文╱中国の大法弟子
【明慧日本2019年6月18日】修煉の中で、些細な執着心に気を付けなければ、私達の修煉及び衆生の済度に影響を与えてしまう恐れがあります。
昨日、発正念をしていた時、突然、自分の空間場に黒い記号のように長く伸びた読点のようなものが現れました。それを掴まえ、潰そうとしましたが、いくら力を入れても潰せませんでした。自分の心の中にはまだ何かを放下していないのだ、とすぐ分かりました。しかし、それはいったい何でしょうか?
あれこれと考えて、突然、あの黒い記号のようなものは音符ではないかと気付きました。それは自分の常人の音楽に対する執着心がもたらしたものだと認識しました。それが分かってから、今度は手を軽く振ると、あの黒色の記号が手の中で忽(たちまち)ち崩れて消えました。
師父は『音楽創作会での説法』で明確に説かれました。「魔の首魁がいる期間のものは全部使いません。中に邪なものが充満しています。あの時期、人類は魔に制御されていたのです」。一部の歌謡曲は表面上では邪悪の党文化の要素がなさそうに見えても、実際に歌を歌う人、作曲をした人、演奏する人、或いは曲自体が党文化の要素を多く備えていて、それは私達が聴いても分からないものです。
百歩譲ってたとえ党文化の要素が入っていなくても、常人の音楽は常人の感情を表現するもので、中には多くの不純物が含まれています。大法弟子としては、常人の音楽に対する執着心を取り除くべきです。聞きたければ、大法弟子が創作した音楽を聴きましょう。