文/黒竜江省の大法弟子 善新
【明慧日本2019年6月8日】私の住む階下に頑固で僻みっぽい70歳代のお爺さんが住んでいます。彼は毎日廊下の階段に座ってタバコを吸い、吐き出す煙の臭いが強く、さらに黄色い粘々した痰を吐き、タバコの吸い殻をいっぱい捨てています。冬は廊下の窓が閉まっているので、階段を利用する度に隣人は煙の臭いに戸惑い、粘々した痰の臭いはさらに耐え難いものでした。
隣人の誰もが彼に不満を持ち、管理事務所を訪ねる人、家に帰って窓を開けてタバコを吸うようにと勧める人、台所の換気扇をつけてタバコを吸ってほしいと言う人、廊下で老人を叱責する人、そして彼の連れ合いに助けを求める人もいました。しかし、変化がみられるどころか、老人は反抗的になり、「これがわしだ。お前らに何ができる!」という具合でした。隣人たちは悩むばかりでなす術がなく、どうしようもないと嘆くしかありませんでした。
法輪大法を修煉している私は、師父の教えに従うべきだと考えました。「日頃いつも慈悲の心を保ち、善をもって人に接し、何かをする時にはいつも他人のことを考え、問題が起きた時はいつも他人がそれに耐えられるかどうか、他人を傷つけることはないかを考えていれば、何の問題も起こりません。したがって、煉功にあたっては、高い、もっと高い基準で自分を律しなければなりません」[1]という師父の法理から、私は善をもってこの問題に対処すべきだと悟りました。
私は常人が持つ怨む心や汚さを嫌がる心を放下し、洗剤に浸した雑巾で廊下を拭いたり、乾いた痰を濡らして除去したり、タバコの吸い殻をきれいに片付けました。時々老人がたばこを吸い、廊下に痰を吐く場面に遭遇すると嫌な気持ちが込み上げてきますが、すぐにそれを抑えて「大法修煉者として、私は無私無我で、完全に他人のためになる生命を目指そう、実践! 実践!」と考えました。
こうして一冬が過ぎて、私が心から老人に寛容になり、彼が廊下でタバコを吸ったり痰を吐くときでも温かく声を掛けて、少しも怨み言を言わずに廊下をきれいに掃除するようになったとき、思いがけないことが起きました。ある日、お爺さんが訪ねてきて、「いつもうちの家の前のゴミを掃除してくれているのはお宅だよね」と恥ずかしそうに、半分は感謝して尋ねました。夫が「家内がやっていました」と彼に教えると、老人は多くの感謝の言葉を述べました。
お爺さんは本当に変わりました。しばらくしてから私はある変化に気づきました。廊下に痰もタバコの吸い殻もなく、煙もなくなって、新鮮な空気が戻ってきました。老人の戸口を通る度に私は彼の努力に感謝し、彼が向上のチャンスを作ってくれたことに感謝しました。
法輪大法によって頑固で僻みっぽいお爺さんが変わり、自分の過ちを心から改めました。法輪大法によって私が変わり、無私で他人のために働くことができる人に生まれ変わりました。そして法輪大法が隣人たちの生活環境を改善し、彼らを苦悩と無力感から解放しました。大法は一切の正しくないことを正し、福で衆生を遍く潤すことができます。