【明慧日本2019年2月10日】(台湾高雄 = 明慧記者・孫柏、蘇容インタビュー報道)台湾・高雄にある郵便局の局長の職務を定年退職した玉珠さん(女性)は、まさに悠々自適な人生を送ろうとしていた時、なんと、医者が皆さじを投げる希少疾患(希少難病のこと)である不治の病にかかっていることがわかりました。なすすべもなく立ち尽くす中で、幸運にも法輪功に出会い「朝に道を聞かば 夕べに死すとも可なり」という態度を心に抱き、「真・善・忍」に同化するように努めました。すると身も心もすぐに健康を回復し、今までの人生観がガラッと大きく変わり、楽観的で心が広くなり、物静かで和やかになりました。初めはそばで心配していた夫や親戚、友人でさえ玉珠さんが法輪功を学ぶことを励ましました。なぜなら「法輪大法は素晴らしい」からです。
稀少疾患の不治の病に 医者はなす術を知らず
2011年というのは正に玉珠さんが最も低調な時期でした。ある日、腹痛がひどく急診にかかり、診察した数人の医者がみな盲腸炎なのですぐに回復すると判断しました。しかし、盲腸炎の症状とは異なっており、なぜなら熱も出ないし、白血球の量も増加していなかったからです。こうして何日か経ち、何日も痛くて良くならず、痛くてたまらなくなり、高雄栄民総医院で急診にかかりました。そこでCTで腹腔全体に膿があることがわかり、医者は緊急手術をしました。そして玉珠さんに「急性腹膜炎だ」と言って「手術治療をすればよくなるはずです」と言いました。
思いもよらなかったことに退院前のある日、医者が玉珠さんに「検査の結果、あなたがかかっているのは稀少疾患で『腹膜偽粘液腫』といいます」。この病気の発生率は極めて低く、100万人に2、3人だけがこの腫瘍になり、腫瘍細胞がゼリー状の粘液を分泌して腸を固着し、腸が動かなくなり、そして食事ができなくなり命を失います。この腫瘍が血液の少ない腹膜の中で成長するため、一般の化学療法では腫瘍を殺せず、どの医者も皆なす術を未だに解明できていませんでした。医者の経験によると最も早くて3カ月で発病するというのです。くよくよしないように勧められ、悩む必要はないということでした。この絶望の報せは、まるで青天のへきれきで、死刑を宣告されたのに等しく、初めの頃は一日中お腹を下していました。手術後は虚弱体質になり、さらに食事が喉を通らなくなり、眠れず、死の恐怖に日夜おののき、本当に1日暮らすのが1年ほどに感じました!
恐怖の温熱療法
玉珠さんの家族はいかなる小さな医療機会もあきらめず、玉珠さんと台北へ行って数人の名医に頼み診察してもらいましたが、答えはみな同じで、薬では確実に治せないというものでした。友人に有名な外科医を推薦されました。この外科医は「温熱療法」と呼ばれる新しい治療法を受けることを提案し、さらにすぐに手術が必要だということでした。それは摂氏43度のお湯と化学療法剤を腹腔に浸し、がん細胞の大部分を殺すことができ、こうすることで発作の起こる時間を延ばし、生命を延長することが出来るというものでした。
この手術は長い時間を要し、さらに高温のお湯で腹腔内の器官がやけどをしやすいので、危険度がかなり高いということでした。しかし医者は「今までのところこれがこの腫瘍の唯一の治療法で、また唯一あなたを助ける方法です。さらに時間が迫っているので急いで手術をし、がん細胞が大きくなるのを避けなければなりません」と言いました。この医者の話を聞いた時、玉珠さんは呆然とし「ああ神様! 手術をして1カ月もたっていないのに、こんな大手術にどうやって私の体を持ちこたえさせればいいのでしょうか?」と思いました。玉珠さんは心の底からガタガタ震えあがり、家族も哀しみ、この唯一助かる機会を放棄することも出来ず、どうしようもなく、玉珠さんが手術を受けることに家族は同意しました。なすすべもなく、病院側の提案に同意するしかなく、すぐに入院の手続きが取られました。
絶望の中で 幸運にも法輪功に出会う
ちょうどこの時、法輪功を学んでいる台北にいる夫婦の友人が『轉法輪』という本を紹介してくれました。後に玉珠さんは「『轉法輪』という本を手にした時、言葉では言い表せませませんが、昔から知っているような親切な感覚を覚え、簡単でわかりやすい文字が書かれていましたが、この上なく奥深い内涵が含まれており、たまらず一気に読み終えました」と語りました。
玉珠さんは若い時に教会や佛堂へ行き、聖書や佛教の経文も読みましたが、心を動かされたことはありませんでした。しかしこの『轉法輪』は玉珠さんの生命に関する疑問を解き明かしてくれました。玉珠さんは「この本はまさに私が必要としていたもので、限りある生命を利用し、すぐに生命の意義と生命の帰属を理解したいと思いました!」と語りました。
そこで矢も盾もたまらず、すべての法輪功の経書を買いそろえてもらうよう友人に頼み、玉珠さんはむさぼるように読み、大急ぎで読み、読めるだけ読もうと思いました。どうせ残された日は多くはなく、昔の人は「朝に道を聞かば、夕べに死すとも可なり」と言いました。人の世を離れることに少しでも残念がるわけにはいきませんでした。玉珠さんがとても積極的なのを見て、翌日の早朝に友人は玉珠さんに煉功場に行って、煉功するように誘いました。その時玉珠さんの体力はとても落ちており、第2式の功法(法輪樁法)を行った時、両足で立っていられなくなり、震え続けて汗だくになり、心臓も絶えられなくなりそうになりました。しかし功法を煉り終わった後、玉珠さんは思いかけず「こんなに体が軽くなったことは今までになかったわ!」と言いました。
法輪が体を調整していることをはっきりと実感する
煉功して数日も経たないうちに、続いて奇跡が起こりました。後に玉珠さんは「私の体で法輪が回転しているのをはっきりと感じました。煉功場では鼻の所で何かがずっと回転しているのを感じ、夜寝た時は頭の上で大きな扇風機がずっと回っているかのように感じました。さらに音を発しており、翌日、古くから法輪功を学んでいる人に聞いてみると、法輪が私の体を調整しているのだと知りました。私は希望を持ちました」と語りました。少しずつ、食欲が出て来て、食べられ寝れるようになり、腹を下さなくなり、体力は迅速に回復していきました。
法輪功を絶えず学び、玉珠さんは「もともと病気とは業力が作り出したものであり、法輪功を学ぶことでのみ、人の運命を変えることができ、手術では根本的な問題は解決できないのだということを知りました」と悟りました。そして自分から病院に連絡して手術を取り消しました。
昔の病気も消えた
玉珠さんは以前徹夜することが全くできず、睡眠の質が悪く、1日24時間耳鳴りがし、さらに網膜剥離で、視力が悪く、どんなに早く寝ても、翌日起きると頭がクラクラとしてボッーとしていました。法輪功を学んでからは、毎晩夜遅くまで『轉法輪』を読んでも平気で、朝4時半に煉功に出かけ、さらに元気に満ちて頭脳明晰になりました。現在、健康と体力が回復しただけではなく、不思議なことに視力もとても良くなりました。
以前、玉珠さんは亡くなった親戚や友人の夢をよく見ることがあり、さらに体の動きがとれなくなりました。法輪功を学び始めると、一度夢の中で、すでに亡くなった以前の同僚が会いに来て、玉珠さんの手を握ろうとし、玉珠さんは嫌がりこばみましたがうまくいかず、亡くなった同僚に抱きしめられました。その時、全身が冷たくなって動けなくなり、突然、自分が法輪功を学んでいるので先生を思い出し、そしてありったけの力を使い「李洪志先生助けてください」と叫びました。その瞬間、縄で縛られていたような感覚の体の冷たさが解かれました。
人生観が180度変わり 楽観的になり 心が広がる
玉珠さんの心は今までなかった充実感と和やかさを感じました。以前は多くの家庭の問題があり、心身のプレッシャーが大きく、さらに何度も流産しました。さらに酷いうつ病にもなり、いつも思い詰めていました。法輪功を学んでからは、常に学んでいると心身に佛光を浴びて、人生観が大きくパッと明るく変わり、今では家庭のいろいろな問題も軽く見られるようになり、日々の暮らしを楽しみ、静かに喜びに満ちたものとなり充実してきました。玉珠さんは「慈悲深い先生が体をきれいにしてくださり、私の代わりに悪いもの全ての業力を取り除いて下さったことがはっきりとわかりました。先生に感謝申し上げます。本当に感謝の気持ちでいっぱいです!」と語りました。
あれから1年が過ぎ、血色もよくなりました。さっそうとしている今の元気でハツラツとした玉珠さんを見たら、1年前のあの顔色が悪く、今にも消え失せそうな玉珠さん本人であると誰が知るでしょうか? 玉珠さんは「現在、自分のこれらの決定が正しかったことを実証できました。『轉法輪』で先生が説かれておられることは全て真実でした。真に法輪功を学び、しっかり学びさえすれば、先生はいつも守ってくださいます。法輪功を学び始めた時のことを思い出すと、本当に『朝に道を聞かば、夕べに死すとも可なり』の思いでした。幸いにも自分が最も弱り、最も心の支えを必要としていた時に、ちょうど良いタイミングで『轉法輪』という貴重な書籍を授かり、新しい生命を得ることができました」と語りました。
法輪功を学んだ後、玉珠さんは命を救ってくださった先生へのご恩に大変感謝しました。そこで、いつでも、どこでも法輪功の素晴らしさを周りの人に伝え初めました。さらに、「真・善・忍」を信仰し、本当の良い人になることを伝えました。時間がある時は近くの観光地まで出向き、自分の身に起きた素晴らしい奇跡を訪れた多くの人に伝えています。