【明慧日本2018年10月2日】貴州省貴陽市の法輪功学習者・左応芬さんは2004年、連行され、爛泥溝洗脳班(対外的には「貴陽市法制センター」と称する)に収容された。ここで、食事に不明な薬物を投入されたため、帰宅後3カ月の間、足が腫れ上がって痛み、終日ベッドに横たわるしかなかった。
2004年6月、左さんは労働教養所から帰宅して間もなく、興関路町内会の主任・石樹蓮と興関路派出所の警官ら十数人が左さんの家へ行き、左さんを爛泥溝洗脳班に拘禁した。
拘禁期間中、左さんは2人の監視役に24時間監視され、毎日、師父と法輪功を中傷する書籍と映像を見せられた。また、じっと座るように強制され、煉功や話も許されず、目を閉じてもいけないと要求され、従わなければ洗脳班の人員が暴力を振るいにやって来た。
洗脳班の人員は「どうしても転向しないなら、1万元を出せば帰宅させてやる」と左さんの夫に話した。
左さんは迫害に抗議したため、洗脳班の人員・祿俊は左さんの食事に薬物を入れるように指図した。
左さんは「どうしてご飯の中に薬物を入れたのですか?」と祿俊に聞くと、祿俊はそれを認めなかった。左さんは薬物入りのご飯を祿俊に勧めたが、祿俊は一粒も舐(な)める勇気はなかった。
左さんは薬物入りのご飯のことを面会に来た夫に話した。憤慨した夫が祿俊を問い詰めたところ、祿俊は「左応芬は風邪を引いたから、風邪薬を入れた」と嘘をついた。
不明な薬物を飲まされた後、左さんは1日中朦朧(もうろう)として気力がなくなり、帰宅してから3カ月間、足が腫れ上がって痛み、立つことも歩くことも出来なかった。