文/遼寧省の大法弟子
【明慧日本2019年1月4日】私と同修Bさんは面識がないのですが、Bさんの名前を聞いたことがあります。私とBさんはそれぞれの煉功点で同じ『明慧週刊』を作る仕事をしています。同修から返ってきた情報によると、私が作った『明慧週刊』は書かれた内容も豊富で質もいいし、人々に配りやすいというのです。
たまに、私達の煉功点の協調人は私の前で、Bさんの良くないところを話しましたが、私は全然頭に入れず、深く考えずにサラッと受け流しました。逆に私は協調人に「Bさんが作った『明慧週刊』は、法輪功迫害の真相もあり、とてもいいと思います」と褒めたことがあります。
しかし、修煉はいつも試練に遭遇するものです。ある日、協調人は「Bさんがあなたの不足を皆の前で話していましたよ」と私に告げ口しました。その話を聞いた瞬間、私は戸惑ってしまいました。私とBさんは会ったこともなし、Bさんがどんな顔をし誰なのかも知らないし、どうしてこのようなことが起ってしまったのだろうか? 私は何も言わずに考え込んでしまいました。しばらくしてから、私はやはり大法と師父のことを思い出しました。何かあったときには、内に向けて探すべきです。これが師父が言われている大法弟子に対しての要求です。私はすぐ内に向けて探しました。確かにBさんの言ったことは正しいかもしれませんが、考えているうちに疑いが消えてしまいました。数日後、同修Cさんも私に話しました。「Bさんの娘さんもあなたのあれこれの不足を皆の前で話しましたよ」。私はただ笑って、受け流しました。同修よ、あなた達の言っていることは全部正しいので、私はこれらをすべて受け入れます。
数日前、私はまたこの事を思い出しました。以前の私は面子を大事にしている人なので、知らない人にこんなふうに言われたなら、きっと皆に合わせる顔がないと思ってしまったでしょう。しかし、今の私は違います。師父が私の心を広くし、変えてくださいました。師父のご恩に感謝いたします。この出来事を通じて、私はやっとわかりました。同修たちは私の噂を広めたとき、それらは私の向上を手伝ってくれていることと繋がっており、決して悪いことではありません。同修たちこそが私の最も親しい人達なので、心から同修にも感謝します。本当にありがとうございます!