます暗唱することが少なくなり、一日中洗脳され、殴られ、罵られ、さらに三書を書くように強いられて、転向を強いられました。少しずつ修煉を放棄し、完全に常人の状態に戻り、以前の持病が再発しました。特に刑務所を離れる時、目の疾病がひどく、両目が赤くて、痒く、またこぶができました。一日中目の中に大粒の砂があるように硬く感じました。五十肩がひどい時には布団を引っ張るときさえ痛みだし堪えられませんでした。両膝の骨増殖症のため、がに股になり、死ぬほど痛かったのです。監視役は病を装っていると言いふらしました。しかし、毎日の強制労働は欠かせないもので、歩けないと監視役が作業現場まで背負って行き、動けなくなり、仕事ができなくても現場まで運ばれて、そばに座らせ、かつ人と話すことは禁止されました。
再び法輪大法を修煉するとすべての病気がなくなる
16年10月に4年の刑期が満了になり、陳さんは家族に迎えられ、直ちに病院に送られて、手術を受けました。十数万元を費やして、がに股は修正できましたが、両膝に残された5、6寸の手術痕は非常に長い間、腫れて、紫色になり、快復が遅かったのです。特に医者から倒れてはいけないと繰り返して聞かされ、それが陳さんに暗い影を残し、生きることも楽ではありませんでした。眼病、五十肩も好転しませんでした。
持病がよくなることなく、また咳と喘息がではじめました。半年以上咳が続き、昼夜も咳が止まらず、漢方薬と西洋薬も効かず、しかも最も厳重な時は喘息と咳が同時に発生すると突然一瞬ショックを起こし、息が止まり、最初は心臓に問題があると思いましたが、心電図の検査をしてみたら、正常でした。1日にこのような状況が何回も発生しました。
病気だらけになった陳さんは17年4月に再び大法を修煉しはじめました。短い数カ月ですべての病気がなくなり、また初めて法を得た当初の無病で、軽やかで、心身ともに健康な状態になりました。