消極的な修煉からより積極的な修煉へ

文/中国の青年大法弟子

 【明慧日本2018年6月15日】私は最近、修煉が大きく前進でき、受動的な修煉からより積極的な修煉になりました。その過程を書き出して、以前の私と同じようなあまりよく修めていない同修の皆さんに精進できるように励ましたいと思います。

 私は小さいときから、母方の祖母によく学法グループに連れて行かれました。そのとき、同修たちが法を読んでいて、幼い私は聞いていただけでした。同修たちが煉功するとき、私も真似して煉り、同修たちが師父の説法の録音を聞くとき、私も聞きました。つまり、私は大法の環境の下で成長してきました。大法の素晴らしさはよくわかっているものの、自分を修めているか修めていないかわからない状態でした。家に同修が来たとき、母が私を呼んでみんなと学法しましたが、面子のためか、普段学法していないから久しぶりに法を読みたくなったのかもしれません。とにかく、いつも受動的でした。

 学法したとき、法理がはっきりわかって、大法の素晴らしさも感じ取りました。しかし、その時期の状態はどうも「中士」でした。心の中には「中士」の状態のままに留まりたくなかったのです。しばらく学法しないと、勉強が忙しくなったり、ネットゲームをやりたくなったり、父にも反対されたりして、一層学法に対する妨害が出てきました。それから、徐々に安逸心を助長され、次第に学法したくなくなりました。母は私をその状態から引っ張り出そうとして、私に学法するようにと言うと、なんと私のほうが先に怒り出してしまいました。私はまるで別人のように変わってしまいました。本当はその背後に悪い要素に妨害されているのを認識できませんでした。

 中学校を卒業して、高校に入りました。その年から、その高校ははじめて留学生の制度ができました。その制度を知った母は感激して涙を流し、「師父が按排してくださった。海外へ行って緩い環境で学法も勉強もできる。国内の党文化に侵されず、汚染されなくて済む。海外で堂々と修煉し、法を実証することができるね」と話してくれました。私もうれしく思いました。しかし、留学先は、私のビザの申請を拒否しました。それを聞いて、私は晴天の霹靂だと感じ、悲しかったのです。拒否された理由を悟れなかったのです。仕方なく、再度ビザの申請をしましたが、「少なくとも半年待たなければ」と仲介の人が教えてくれました。それから、待っている半年、私は同修たちと一緒に多く法を学びました。これでやっと、私はこの半年の時間が師父に按排され、法の勉強する時間だと悟りました。

 出国して、学業が忙しくなるにつれ、慣れない環境で孤独と恐怖心に襲われ、学法する情熱も段々と消えました。生活と学業の圧力で自分を放縦してしまいました。学法をしなければとわかっていますが、各方面の誘惑に負け、常人のものを追求するようになり、常人の生活に縛られ、常人と変わらず日々を過ごしました。時々、時間が過ぎ去って、学法しなかったことに後悔しましたが、改めて修煉者らしく行動をしませんでした。

 帰国して、同修は私と交流しました。しかし、私はいろいろな言い訳をし、精進していなかった事実を隠そうとしました。同修たちは慈悲な心を持って、私を励まし、法をたくさん学ぶ機会を作ってくれました。この数年、よく学法をして、その背後にある悪い要素と物質を解体しました。2017年になって、私は積極的に修煉ができるようになり、確実に「学法、煉功、発正念、真相を伝える」の意味もわかりました。帰国したばかりのとき、私は母に「友達の集まりに参加したくない。旅行にも行きたくない。家で学法をしようかな」と言いました。母は「いいことだわ。携帯電話のゲームなどで遊ばないほうがよい。できれば携帯に触らないほうがよい。テレビも見ないほうがよい」と言いました。それを聞いて、「じゃ、私は何をすれば」と聞くと、「法の勉強です」と言い返されました。私は「じゃ、法を読み終えたら」と言うと、「また、法を読む」と言い返されました。私はどう考えても、そこまでできないと思いました。

 その日の夜、同修が学法に来たとき、母との会話を笑い話にしました。同修は「そうね。子供は子供だから、一気にこのようになれないよね」と言った後、「師父が今、私たちに修煉する時間を延ばしてくださっているため、黙々と苦痛と圧力を耐えていらっしゃるの。修煉があまりできていない同修に機会を作ってくださっているのよ」と、他の同修との交流内容を話してくれました。その話を聞いて、私は涙が溢れ、「自分は本当に意気地なしだ。精進しないと、師父に申し訳ない。衆生を救うところか、自分さえ修めることができていない」と、胸を打たれました。

 それから、私は自分を厳しく要求しました。決まった時間で必ず学法しました。学法に影響する一切のことを取りやめ、眠くなるときも疲れるときも病業(業を滅する)が現れたときも、学法を続けました。しばらくこのようにして、頭の中の悪い念を取り除きました。以前、持っているよくない観念、不可解なことなど、学法ですべて解決できました。内に向けて探し、少しのよくない念まで正すことができました。帰国した直後、同修や友人に話すとき、いつも外国の環境はどんなに良いか、人の素質はどんなに高いか、「チャンスがあれば、帰国したくない。環境も悪いし人の素質も低い」と話しました。ある日、これらのことを話した後、突然、「え! 私は安逸を求めているのではないか? 複雑な環境なら、心性の向上をしやすいのではないか! 外国人の素質は高いが、みんな仲良くできるなら、どうやって、自分の心性を向上するのか!」などと、悟りました。内に向けて探すことは本当に素晴らしいことだと確信しました。

 以前、私は座禅のとき、両足を組むことができませんでした。その理由として、自分の足が短く、太く、同修が痩せていて、足も長く、両足を組むのはきっとやりやすいと思っていました。苦を嘗めることをその口実で避けていました。しかし、ある日、集団学法のとき、がっちりしたからだで、足が短く、太っているおばさんの同修がいました。同修は学法の1時間半と発正念するとき、ずっと、足を組んで動かなかったのです。学法後、同修はゆっくり片足を下ろしました。その様子をみて、同修もきっととても痛くて我慢していたのだと思いました。あれから、自分も耐えようとし、痛くなっても一秒一秒を堅持してみました。ある日突然、ボダンを押されたように、一つの熱い流れが全身に流れました。本当にとてもいい感じでした。きっと師父が私を励ましてくださったのだと思います。

 翌朝、煉功したとき、2分間ほど、体がとても軽く感じ、とても玄妙な体験をしました。師父はまた、私を励ましてくださったのです。「大法は本当に素晴らしい」と心から感激し、時間を無駄にし、常人の生活に落ちることは、それこそ悲しいことだと悟りました。

 意気地なしの子供弟子ですが、最後に悟ることができました。この数年、大法の中にいながら、よく修めなかったのに、師父は私を見捨てられず、チャンスをくださいました。師父に感謝をいたします。

 個人の体得で、不適切なところがあれば、同修の皆さんの慈悲なご指摘をお願いいたします。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2018/5/25/367975.html)