【明慧日本2019年8月18日】不当に懲役5年の実刑判決を言い渡された遼寧省朝陽市の法輪功学習者・謝宝鳳さん(45)は、遼寧女子刑務所で残酷に迫害されて2回も危篤状態になり、現在、依然として食事が取れない状態にある。それでも刑務所側は「転向しないと釈放しない」と執拗に主張した。
謝さんは遼寧省朝陽市に在住していた。2017年、謝さんは朝陽市朝陽県裁判所により懲役5年の実刑判決を言い渡され、同年12月5日に瀋陽女子刑務所に収監された。2018年、元々健康だった謝さんは迫害されてから病状が現れ、治療が早く行なわれなかったため、病状はますます深刻になった。そして長い間、食事が取れなくなり、ものを食べるとすぐに吐き出してしまう状態が続いている。その後、謝さんは人事不省になり、危篤状態にさらされ、瀋陽739病院の集中治療室に運ばれた。家族に切に頼まれた医師はやっと謝さんの手術をした。
意識が戻ってきた謝さんは、またしても女子刑務所内部の医院に移送され、この内部医院は環境が悪く、そこで謝さんは再度、人事不省に陥った。救急手当を受けて一命をとりとめたが、それから現在まで、謝さんは非常に衰弱しており、食事が依然として取れない状態のままでいる。それにもかかわらず、刑務所側は謝さんに信条を放棄するように、毎日強要し続けているという。
謝さんは善良な女性であり、法輪大法の信条を堅持していたため何度も連行された。それでやむを得ず放浪生活をしたこともある。その後、2年間の労働教養を強いられ、2004年に懲役10年の実刑判決を受けた。現在、またも懲役5年の実刑判決を言い渡された。
謝さんについて姑はつぎのように語った。「1999年以来、宝鳳は何度も迫害を受けた。警官らは常に家に駆けつけて来て嫌がらせをされ、落ち着く日は1日もなかった。宝鳳は1回目連行された時に、十家河套に入れられ拘禁された。そこで、悪辣な警官らは宝鳳を殴ったり、罵ったりした。4、50日間拘禁された後、またさらに、西大営子洗脳班に移送されて1カ月以上も拘禁された。それから2年間の労働教養を強いられ、馬三家労働教養所に入れられた。そこは地獄そのままで、我が家の宝鳳はそこで残酷な迫害を受け続けた。ご飯も満足に食べられず、常に殴打され、罵られ、毎日十数時間の重労働を強要され、2年間ずっと奴隷のようにこき使われた」
「宝鳳は家にいなかったので、家の仕事はすべてこの年老いた私がやらなければならなかった。農作業をやり、息子と孫の食事を作り、洗濯(手で洗う)などすべて私がやった。毎日苦労して、腰も足も痛くて疲れ果てた」
「2001年9月に宝鳳はやっと解放されて帰って来た。宝鳳が帰ってからは、家事や農作業など全てやってくれたので、私は楽になった」
「2002年11月に中国共産党第16回全国代表大会の前、当局の人員らがまた宝鳳に嫌がらせをしにやって来て、『保証書』(法輪功の修煉を放棄する約束)を書くように強要した。保証書にサインをしなければ、再度、洗脳班に連行していくという。仕方なく、私と息子も宝鳳が家を離れて身を隠すことに賛成した。宝鳳が家を出て間もなく、村の共産党書記が警官ら一団隊を連れて、宝鳳を連行しようと家に駆けつけて来た」
明慧ネット2005年3月6日に次のような報道がある。「瀋陽大北刑務所に拘禁されていた謝宝鳳さんは、法輪功の信条を堅持していたため迫害を受け続けている。毎日十数時間の労働を強要された謝さんは非常に痩せており、顔色も悪く、しかも少し腫れ上がっており、これは病状の現れである。それにも関わらず、警官らは依然として謝さんに労働を強要している。厳寒な冬にもかかわらず、髪の毛は全部刈られて坊主頭にされていた。だが、謝さんが着ているコートには綿花が咲いていた」
明慧ネット2006年10月19日の報道に、遼寧省女子刑務所において法輪功学習者への迫害について次のような記事がある。「謝宝鳳さんは刑務所の警官らに指示された受刑者によって髪の毛を掴まれ、頭をヒーター暖房機に叩きつけられた」
ここで、謝さん一家に関心を寄せていただき、謝さんが一日も早く解放されるように、善良な方々に呼びかけたい。
(注:法輪功学習者を迫害している主要な責任者らの情報は、中国語のページを参照)