文/中国の大法弟子
【明慧日本2018年6月16日】
慈悲なる師父、こんにちは!
同修の皆さん、こんにちは!
ここでは、自分で制作している真相資料の中の修煉体験を書いて、同修の皆さんと交流したいと思います。適当でないところは慈悲深いご指摘をお願いします。
1999年「7.20」以来の中国共産党による大法に対する迫害の中で、私は不当な拘禁と労働教養を経験しました。家に帰ってからずっと、各種の人心と執着によって悩まされてきました。再び迫害されるのではないかという恐怖心、夫と子供に対する情の重さ、しゅうとめに対する恨み、同僚に対する嫉妬、および色欲心と安逸心などの多くの人心が邪魔し、私を離さず、ずっと法を実証しに外に出て行けませんでした。さらに、精進している同修のように、大法弟子が行うべきことを全力を尽くして行っていませんでした。大法に出会い修煉を始めて何年も経ち、修煉を始めた当初のあの喜びや楽しさはなく、心の中のプレッシャーで毎日心配でたまらず、学法も集中できず、発正念はその場限りのいい加減なものになってしまい、なんだかある種の見えない圧力に押されて、息をすることさえも苦しく感じていました。
このような状態の下で私の体にひどい病業が現れ、プレッシャーが非常に大きくなり、同修が私と交流しに来ても同修に会いたくなく、同修とは誰とも接触したいと思わず、いつも1人で嘆き苦しんでいました。
せっかく苦労して修煉したのに、どうしてこのように修めることになってしまったのでしょうか?
大法の書籍と真相資料の製作のプロジェクトの責任を担う
同修が私に元気になるように励まし、「家で1人で修煉」していないで大法弟子全体の中に溶け込み、法を正す勢いに溶け込むように励まされると同時に、真相資料の制作を請け負うように私に相談してきました。
2013年のある日、ある同修がプロジェクトを行うために私に会いに来ました。主に大法書籍と『共産党についての九つの論評』の制作を担うように言われました。なぜなら地元に資料拠点が少なく、真相資料はなんとか出せていましたが、大法書籍と『共産党についての九つの論評』は基本的に外部の同修が供給してくれていました。そこで私たちは責任を負い、いつまでも他の同修に頼るわけにはいかなかったのです。
同修のこの話を聞いて「同修が私を探し当てたのは、私が法輪大法の真相資料を作ることを師父が要求されており、師父が私をあきらめていらっしゃらないのだ」と思い、私はすぐに承諾し「それなら私がやりましょう! 私は大法弟子で、師父が望まれることであれば、衆生を救うためであれば、同修が求めているのであれば、私は迷わずやります」と言いました。
当時の私は法を正す時期の大法弟子として法の基準に基づいてはまだまだでしたが、当初の真の念、発した正念で、師父の慈悲とご加持の下で、私は本当にこのプロジェクトを担当し、さらに平穏に今日まで歩んできました。
プロジェクトをやり遂げる中で 心性を修める
私は機器を買うことに着手し始め、資金はすべて自分で出しました。私の家には乗用車が1台あり、自分で運転して県城(訳注:県人民政府が置かれている町)に行って、レーザープリンターを2台、インクジェット・カラー・プリンターを1台と必要な消耗材を買いました。以前、資料を作っていた同修の所に別の同修が私を連れて行き、前に使っていた小型紙切り包丁をもらい、同修たちと紆余曲折を経て地方から大法の本の表紙を買ってきました。そして、同修はまた私を市内で大法の書籍を製作している同修の家に連れて行き、大法の書籍の制作過程を学びました。そしてそれからは、師が法を正すことを手伝う小さな花が我が家で咲き乱れ、同時にこのようにして、師父が法を正すことを手伝う過程が始まりました。
私は最初は自信満々でした。なぜなら、もともと職場に勤務している時に印刷していたので、パソコンとプリンターの操作は私にとって、そんなにハードルが高いわけではなかったからです。
そうは言いましたが、法を実証することはそう簡単にはいかず、実際行ってみると困難が次から次へとやってきました。たとえば、プリンターが紙詰まりを起こし、ずっと時間と手間をかけてやっと直しましたが、プリントアウトしたものはひどく汚れていました。そこで、原因を突き止めると、プリントアウトされた字はきれいになりましたが、数枚プリントすると今度は字が出なくなくなり、またずいぶん苦労してやっとトナーカートリッジのトナーがなくなっていたことに気が付きました。しかし、トナーを替えることができなかったので、資料を作っている同修の家に行って(なぜなら、電話をかけて尋ねることができなかったため)どのようにトナーを補充するのか学ばなければなりませんでした。そして、家に帰って同修が教えてくれたやり方の通りに行いました。道具箱から柄なしの小さいのこぎりとプラスドライバーを取り出し、ガスコンロの上でプラスドライバーを焼いた後、廃トナーボックスを熱くして穴を開け、廃トナーを一掃し、セロハンテープで穴をふさぎました。それから柄なしの小さいのこぎりで、トナー補給口を開けて新しいトナーを入れました。トナーを入れ終わってから見てみると、顔中トナーだらけで、家の中もトナーだらけでした。
きれいに掃除してから再び仕事を始めると、ワァ、プリントアウトが汚れていました。あらら・・・。あくせくしながら数日が過ぎました。食事をしたり水を飲む時間さえなかったのに、使えるプリントアウトは数ページもなく、このような廃品に直面して「どうしてこんなに難しいのか!」と泣きたくなりました。
私の状況がどうなのか、同修が気になって見に来て、この状況を見て私と法に則って交流しました。真相資料を制作する過程もまた心を修める過程であり、同時にまた、自分の修煉の道を切り開く過程でもあるので、学法に追いついて行かなければならず、発正念を重視しなければならないことがわかりました。同修と交流した後、私は心を静めて自分を探し、自分の仕事をやる気になれないことや、逸(はや)る心が強いことに気づき、何を行っても自分の意に合わないと怒り、焦っていたことにも気づきました。また、独りよがりな心もあり、資料を印刷することは大したことではなくコツをつかんでいると思い、師父を手伝う正法の仕事がどれだけ神聖で、どれだけ荘厳であり、常人のことではないことに気づきませんでした。少しできて少し知っていればそれで十分だと思い、さらに、これは簡単な技術的問題や能力の問題ではなく、心を込めて行わなければならないことにも気づいていませんでした。
自分に存在するこれらの心に気づくと、学法して修煉状態を正しました。そして「どんな状況下でも焦らず冷静に、心を静めて何が原因なのかを考えました。もしそれが機器の原因でなければ、もう一度、内に向けて探すように」と自分に言い聞かせました。そして、心を動かさず、どんな状況下でも心を静め真剣に行うよう自分に要求し「自分は師父が法を正すことを手伝う大法弟子であり、法を正す中のことはまじめに対応しなければならない」と考えました。そして、自分を正した後、再び書物のページをプリントアウトしてみるときれいにプリントアウトされました。機器そのものには何の問題もなく、本当にうれしくなり、感激しながら「ありがとうございます、師父! 師父のご加持に感謝いたします!」と何度も申し上げました。
法に則って自らを修めず、師父のご加持がなければ、本当にこれらの事はやり遂げられなかったでしょう!
2台の機器はついに楽に仕事するようになり、プリンターに問題はありませんでしたが、今度は表紙用シートに難題が現れました。これは、私が以前行ったことのないことでした。最初、つけた表紙は変になったりずれたりして、表紙とカバーもたくさん浪費してしまいました。そこで、とても焦りました! なぜなら、大法書籍に用いる表紙用厚紙は、同修が大変苦労して作ったものだと知っていたので、このように1枚1枚と私が浪費してしまうのはあまりにも不届きでした。
大法のことを行うことは大変でした! 再び自分を探すと、やはりせっかちで急ぎすぎていました。そして「職場に勤務している時は横着をせずサボらず、仕事の動作が非常に速く、非常にテキパキしており、誰かの仕事が遅いのを見ると、その仕事がどうにかして間に合うように、私が進んでその仕事を行っていた」ことを回想しました。何年もの間に仕事が厳格かつ迅速であり、速度が速くダラダラしない習慣が形成され、他人の遅さが目障りでした。今は修煉をして私のこれらの隠れていた心、自己中心的な心、そして焦る心をさらけ出しました。法に基づいていなかったために、速く行おうと思えば思うほど問題が現れ、急いでやればやるほどダメになりました。そこで、私は心を静めて落ち着かせ「焦ってはならず、焦ることは人の状態であり、常人の心であり、大法のことを行うことは最も神聖なことなので、大法の基準に符合した意識でこの神聖なことを行うようにしてこそ、初めてなし遂げることができるのだ!」と悟りました。これを悟ると心はもう焦らなくなり、紙を取ってシートを付けてもすべてきちんと付けられました。あらら! 修煉とは本当に小さなことではなく、何事も師父はそれを利用して私の心性を高めてくださったのです!
師父のご加持があれば どんなに困難なことでもコツをつかめる
その頃、私はすでに定年退職して家におり、夫が出勤し出かけた後で、私1人が家にいました。私は5階に住んでおり、上まで消耗材を運ぶのは私にとっても小さなことではありませんでした。というのも、階数が高く、私はやせているうえに小柄で、1箱また1箱と紙を5階まで運ぶのは力がいりました。私が真相資料を作ることに着手したことに関して、夫は強く反対しませんでしたが、あまり支持もせず、その上、夫が家にいる時間は少なかったので、基本的に夫を当てにしていませんでした。なぜなら、これは大法弟子が師が法を正すことを手伝っており、大法弟子は自分が行うべきことを行うべきであり、私も常人が行うことを当てにすることはできず、自分で行わなければならなかったからです。そこで、私は自分で運ぼうと決心しました。
隣人たちが出勤後か、仕事から帰ってきて休んでいる時、あるいは、夜人々が寝ている時、買って来た物を私は階上へ運びました。ある同修がちょっと持ってみて「運べるなんてものではありません、動かそうとしても動かせません」と言いました。
私はまず師父にご加持を求め、それから息を殺し力を入れて、紙を1箱抱えて階下の車庫から一気に階上の部屋まで運びました。しかし、運んでいる途中で階段を上る足が上がらず、腕に力が入らず、体全体が持ちこたえられず崩れてしまいそうになった時、心の中で師父に「師父! 弟子にご加持をお与えください、この紙を上まで運ばなければならず、早くしなければ人に見られてしまいます。師父、どうか弟子に力をお与えください!」と私は師父にお願いしました! そして結局、5階まで上がって箱を下ろし、急いで師父に「師父、勇気と力を与えてくださり、ありがとうございました!」と申し上げました。
ある時、真相資料を作り終わると空が暗くなり、急いで資料を同修に届けなければと思いました。その時の箱数が少し多く、最初、夫は手伝って下に運ぶことを請け負ってくれましたが、運び始めると、夫はちょっとしたことで怒り出し、箱を運ぶことを放り出して行ってしまいました。そこで、これが大法弟子のことであることを思い出し、大法弟子が自ら行わなければならないのだと考え、1箱1箱上から下まで運び、最後の1箱を車に積んだ時、全身の力が抜け地面に倒れ込んでしまいそうでした。そして、私は涙を流しながら心の中で「師父、私は本当に疲れました!」と申し上げました。
さらにある時、真相資料を少し大きな箱に詰め、詰め終わって箱を閉めた時に「こんなに大きな箱に詰めたのだから重すぎるかもしれない!」と思いました。車を階下に止めていたので、急いで資料を運ばなければならないと思い、深く考えずに箱いっぱいに詰めてしまいました。そして、運んでみるとやはり重すぎました。出入り口まで運んだところで、自分で階下まで運ぶことは無理だとわかり「肩に担いでいこう!」と思いました。そして、全身の力を振り絞って、本当に大きな箱を肩に担ぎました。
降り始めると両足に力が入らないような感じで、グラグラして安定せず、さらに、下に向かって歩を進めると体全体が前に傾き、私はすぐに「落ち着いて、倒れちゃダメ」と自分に言い聞かせ「しっかりして」と自分の足にも伝えました。こうして1歩1歩ゆっくりと降りて行きながら、同時に、弟子に力を与えてくださいますように師父にお願いし、そして、弟子が倒れ込んだりしないように、師父にお願いしました! このようにして、フラフラしながら外に出てきました。すると、2人の人がちょうど車からすぐの場所で話をしており「彼らの疑いを引き起こしてはいけない」と思い、このように思った途端、どこからともなく力が湧いてきて軽々と箱を下ろし、まるで楽に箱を運んできたかのようにトランクに放り込みました。
その日のことを思い返すと実に不思議で、もし師父のご加持がなければ、もし大法を修煉していなければ、このようなことが行えるはずはありません。ですから、時に「中国共産党が大法と大法弟子を迫害しようと思っても、どのように迫害することができるだろうか!」と思うことがありました。共産党の手段は恐喝と誘惑ですが、大法弟子たちは大法に根差した心で行っているので、大法修煉者の前では本当に共産党はいつも徒労に終わるのです。
こうしてこの数年来、消耗材を上に運び上げる時であろうと、制作した真相資料と大法書籍を下に運び下す時であろうと、基本的には自分で行い、真冬だろうが真夏だろうが自分1人で行い、大汗をかき荒い息を吐いて苦しそうに見えても、心の中はいつも喜びと幸せで満ちていました。そして現在(訳注:2017年11月)、私の両腕には引き締まってたくましい筋肉がついてきました!
責任と感動
ある時、同修が6セットの大法書籍が必要になりました。現在、新しく修煉を始めた修煉者がこんなにも多く、師父は衆生に慈悲深く、衆生に救われる機会を与えられました。それは同修たちが苦労して真相を伝えた結果でもあり、私がここで遅らせるわけにはいきませんでした。そこで、私はすぐに行動を起こし、数日間の間、朝起きてから1日中忙しく、ある時などは午前中にのどが渇いたので、テーブルの上のコップに水を注ぎ、夜になって食事を作るために作業を止めた時に、やっと水を飲んだこともあります。また、食事は基本的に1日1食で、夫が出張で家にいなかった時は数日間炊事せず、冷蔵庫の中にあるものを食べ、このようにして多くの時間を節約しました。
大法書籍の制作が終わり頃になり、表紙を折っていると全身が硬直したように感じ、首はまるで縛られた板のように固くなり、腕と手が言うことを聞かなくなり、表紙を折れなくなってしまいました。そこで、私は急いで師父に「師父! 弟子は本当に疲れてしまい、少し休まなければなりません!」と申し上げました。そして、私はベッドに横になり夫に「もうダメです、疲れました、休みます」と言って、手掛けていた仕事を放り投げた途端に、ベッドに倒れこんで眠りました。
目が覚めた後、引き続いて大法書籍を完成させました。6セットの大法書籍をきれいに机の上に並べた時、涙が止まりませんでした。すると、涙を流している私を見て夫が「どうして泣いているの?」と尋ねるので、私は「どうしてかわかりません・・・」。涙は相変わらず止めどなく流れ出ていました。
その後、同修が私に「これらの真新しく整然とした大法書籍を見た時、涙があるれ出ました」
そして、同修はみな「大法弟子の現在のこの環境と条件下で、このような素晴らしい書籍を作り出せることは、なかなか得がたいものです。私たちは必ず大切にしなければなりません」
無事に危険を免れる
ある時、同修に資料を届けに行く途中で、突然、警官が安全検査をしているのが見えました。警官からは一定の距離がありましたが、警官が前方の車のトランクを検査しているのが見え、車の持ち主も包みを開けてひっくり返しているのが見えました。これは突然にやって来たことで、考える準備が全くできていませんでした。そして、心臓が急速にドッキン、ドッキンと跳ね、心臓が飛び出しそうで、体全体に大きな電流が流れたようになり、両足がヒリヒリして「これでは逃げられない、逃げることはできない!」と思い、もうすでに心を取り乱いてしまい、どうしようもありませんでした。
この時、「私は大法の師父の弟子なので、誰も動かすことはできない!」と自分に伝えました。同時に、心の中で大声で「師父、警察に資料をひっくり返させないでください、警官にひっくり返させないでください、警官にひっくり返させないでください!」と叫びました。2人の警官が前の車の検査を終え、まさに私に向かって手を振り、車を動かすように指示してきました。車が警官の前で止まると、警官は礼儀正しくお辞儀をした後「通行許可証と免許証を見せてください」と言われ、私は微笑んで「いいですよ」。そして、取り乱しながら財布を手渡すと、警官は「免許証を見せて」。私は「すみません、通行証と免許証はその財布の中に入っています」。すると、警官は私に車を降りてトランクを開けるように要求しました。私はあわてずに車を降りてトランクを開け、警官が二つの箱を見てその中の一つを手で触ると「行っていい」と言うので、私は微笑を浮かべて「そうですか、ありがとう!」。警官は私に免許証を返し、私は車に乗り、両手でハンドルを握ると同時に涙が泉のように湧き出てきて、車を走らせながら大声で「ありがとうございます、師父! ありがとうございます、師父!」と言いました。
師父のご加護がなければ、この日は本当にどのような状況になっていたかわかりませんでした!
このようにして、私は間一髪で何ごともなくこの関を越えました。そしてしばらくしてから、心を静めて「どうしてこのようなことが起こったのか?」と自分を探しました。そして、私は正々堂々と江沢民告訴に参加し、恐れる心はないと思っていましたが、今回のことを通じて、私にその恐れる心がやはり実在していることを師父はわからせてくださいました。
修煉はあて推量なことはなく、実際に本当に落ち着いて自分のこの心を修め、法に則って本当に向上してこそ正しいのです!
全体で協力する中で向上する
ここ数年、私は基本的に自分1人で修煉していましたが、法に則って厳しく自分を律しました。というのも「1人で家で修煉していても、実際には私1人が家にいるわけではなく、師父がそばで私の修煉を見てくださっており、天上の無限の万の神も目を見開いて、大法弟子の一挙一動を見てくださっている」とわかっていたので、1人の環境であってもできる限り緩めずに自分に要求しました。そして、資料を作成する過程で『洪吟』を暗唱しない時は、師父の説法を聞くか、正念を発して邪悪を打破し、いつも「心を清浄に純粋に保ち、人の念を取り除いた後に必要なのは正念である」と自分に伝えました。
もともと自分の毎日の休息はとても少ないと思っていました。早朝の時間に煉功を終えて正念を発し終えた後、ベッドに倒れ込んで二度寝するとひどい妨害を受けるので、多く学法し、観念を改め、正念を発して正しくないすべての要素を清めました。するとその後、毎日3、4時間の休憩だけで精力がずっと満ち、何事にも影響されず、このような状態では、大法弟子はすでに超常になっているのです。おそらく常人の体ではとても耐えられなかったでしょう。
現在(訳注:2017年11月)、すでに成熟し私は行うべきことを行い、学法や煉功、発正念を怠りませんでした。そして、全体で協力すべきことは何でも行い、努力して協力して行いました。たとえば、病業の関を越える同修のために発正念をし、心性の関を越える同修のために交流して向上させ、不当に拘禁された同修を助けるために正念を発することを怠りませんでした。そしてこの過程で、大法弟子が一つの全体であると感じました。またさらに、大法弟子たちの無私と慈悲を感じました。すると、誰もが師父が説かれた「相手のことは即ちあなたのことであり、あなたのことは即ち相手のことです」[1]というように対処することができました。そして、同修達の寛容さと善良さは私を感動させ、私は大きく向上し昇華しました。
数年来、請け負った資料のプロジェクトを全うする過程で、自分の修煉の道を歩み、消耗材を購入することから機器のメンテナンスまで、基本的にすべて1人で完成させました。何が必要で、どれだけ必要で、どれだけの時間がかかるのか、だけを地元の同修がただ私に教えてくれればそれでよく、基本的にそれだけで質と量を保持し、同修が必要とする時間に合わせて同修のところに届けました。他の場所の同修が必要とした場合でも、私はいつでもしっかりと資料を制作し、同修のところに届けるか、あるいは、同修が取りに来ました。そして、私は師父が要求なさっている限り、法を正す中で衆生を救うことが必要である限り、同修が必要とする限り私は行いました。どの場所であろうとかまわず、なぜなら私は大法弟子なので無条件に師父の要求を円融すべきであり、それ以外の考えは何もないと思いました。
私がこのプロジェクトを行った初期の頃、なんと迫害に遭ったために夫が非常に心配し、時には障碍を作り出しました。しかし、師父が要求なさる限り、大法弟子が必要とする限り、私は行うべきことをしっかりと行い、私が行うべきことに何事も影響を及ぼすことはできず、このように私は続けてきました。そして数年来、夫にも変化が起こり、もともとは心配し恐れていましたが、だんだんと力の及ぶ限りのことを手伝ってくれるようになりました。現在、たとえば消耗材を買ったり、それを運んで帰ってきたり、同修へ資料を送ることも含めて手伝ってくれます。さらに、私と一緒に学法と煉功を行い、熱心に法も暗記し始めました。夫は師父の慈悲深さと大法の偉大さを本当に感じたようです。
慈悲なる師父にご報告するとともに、同修の方たちと交流します。法に合致しないところがあれば同修のご指摘をお願いします。
ありがとうございます、師父!
同修の皆さん、切磋琢磨し励まし合いましょう!
注:
[1] 李洪志師父の著作:『各地での説法二』「二〇〇二年ワシントンDC法会での説法」
(明慧ネット第14回中国大陸大法弟子の修煉体験交流会)