文/中国の大法弟子
【明慧日本2019年4月17日】修煉において、学法は修煉の保証であることをみんな知っています。修煉は厳粛であり、それゆえに、学法に対して厳粛に取り組まなければなりません。以下の内容は私が目にした、学法に対して厳粛ではない一部の現象を書き出したものです。同修の皆さんと交流を通じて、ともに向上できれば幸いです。
集団学法における現象について、私達の学法の状態を話してみたいと思います。同修から彼が参加していた学法グループの話を聴きました。その同修が通っている学法グループは週一のペースで学法を行い、グループの同修達は互いに親しくしています。学法が始まる前にまずこの1週間の我が家の出来事や、自分が見聞きしたことを一通り話してから、世間話を交わします。これで大体30分が過ぎてしまいます。どのように法に則って三つのことをもっとよく実行できるのかについては、交流しません。常人の世間話ばかりして、心が清浄でない状態で法を学び始めます。みんな一講を学んだら、法に則って交流することなく、慌ただしく帰宅していきます。毎週同じように繰り返されます。
月日が流れて行きますが、向上はあまり見られません。このような学法形式は師父が要求されたものとかけ離れています。師父が私達に要求された集団学法は、皆で学法の後に得たものを交流して、互いの経験に照らし合わせて励まし合い、共に精進する学法形式です。しかし、同修が参加したこのような学法グループは、問題を起こさずに維持できますか? 長期にわたって以前の学法方式を変えなかったため、邪悪に隙に乗じられ、そのグループにいた学習者の大半が家庭内の魔難に遭ったり、自分自身に病業の虚像が顕れています。今ではこの学法グループは、もう正常に役割を果たす事が出来なくなりました。
また半年前に私が参加した学法グループですが、学法の前の発正念をする時に、多くの同修の立てた片手は倒れ、頭がはっきりしていない状態でした。また、学法を開始してから10分も経たない内に、居眠りして、手に持っていた『轉法輪』の本を床に落としてしまう同修すらいました。また、自分の順番がきても、どの段落まで読んでいたのかさえ把握できない同修もいて、他人に指摘されても受け入れません。この状態が長年続いていました。このような学法では師父の要求されている学法効果に達することができるでしょうか? 学法が身に入らなければ、大法の奥深い法理がどうして顕れることがありえますか? 学法グループはどうして妨害されずにいられますか? どうして維持することが出来ますか? 現在、この学法グループはさまざまな原因で存続できなくなりました!!
昨年、ある学法グループに参加しました。このグループの同修は毎週、学法に参加する時に、互に家から持ち込んだ品々を交換するのです。今週は張なにがしが、李なにがしにお裾分けをした。その次の週は李なにがしが、張なにがしにお返しをした。全て常人社会の交際行為です。またある同修は食品を持ち込んでその場でみんなに振舞い、頂いた同修もお返しとして次の週におやつを用意して、学法の時に持参してきます。このようにグループ学法が同修の互いの感情の交流の場と化したので、それなら旧勢力は妨害せずに済むでしょうか? 現在、この学法グループはもう旧勢力に破壊されてなくなりました!!
このような学法グループを知っていました。同修達は互いに平常心を持ち、法に則って交流できる状態に達することが出来ません。同修達は集まれば言い争ったり、自分の意見を主張して譲らず、後へは引きません。それでは旧勢力は隔たりを作り、同修を互いに挑発させ続けるのです。結局、この学法グループも旧勢力に破壊され、そのグループにいた同修は妨害されて、不当に拘禁された人もいれば、恐れる心が生じて、集団学法に参加しなくなった人もいました。また、地元から離れた場所で、長期滞在を選択した同修もいました。かなり大きな学法グループでしたが旧勢力に隔てられ、現在では続けることすらままならない状態です!!
それでは、私が今参加している学法グループの状態を話してみたいと思います。私達のグループはもう十数年も続いています。学法に参加する時には世間話は一切しません。時刻通りに学法を初め、時刻通りに発正念をします。学法を終えた後、法に則って交流して、際限なく言い争うような現象は一度もありませんでした。グループ内の同修はそれぞれ法を実証するプロジェクトに参加しており、互に助け合い、励まし合い、物を送り合うようなことはしません。学法の時には物を食べたり、水を飲んだり等の悪い習慣もありません。私達の学法は週に2回行っていますが、遅刻する人は一人もいません。誰もが集合時間より早く来ています。それゆえに、私達のこの学法グループは旧勢力に妨害されることは少ないのです。たまに妨害が顕れても私達が集団で発正念をすれば、直ちにその妨害を取り除くことが出来ます。ですのでこのグループは十数年来、常に妨げられることなく集団学法して来られ、全員が一緒に人を救い済度することが出来ているのです!!
修煉とは厳粛なものであり、学法は普通の読書と異なります。修煉において精進できるか否かは、学法の状態によるのです。学法に真剣に取り組んでいれば、師父が私達に要求された三つのことを良く実行することが出来ます! 学法にうまく取り組んでいなければ、私達の修煉が成就できないように、さらに世人を救い済度することができないように、旧勢力が妨害に来るのです。これらは全て私がこれまで目にし、聞いたことです。また、自分が実際に参加した学法グループの現状です。これらの事から、私達大法弟子が学法する態度に関して、改めるべきはすぐに改めた方がいいと思います。修煉は厳粛なものであり、学法は修煉の保障なのです!! 私達がどのように学法に取り組んでいるかによって、どのように修煉を実践しているかが分かります。それゆえに、大法弟子は自分の学法を厳粛に取り扱わなければなりません!! 学法に厳粛に取り組んでこそ、初めて学法グループは健やかに成長できるのです!!
個人的な認識ですので、法に則っていないところがあれば、同修のご叱正をお願いします。
ありがとございます。 合掌