文/中国の大法弟子
【明慧日本2018年12月21日】毎日時間を無駄にせず、法の勉強と煉功をすることは、我々大法弟子の必修で、発正念と真相伝えの根本的な保障であり、自分を修める基礎であり、私たちが円満成就する基礎でもあります。
同修との付き合いの中で、次のようなことに気づきました。一部の同修の学法と煉功は、時間の余裕がない訳ではなく、時間の余裕が十分にあっても、『轉法輪』を一年に数回しか勉強せず、煉功もあまりしませんでした。また、一部の同修は資料の作成を担当していますが、他の同修に指摘された後、分かっても直せない人があり、気づかず、資料を多く作っていれば良いと思って、毎日資料の作成と器械の修理に忙しい人もいます。
私たちは大法弟子です。大法の仕事をやっている常人にならないように注意しなければなりません。
上のような状態になった原因は何でしょうか? 外部の圧力がない場合、同修自身の原因でしかありません。安逸心なのか? 怠惰な心なのか? 長い修煉による疲れが出たのか? 或いは他の原因があるのでしょうか? 私たちには修煉の終りがあるその一刻を、次第に忘れたのでしょうか? その一刻は随時に来るのです。
もし今日法を正すことが終わったら、私たちの修煉はどのようになるのですか? 師父は私たちをどこに置かれるでしょうか? 私たちは一千万年も待って、今この値千金でも買えない、貴重な時間を無駄にしないように注意しなければなりません。それはともかく、修煉が終わるか否かを考えなくても、私たちの意志がさらに試されるのではないでしょうか? 師父は説法の中で「最後になればなるほど、精進すべき」[1] と、再三にわたりおっしゃいました。師父は私たちを励まされ、私たちの状態を見てご心配になっておられるかもしれません。当然、上のような状態を見て、私たちは内に向けて人心を探さなければなりません。
この文章は個別の同修に対する指摘ではなく、上述のような状況がある同修は速く追いついて、私たちと共に向上するよう望みます。
注:
[1] 李洪志師父の経文:『大法伝出二十五周年ニューヨーク法会での説法』