【明慧日本2019年5月6日】シンガポールの法輪功学習者は4月15日にフンァユアン公園で「4.25」の北京中南海陳情20周年を記念する活動を行なった。
20年前の1999年4月25日、北京で国内外を震撼させた平和的な陳情が行なわれ、世界に善良で平和な団体「法輪功」を知ってもらうことができた。中南海国務院陳情局付近に1万人近い人々が整然と並び、秩序があり、静かで穏やかだった。彼らは中国各地から訪れ、天津で不当に拘束された45人の法輪功学習者の釈放と合法的な煉功環境を中国政府に求めた。「4.25」の陳情は中国政府の法輪功に対する迫害が日増しに厳しくなる情況下で、その迫害を阻止するために行なわれた合法的な陳情であった。陳情は平和の内に終わり、国際社会からは称賛の声が上がった。
しかし、当時の中国共産党のトップに君臨する江沢民は「中南海を囲んで攻撃した」と決めつけ、3カ月後、中国共産党は法輪功に対する弾圧をスタートさせ、残酷な迫害は今日まで続いている。20年の巨大な災難の中で、世界各地の法輪功学習者は「4.25」の精神を引き継ぎ、世界各地で人々に真相を伝え、今では多くの人々が立ち上がり迫害反対を表明している。法輪功学習者は平和的に迫害を制止する中で世界中に真相を伝えている。
観光客「4.25の精神を発揚し輝かしいものにすべき」
当日は、観光で訪れた外国人、およびシンガポールに住む外国人も多く、活動現場を通りかかり、立ち止まって学習者と交流する人、パネルを読む人、また記念写真を撮る人たちがいた。はじめて法輪功の真相を聞く外国人もいて、迫害のさらなる情報を求めた。
豪州で国語教師をしているジミーさんは観光でシンガポールを訪れ、活動現場を通りかかり、立ち止まって写真を撮った。彼は以前から中国共産党が人権迫害や臓器の強奪をしていることを知っていたが、しかし法輪功が迫害を受けていることは初めて聞いた。法輪大法の情報が印刷されているパネルをカメラに収め、帰国後詳しく調べてみたいという。学習者が資料を渡すと受け取ったあと、人権迫害に強く反対すると話し、「六四天安門武力弾圧」のことも知っており、中国共産党のネット封鎖に強く反対し、人々は知る権利、言論の自由および信仰の自由を有すべきと話した。
ジミーさんは「人は自分の信仰のために迫害を受けるべきではない」と話す。中国共産党が自国民を恐怖の中に陥れたことを嫌悪し、そのため、今回6カ月のアジアの旅は中国を入れておらず、香港と台湾に立ち寄ることにした。もし多くの中国人が目覚めて立ち上がり、強権による統治に反対し、それが絶対多数を占めれば、中国共産党は解体され、暴政を終らせることができるという。そのため「4.25」に現した精神を発揚し輝かしいものにすべきと話した。
仕事のためシンガポールに来て3年になるインド人のアシッシュさんは会社の営業部長をしている。彼は中国共産党の強制臓器収奪に反対し、資料を受け取った彼は、詳しく読んで多くの情報を知りたいと話した。
パレードや抗議を禁止しているシンガポールで、このような活動を見た多くの人は驚き、その中で法輪功学習者は合法的に集会を開き、中国共産党の暴行を暴き、「4.25」を記念する活動ができたことは意外で、法輪功の真相をさらに知りたいと話した。
中国の西北部から訪れた李さんは、奥さんが学習者だという。最初のころは反対していたが、奥さんの身体がますます健康になり、支持するようになった。学習者の穏やかな煉功場面を見て、中国でこのように公の場での集団煉功ができるようになればいいのにと話した。
ラトビアからの若い夫婦は立ち止まり、学習者の煉功を見て学習者と交流を始めた。
平和で穏やかな煉功をしている人々を見て、若い夫婦は「中国共産党はなぜ学習者を弾圧しているのですか?」と尋ねた。学習者は「法輪功は人々に善を教えると同時に健康になり、功法の効果は顕著で迅速に広がり、迫害を受ける前は7000万〜1億人が煉功していました。当時の江沢民は嫉妬と恐怖から迫害をスタートさせたのです」と説明した。2人は幼いころ共産党時代を経験したことがあり、共産党は無神論を宣伝し、国民を抑圧した事が印象に残っているという。奥さんの父は共産党員だったが、家では神に対する信仰を話し合い、幸運なことにラトビアは共産党の圧政を脱して、人々は信仰の自由と言論の自由を手に入れることができた。
若い夫婦は法輪功のことを初めて聞いたといい、嫌がらずに資料を受け取った。彼らは法輪功について多く尋ね、帰国後さらに勉強したいと話した。
「4.25」参加者が見たのは平静の中の堂々たる姿
「4.25」陳情に参加した今年80歳の孫さんは当時のことを回想し、内心深く感受したことは、法輪功学習者の平静で堂々たる姿だったという。北京に長く住んでいる孫さんは、共産党が度重なる政治運動で人々を恐怖に陥れたことを見てきたが、しかし「4.25」陳情の際の心理状態は落ち着いて堂々たるものだったという。「20年前の私は60歳で、法輪功を修煉して5年経っていました。1994年に李洪志師父が天津で講習会を開かれた時、私は参加して師父の説法を聞いて修煉を始めました。私は19世紀の70年代から気功の練功をしていましたが、しかしそれらの功法に満足せず、それらの功法は低すぎたため、私はほかのものを探し続けました。そして大法に出会い、至宝に出会ったようでそれ以後はほかの気功を探したことはなく、なぜなら、大法こそ私が探し求めていたものと分かったからです」と回想した。
「学法と煉功を通して、絶えず心性を高め、心身に巨大な変化が起きました。以前の私は身体の情況があまりよくなく、もし大法に出会えていなければ、とっくにあの世に行っていたでしょう。自分の身体は自分がよく知っています。以前の私は50歳の時から身体が曲がり、60歳以上の年齢に見られ、みんな私のことを爺ちゃんと呼んでいました。煉功したあと健康になり、身体も真直ぐになり、足元も軽やかになり、よく食べよく寝るようになり、人に対する見方、物への対処の仕方が変わりました」、「誰かが病気で入院したとか、誰かがガンで亡くなったと聞いた時、自分の心は特別な思いがありました。一つは人生はこんなに苦しく、もう一つは自分が大法を修煉できてとても幸運だということです。大法を修煉してこれらの煩悩を放下することができ、生老病死も自然に自分を束縛しなくなりました」と孫さんは話した。
当年、天津警察が法輪功学習者を不法に拘束する事件が発生した。「その直後の4月24日、私はこの事を知りました。その時北京には煉功者が多くお互いに伝え合い、瞬く間に広がり、(中南海)に行くかどうかは自分で決めました。私は多くのことを考えず、拘束された同修の釈放を求めて行きました」、「翌朝早くから多くの人たちが来ていました。数万人いたと思います。人は多くいたけれど、しかし秩序はしっかり守られ、雰囲気は穏やかだったのです」、「自発的にごみ袋を持ってごみを集める修煉者たちがいて、大法弟子は誰一人ごみを落としませんでした。法輪功は心性を修め、一人一人が大法弟子として自覚していました」、「その日は警察が少なく、離れたところでたばこを吸ったり、雑談していました」と孫さんは話す。
孫さんはさらに「その時自分は正々堂々と行なっていると感じ、何もやましいことはなく、誰も傷つけず、何も考えず、恐れず、ただ平静で堂々としていました」、「私は朝の8、9時ごろから夜の9時ごろまで立っていました。天津警察が同修を釈放したと聞いて、みんなはその場を離れ我が家に帰りました。一日立っていましたが疲れておらず、私は歩いて家に帰りました」と話した。
このあと中国共産党は法輪功に対して弾圧を展開し、孫さんも不法に拘束され迫害を受けたことがありった。20年来の風雨の中で、彼は「今日まで歩めたのは大法の支えのおかげです。私が長生きできたのも、健康でいられたのも大法の恩です。本棚から大法の書籍を手に取り、読めば読むほど読みたくなり、本棚に戻すのが惜しいと思うぐらいです。師父の説法はあまりにも素晴らしく、言葉の一つ一つが天機なのです。できるだけ多くの人に真相を知ってもらい、私と同じように恩恵を受けてほしいのです」と孫さんは話した。
「4.25」の際、シンガポールの学習者は一つになって真相を伝える
高さんは中国で修煉を始め、すでに25年も経過した。「4.25」の時、彼女は シンガポールで研修していた。「4.25」の翌日、シンガポールの学習者は朝早くから『聯合早報』や『海峡時報』の新聞社に出向き、編集長や記者に真相を伝えた。その後学習者はたびたび中国大使館を訪ねて事実確認をするとともに、中国の指導者に手紙を送り、大使館の領事と官員は、「法輪功は百利があっても一害なし」と話した。これと同時に一部の学習者はシンガポール政府に事実関係を伝えたという。
高さんは「『4.25』の夕方、私たちは公園で集団煉功をしていました。その日は日曜日で、ある学習者から、天津警察が学習者を拘束したため、北京と天津の学習者が中南海の陳情局に陳情をしに行っていると教えられました」、「外国にいる私たちは、中国の学習者の安否を心配し、中国共産党が人を迫害する手段を知っていました」、「夜、家に戻りテレビをつけると、世界中がこのことに注目し、こんなに多くの人達が一度に陳情に訪れることは、中国社会において、とても、とても稀なことで、六四天安門学生弾圧以後、中国人は保身に徹しました」と話した。
突如発生した出来事に、シンガポールの学習者は各界に真相を伝え始めた。「世界中が法輪功のことを報道していました。そこで私たちは自発的に当地の新聞社に出向いて編集長に面会を求めました。私たちはシンガポールの学習者なので、事実を伝えなければならないと思いました。直接面談する以外に、投稿の方式で法輪功は健康作りと、心を浄化する功法であることを説明しました。私たちの努力は一定の効果をもたらし、編集長に真相を説明する時、編集長は納得してうなずき、新聞の紙面にも学習者の投稿が報道されました」と高さんは話す。
「その当時、学習者は中国大使館を訪ねて事実関係を確認していました。学習者の善意の素朴な言葉はよい効果を得ました」、「私も大使館に行きました。多くの学習者が行くので、大使館は学習者の陳情窓口を設け、一部屋を準備して学習者と面会しました。多くは同じ煉功場の人と、または近くに住んでいる学習者がグループになって、大使館でみんなと出会い、あなたも来たのか、彼も来たのかと、ほとんどの学習者が来ていたので、その場面はとても感動的だったのです! その中には仕事や勉学でシンガポールに来ていた北京の学習者、河南省の学習者、山東省の学習者も含まれていました。もちろん当地の学習者も多く、マレーシアの学習者もいました。大使館官員は私たちの話に耳を傾け、自身の修煉体験は効果的だったのです。のちに迫害が始まり、2001年11月中国大使館は法輪功を攻撃する展覧会を開催し、学習者は大使館に対して展覧会は誹謗中傷であると指摘しました。以前私たちの窓口になっていた一人の官員の目は敬服と称賛の眼差しで私たちを見ていたのが、深く印象に残っています」
「その当時は中国共産党が弾圧を発動するとは思わず、迫害はあのように峻烈で、こんなに長く続くとは思いもよりませんでした。迫害の中で学習者は修煉を放棄せず、正念を堅守して今日に至り、国内外の学習者は心を一つにして協力しています。法輪功は迫害を制止すると同時に、世界で一層の発展を成し遂げ、これは歴史において稀に見る現象です。中国国民と全人類の道徳と良知を呼び覚ましたと言えましょう。この20年を回想して感慨ひとしおで心が痛み、とても長い時間を感じます。この20年の歴史は是非と善悪の一切を記録しています。再度『4.25』を迎え、法輪功学習者は世界各地で記念行事を行ない、異なる人種の億にのぼる学習者は世間で信仰を堅守して実践しており、この事が人々の注目と思考をもたらすことを願っています」と高さんは話した。