文╱中国の子供弟子
【明慧日本2019年6月3日】母は若い頃、体が弱かったために瘦せっぽちの僕を出産しました。5、6歳の頃の僕は成長が遅れ、体が小さかったのですが、お腹だけは大きく膨らみ、首を縮め、他の人から見れば僕は障害児でした。病院で検査を受けると医者は「大した病気はなさそうですね。ただの発育不良でしょう」と言って、たくさんのサプリメントを処方してくれました。しかし、それらを飲んでも効果がなく、僕の成長の問題は家族全員の悩みの種になりました。
この頃から母の体も駄目になり、リウマチ性心疾患と結腸炎の症状がとてもひどく、長年薬を飲んでも良くなりませんでした。その後、幸いなことに母は大法と出会い、修煉を始めました。間もなくして、母は体が回復して健康になり、僕も大人たちと一緒に法を学び始めました。ある日、僕はお腹が大変痛くなり、口から緑色の水をいっぱい吐き出し、とても辛くて大変でした。しかし、その後、僕の大きく膨らんでいたお腹は不思議にもへこんでしまい、体も正常になりました。
小学校に上がってから、僕は遊びに夢中になり、次第に法を学ぶことや、煉功することを忘れてしまいました。しかし、法輪大法の「真・善・忍」は、僕の心の中にしっかりと定着していました。
それから、大法修煉を放棄しない母は中国共産党からひどい迫害を受けました。それで僕はいつも、祖母や叔母や叔父夫婦に預けられました。時にはとても母に会いたくて、特に他の子に虐められた時は、「母が傍にいてくれたら、きっと助けてくれるのに」と思うと、僕は辛くて涙を流し、母を怨みました。
ある日、近所のおじさんが僕をスクーターに乗せて走っていた時、突然、ブレーキが効かなくなり、僕は十数メートル先に投げ飛ばされて靴もなくなり、肩を骨折しました。そして、僕は寝込んでしまい、肩が痛くてたまらず、薬を飲もうとしても吐き気がして、全く飲めませんでした。その時、母は「師父の説法を聴きなさい」と勧めてくれました。
こうして、僕は2日連続で法を聞きました。3日目になると、痛みがなくなり体が軽くなりました。「もし、師父のご加護がなければ、あのスピードだったら、僕はとっくに死んでいたかもしれない」と思い、心から師父が助けてくださったことに感謝しました。
それからは、僕は母を怨まなくなりました。母は近所のおじさんが事故でかかった全費用の支払いを肩代わりし、それに鶏1羽を買っておじさんを見舞いに行きました。おじさん一家はとても感動して、大法のことをしっかり認めました。今度のことを通して僕も大法に対する理解を深め、母があれだけ残酷な迫害を受けていながらも、大法を固く信じている理由がよく分かりました。
2015年9月の中旬頃、地元派出所と役所の人たちはまた家に押し入り、不当に家宅捜索をしました。もう大人になった僕は母を守ろうとしました。僕は警官らに「信仰の自由があるのではありませんか」と反論し、母の連行を食い止めようとしました。しかし、彼らは僕を倒して首をしめたため、息ができなくなりました。心の優しい隣のおばあさんがやって来て、「彼を離しなさい。彼はまだ子供でしょう」と庇(かば)ってくれました。警官らはやっと手を離し、「お前も連行するぞ」とおばあさんを脅かしました。
こうして、彼らは母を洗脳班に連行して行きました。翌日、僕らは母を解放するように求めましたが、警官らは僕に「母親に大法修煉を放棄するように説得しろ」と言われ、僕は「どうして修煉を放棄させるのですか? 母は大法を習っていなければ、とっくにこの世にいません。母が悪い事をすれば、あんた達から言われなくても、僕はやめさせます!」と言い返しました。
あの数日間、僕は毎日のように母を解放するよう要求しに行きました。母が再び労働教養に科せられ、懲役刑を下されて、また母と離ればなれになることを恐れていました。その後、警官らの多くが大法の真相を分かってくれたため、母親を無条件で釈放しました。