文/中国の大法弟子が口述 同修が整理
【明慧日本2018年8月19日】着実に修める中、人心が刺激されることを我慢しなければ、言い争いや激しい衝突を引き起こしてしまうでしょう。そうなった場合、同修の間に隔たりが生じ、ひいては、全体の協力関係に悪い影響を及ぼしてしまうことになりかねません。次に、修煉の中で自ら「忍」を修めるいくつかのエピソードを、皆さんにお話させていただきたいと思います。
(一)
私は田舎の平屋に住んでいます。客間の床にタイルを張っているので、タイルが汚れると、妻はいつもモップで拭きます。毎回拭き終わると、父はまだ乾いていないタイルの床を歩き、そのため、床に泥のついた足跡を残してしまうのです。
次第に、妻は不満を持つようになりました。私は妻に「大法弟子は忍耐しなければならない。これを一つの関門とみたらどう? 決して怒ってはいけないよ。お父さんが足跡をつければ、あんたは拭けばいいじゃないか」と言いました。
妻はそのようにしました。父が乾いていない床を歩くと、妻は黙ってモップで足跡を拭きます。拭けば拭くほど妻は気持ちが穏やかになり、最後になって、怨む心も全く消えてなくなりました。
その後、妻がモップで床を拭くと、父は床が完全に乾いてからタイルの上を歩くようになりました。
(二)
父はたばこを吸っています。私が灰皿を用意しても、父は全くそれを使ってくれません。タバコを吸うと、父はいつも吸い殻をオンドルの前のタイルの床にポイと捨て、そして、痰も床に吐いたりします。
師父は説かれています。「われわれの法門は、人心を真っ直ぐに指すもので、個人の利益や対人関係の軋轢において、それらのことを気にかけないでいられるかどうかが肝要です」[1]
これらの心を刺激することは、私の人心に狙いをつけてきており、私の闘争心を取り除くためであると分かっていました。私は懸命に怒りを抑え、静かに吸い殻を拾い、痰をきれいに拭きました。
何回かの後、父はきちんと吸い殻を灰皿に捨て、どこにでも痰を吐かなくなりました。
(三)
私は商売をしているため、いつも納品に出かけます。数年前から、納品から帰って来る度に、父はいきなり私を怒鳴りつけます。寒い日も暑い日も、私が疲れている時も、お腹が空いている時も、とにかく、父は私を見ると怒鳴りつけ、しかも、とても聞き苦しい言葉で怒鳴ります。しかし、私はいつも我慢していました。
ある時、納品から帰って来て、私はとても疲れて、お腹もペコペコだし、その上、暑くて、喉がとても乾いていました。しかし、父は私に水も食事もとらせてくれず、相変わらず私を怒鳴りまくりました。私は水を持って家を出たその途端、私は怒りを抑え切れず、爆発しそうになりました。しかし、その瞬間、師父の法が脳裏に浮かび上がりました。
師父は説かれています。「なぜなら、トラブルは突然現われるかも知れませんが、決して偶然なものではなく、みなあなたの心性を高めるためのものなのです。あなたが平素から煉功者として自覚してさえいれば、それに正しく対処することができるでしょう」[1]
父はどうして、このように繰り返し怒鳴るのでしょうか? 中国共産党が大法を迫害し、私が連行された時、父は迫害に参与した連中の前で、少しも恐れず、正々堂々と道理をふまえて厳しく要求し、私は解放され、家に帰りました。しかし、その父が、今なぜこんなに繰り返して私を怒鳴るのでしょうか?
師父は説かれています。「われわれが失うものは、実際に悪いものにほかなりません。それは何でしょうか? それはほかならぬ業力なのです。この業力は人間のさまざまな執着心と一体関係にあります。例えば、常人はさまざまな良くない心をもち、個人の利益のためにいろいろ悪いことをし、そこで業力という黒い物質を得ることになります。これはわれわれ自身の心と直接に関係していることなので、良くないものを取り除こうと思えば、まずあなたのこの心を是正しなければならないのです」[1]
私ははっと悟りました。師父は私を向上させようとしてくださったのです。父が私を怒鳴った時、私は父とケンカをしようという一念が芽生えました。このことから、私の闘争心がまだまだ強く、真の「忍」をやり遂げておらず、毎回、ただ怒りを抑え込もうとしているだけに過ぎないことが分かりました。真の「忍」とは、いかなることに対しても怒るべきではありません。師父は私に闘争心を徹底的に取り除き、業力を消去し、心性を高めるよう求められているのです。
法理が分かってから、私は部屋に戻り、父が怒鳴っているのを静かに聞いていました。父は疲れて、オンドルに上がったため、私もオンドルに座り、続けてじっと聞きました。父は随分長く怒鳴り続けましたが、しかし、私の心はかえって落ち着いてきて、何も感じなくなりました。父の怒鳴り声が私と何の関係もないように、心はとても静かになりました。突然、父の罵声が止まりました。
それからというもの、父は二度と私を怒鳴ったことはなく、まるで人が変わったようです。私に会うといつもにこにこして、とても嬉しそうです。私の心性が所定の位置に到達したからです。師父は私の周りの環境を穏やかに平和にしてくださいました。
注:
[1] 李洪志師父の著作:『轉法輪』