【明慧日本2019年3月16日】河南大学卒業生の法輪功学習者・李明さん(40歳前後)は、法輪功を放棄しないことを理由に、20代の時に懲役15年の実刑判決を言い渡された。李さんの両親は息子が投獄される残酷な現実を受け止められず、長年にわたって、日々息子のことを心配して仕方がなかった。現在、母親は病床で寝たきりになり、過労の父親は直立して歩くことができず、はって移動することしかできなくなっている。
1995年に河南理工大学に入学した李さんは、在学中で法輪功を勉強し始め、学問、品行ともに優秀な学生であった。1999年、江沢民勢力が法輪功を弾圧した当時、ちょうど李さんが卒業する時期だった。そのため、李さんは就職先の仕事を諦め、学校のある所在地で法輪功迫害を制止し、真相を伝える活動に参加した。
2004年12月末、李さんは法輪功迫害の真相を人々に伝えていた際に、警官に連行され、裁判にかけられた。法廷で李さんは自ら作った「法輪大法は素晴らしい」の横断幕を突然に取り出し、頭上に高く広げた。その場にいた関係者らはすべて驚いて、一瞬身が固まった。その後、李さんはその事が元で懲役15年の実刑判決を下され、河南省の新密刑務所に拘禁された。
新密刑務所での法輪功学習者に対する迫害は、凄まじいものだとしか言いようがなく、今まで何度も報道されたことがある。例えば睡眠を剥奪して、毎日、24時間立ったままの姿勢をとらせる、手のひらサイズの小さなイスに座ったままの姿勢をとらせる、あるいはしゃがんだままの姿勢を強制する、また、大勢が棒で滅多打ちにするなどの残虐な拷問で学習者を苦しめた。しかし、このような苦しい環境下でも、李さんは依然として信念を守り続け、15年の間、一切転向せず「三書」を書かなかった。
ある日、李さんは7日間連続して嘔吐と下痢が続いたため、様子がすっかり変わり、眼の前が真っ暗になって微弱な息しか出来なくなり、もうすぐ死ぬ寸前であった。その時の李さんは、「私は絶対に死んではいけない、最後まで法輪功を学び続けます! 師父、助けてください!」と願って、この強い一念だけで生き続けてきたという。
昔から「1日が1年のように長く感じる」という言葉があり、この言葉は相当な辛さを喩えているが、刑務所の中の李さんはさらに「1秒が1年のように長く感じる」ほどの辛さを経験したという。2019年1月、李さんは15年の冤罪を終えて刑務所の入り口で友人たちを待っていた。しかし、迎えに来た友人たちは、目の前の李さんを見て信じられないほど驚愕(きょうがく)した。目の前の李さんの姿はうす黒くて、骨と皮ばかりにやせこけ、密生して生えていたあの黒髪はほとんど抜け落ちてしまい、残るは僅かな数えられる程度の髪の毛もすべて白髪になり、昔の生き生きとしてカッコいい青年は見る影もなく、辛酸を嘗め尽くした老人の姿になってそこに立っていた。
すぐに李さんは、急いで15年ぶりの懐かしい我が家に帰えり、部屋に一歩入ってみると、見渡す限り物寂しい光景が目に入ってきた。寝たきりの母親は目が落ち窪んで、もみあげは霜のように真っ白であった。母親は息子の帰りを見て、興奮して手を伸ばしてくれた。その荒れた手に一本一本の血管がミミズのように浮き上がっているのが、はっきりと見え、李さんは見ていられなかったという。父親も重病を患って正常に歩けず、精一杯にはって前進して、母親の世話とご飯の支度をしていた。ちょっと動くだけでも息がすぐ切れ、休憩して息を整えてからまた作業を進める姿を見た李さんは、思わず声を出さずに悲痛の涙を流した。青春の頃から15年の刑務所生活を経験し、振り返ってみるとまるで隔世の感( かくせいのかん・時代がすっかり変わってしまったなという感慨)のようであった。
若い頃の李さんの両親は健康で行動力があった。頭がよくて、おとなしい我が息子の李さんの存在は誇りであった。しかし、抜きん出た才能の持ち主の息子が、「真・善・忍」の理念を遵守しているという理由だけで、15年の重刑を下される身になるとは夢にも思わなかった。息子の人生の最も大切な時期に、また、最も社会に出て貢献できる若者の時期に、刑務所の中で過ごさなければならない無念さを、李さんの両親は、いくら考えても納得できなかった。15年の間、李さんの両親はあらゆる所を捜して、この理不尽な扱いをやめるように奔走しても、訴える場所が見つからず、毎日、毎日、1分1秒の辛酸を嘗め尽くす中で、息子の無事を思い命を削って過ごして生きてきた。