文/中国の大法弟子
【明慧日本2019年6月25日】私は小学校3年生の頃から両親について法輪大法を修煉してきました。当時、私は毎日学法と煉功をしていたので、その後の修煉のために基礎を築きました。両親が中国共産党に迫害されてから、私は学法と煉功ができなくなりました。しかし、大法に対する信念と大法を守る心は変わることがなく、種のように私の心の底に蒔かれていました。
時の流れは速いもので、成人した私は中学校の同級生と結婚しました。夫は私の家族が大法を修煉することを認めていましたが、私が修煉することには反対でした。当時、常人の状態だった私は夫の要求に応じましたが、大法を信じる気持ちは変わりませんでした。「私の心の中に大法がある」と夫に言うと、夫は「心の中にあっても構わないが、修煉するのはだめだ」と言い切ったのです。夫は修煉のこと以外、他のことは何でも私の言うとおりにしてくれて、夫の両親も私を大切にしてくれました。このような生活が何年も続きました。
私は暇があると、いつも実家に行って両親と一緒に師父の新しい経文や明慧ネットに掲載された同修の交流文章を読んだり、また法を実証することも手伝いました。実家で数年前の神韻のDVDを見たこともあり、伝統文化の物語や、密勒日巴の修煉の物語なども聞いたことがあります。小さい時に学法をしたことがあるため、師父が語られた「自分のものなら、無くなることはないし、自分のものでなければ無理に争っても得られません」 [1] という法理が分かっているので、人と争わない性格となり、何か特別な趣味もありませんでした。私にとって唯一好きなことは大法のことなのに、自分の怯える心と家族からの圧力で、なかなか真の大法弟子になれず、苦しい思いをしていました。家にいる時、私はいつも夫に大法の素晴らしさと大法の真相を伝えましたが、共産党の党文化に溺れた夫は信じようともせず、2人の交流はいつも口論で終わりました。
このような状況が続いている中、2018年末に私の一家は幸運にもカナダのバンクーバーに移住し、新しい生活がスタートしました。2019年3月に神韻芸術団の公演がバンクーバーであると知り、私はとても喜び嬉しくなって、夫と息子も一緒に観賞するよう望みました。
意外なことに、夫は自分だけではなく、息子と私まで行かせませんでした。しかし、神韻公演を観に行く私の決意は固いものでした。実は神韻を観るために、私は住所を他の所からわざわざバンクーバーに決めたのです。私の自由を制限していること、私は必ず観に行くという堅い決意を夫に伝えました。私の凛とした態度を見て、夫は譲りましたが、私1人で行くことしか許しませんでした。
神韻が主流社会の公演だと知っていて、私はとても大事にしました。公演の当日は快晴でした。3月のバンクーバーはまだ少し寒さを感じましたが、正装で劇場に向かいました。観客席で静かに公演の開演を待っていました。全てがきれいで、和やかな雰囲気に包まれて心地よく感じました。それに劇場で直接神韻を観られることに感激しました。
舞台の幕が開いたとき、私は目の前の光景に震撼し、まるで美しい天国から仙女たちが降りてきたように感じました。その瞬間、思わず涙が溢れてきました。全身が心地よく、師父がおっしゃったとおり「自分が卵の殻の中に坐っているかのような」 [2] 非常にいい気持ちを感じ、寒さも感じませんでした。他の演目を観る時も涙が止まらず、言葉では表現し難い気持ちでした。ここに座らせて頂いていることを師父に感謝し、とても幸せに思いました。私の隣席は地元・カナダの女性で、何度も涙を拭いているようでした。たぶん私と同じように涙を流しながら神韻を観賞していたのだと思います。
神韻公演を観賞してから1カ月間、私は何度も夢を見ました。夢の中では自分が想像し難い汚い所にいるのが見え、気持ちが悪くて目が覚めました。師父が私に、このような状態から離れるようにヒントを与えてくださっているのだと思いました。しかし、夫の強い圧力に対抗する勇気がないことを、私はとても苦痛に感じました。そんな時、私はある同修のことを思い出しました。彼女の家はここからそんなに遠くないのですが、私はまだ行ったことがありませんでした。5月初めのある日、私は勇気を出して同修に電話をかけ、助けを求めました。親切でやさしい同修は私の話しを聞いて、ある同修のことと似ていると言い、その同修を紹介してくれて一緒に交流するようにと言った後、私に学法することを教えてくれました。私は夫に内緒でネットで師父の説法を学び、少しずつ正念を固めました。それから紹介された同修と交流ができ、彼女の話しに感動し、さらに正念を強めました。学法することによって怯える心がだんだん弱まり、毎日時間があると、私は学法と煉功をしました。
一週間後、初めての試練がやってきました。夫は私がショートメールで大法弟子と連絡をとっていることを知り、私を阻もうとしました。私の心は穏やかで動揺せず、夫に自分の考えを述べました。納得しない夫は、私の固い決意を感じたのか、2、3日間膠着状態でした。仲睦まじい私たち夫婦にとって、これは結婚以来初めてのことですが、私は左右されず、学法と煉功を続けました。その間、夫は何度も泣き出しました。私はできる限りやさしい口調で、どうして私が修煉の道を選んだのかを話してあげました。最後に夫は私に「君1人でこの家から出て行って! 子供の世話は中国から両親を呼ぶから」と命じました。
これを聞いた私は同意しませんでした。修煉する為に離婚するのは大法の要求に符合していないし、同修たちも私に家庭の中のことを良く行い、大法を圓容するようと教えてくれました。私ははっきりした態度で夫に「あなたの考えには同意できない。法律から見てもあなたが間違っている。信仰の自由は私の権利である」と言いました。すると、夫は頭を下げて泣いてしまい、しばらくして私に「分かった、君はこれから煉功してもいい。ただし私と子供の前でなければね」と譲ってくれました。私は当時の雰囲気から夫の要求を受け入れましたが、今考えてみると、やはり妥当ではない部分があったと思いました。それにしても私は自分の修煉環境を確保することができ、自分の家で正々堂々と学法と煉功することができるようになりました。
私は師父に感謝し、また同修たちの助けにも感謝します。やっとこの修煉環境を手に入れたのですから、少しの時間も無駄にすることはできません。毎朝五式の功法を一気に全部煉り、少しでもやる気が緩むとすぐ妨害が現れます。師父はこのように説かれました。「皆さんの道は、皆さんが既に目にしたと思いますが、実は非常に狭いのです。少しでもずれてしまったら、あなたは大法弟子としての基準に合わなくなります」 [3] 私は毎日関門を通過していました。
また、ある日、私が同修の家に行ったことを知り、お酒を飲んだ夫は機嫌が悪くなり暴言を吐きました。私は善意を持って説明しても聞こうともしない夫は、最後に私に「この家からこのまま出ていけ!」と責めました。私は落ち着いて夫に「いいわよ、お金なんか1円もいらないから、このまま去っていくわ」と言うと、夫は「自分には責任はない!」と言い、私は「あなたは私を家から追い出そうとしているのよ。大法を選んだ私は、一度も家庭を放棄しようと思ったことはありません!」と弁明しました。私の話に逆に夫が思わず笑い「よかった、少なくとも私達には金銭面の問題がないからね」と口調が緩みました。これは私に対する試練だと分かりました。心が動じない私を見て、夫は何も言わなくなりました。普段の生活の中に、小さな試練が毎日のように現れますが、私は左右されず、大法の修煉をやり遂げる決意に揺れはありません。
私は毎日学法をしています。法の基で法を認識する過程で、私は師父がいつも私の側で私を見守り、私を励ましてくださっていると感じます。私は何度も大法の本を読みながら、涙が流れてきて、私に再び修煉の機会を与えてくださった師父に、感謝の気持ちで胸がいっぱいになりました。
現在、私の修煉環境をますます良くなり、大法の真相を伝え、大法を実証することもできるようになりました。ある友人は私が三つのことをやっているのを見て「あなたは今とても充実しているわ、意義のある事をやっているから」と褒めてくれました。これは師父からの励ましの言葉だと思いました。これからも大法弟子として三つのことをよく行い、自分を厳しく律し、修煉の中で心性を高めていきます。
私の体験を通じて、同じく新たに修煉に戻る同修たちに伝えたいのは、決心さえあれば師父が助けてくださいます。今でも私は、当初あれほどの大きな障碍を突破し、再び大法の修煉に戻れたことを信じられません。私にとって何も失ったものはなく、本当に失ったのはその執着心だけです!
注:
[1] 李洪志師父の著作:『轉法輪』
[2] 李洪志師父の著作:『大圓満法』「三、動作機理」
[3] 李洪志師父の著作:『各地での説法三』「大ニューヨーク地区法会での説法」