文╱ニューヨークの大法弟子
【明慧日本2019年7月1日】最近メディアの仕事で遭遇した問題を通じて、どのように正法時期に全体に責任を負うかについて、いろいろと考えてみました。その考えを皆さんと交流したいと思います。
私は華人向け番組のアナウンサーです。メディアの仕事に深くかかわっていくうちに、いろいろ問題が出てきました。例えば、
最初の頃、私は出てきた問題を丁寧に指摘していましたが、同じ問題が繰り返されると、嫌な気持ちが出てきて徐々に不平不満に思い、他人の指摘にも厳しくなり、完全に物事自体が正しいかどうかになってしまいました。外に向けて他人の問題ばかりを見て、自分が修煉者だということを軽んじていました。それでも、自分は全体に責任を負っていると思っていました。最近、プロジェクトの担当者に病業の現象が現れたことで、私は全体における法の実証について自省しました。師父は「皆さんは、『自然』というものは存在せず、『必然』には原因がある、ということをはっきり認識しなければいけません」[1] 、「彼らが相手のどうこうを見るときの目で、逆に自らを見ることができれば、と思います」[2] と説かれました。