文/北米の大法弟子
【明慧日本2019年11月14日】私は60歳の時から法輪大法を学び始め、もうすでに20年経過しました。修煉している20年の中で、今では自分の年齢が逆戻りして、若くなっているように感じています。体が一歩一歩若者の方に向かい、60歳のときには80歳に見えていましたが、現在では80歳にもかかわらず、60歳に見られています。
『轉法輪』という宝の本を得る
20年前に、私はさまざまな魔難に遭いました。釈迦牟尼佛が言われたように人生は八苦で、「怨憎会苦(おんぞうえく)」、「愛別離苦(あいべつりく)」があります。夫は不治の病にかかって治療をしたものの、最終的には亡くなりました。夫の看病で、私は心身ともに極度に疲れました。そして、息子は外国に定住しているため、私は孤独でした。その上、社会的にも不公平なことで苦痛を与えられました。一連のことで、私は体のあちこちを患い、長年にわたって不眠症になってしまいました。
1996年、私はカナダに来て、息子と団らんしました。カナダに良い医療技術がありますが、医者も私のこれらの病気には手をやき、とても手に負えませんでした。ある日、私は知らない人から手紙をもらいました。手紙を開けると、安楽死について私と討論したいという内容でした。当時の私は確かにいつも死にたいと考えていましたが、知らない人からも私と安楽死を論ずると考えると、まさか、「死神が私を招いているのではないか」とさえ思いました。
キリスト教徒や佛教徒の友人に、彼らのモノを信仰するようにと勧められました。以前、私はキリスト教の教会に行ったことがあり、佛教にも帰依したことがありますが、しばらくしてから、止めてしまいました。それらの所では私の心が安らかになれませんでした。
1997年のある日、私はモントリオールである小さな中国語新聞の中で、『轉法輪』を紹介した文章を読み、その内容に引き込まれました。私は学者で、儒教や釈教、道教を研究する仕事をしていました。しかし、『轉法輪』の紹介を読み、その立論が学術界のレベルを遥かに超えて奥深くて、超常的なモノであると感じました。
あれ以来、私はこの本をあちこち探し回り、『轉法輪』をぜひとも読みたいと思いました。残念ながら数カ月たっても、なかなか手に入りませんでした。その年の年末、私は友人に電話をした時に、どうしても『轉法輪』を読みたいと話しました。その時なんと、この友人は近くにいる法輪大法の修煉者と知り合いだと言われ、友人がその修煉者の電話番号を教えてくれました。
1998年の初め、私はやっと住んでいる場所の近くにある法輪功の煉功点で、『轉法輪』という宝の本を得ました。それから、私は飲み食いを忘れるほど、一気に『轉法輪』を読みました。
あれ以来 一歩一歩若者の方へ逆戻りする
本当に不思議なことが次々に起きました! たったの一週間で、私の病気が徹底的に治りました。私は健康な人と同じように薬を飲まず、普通に寝れるようになりました! 当時、本当に自分がとても幸運な人だと感じました。その当時、私はまだ法輪功の煉功動作もまだ完全にマスターしていませんでした。
そして、たった半年の修煉で、私は李洪志師父が本の中で書かれた法理や、修煉の中で出てくる奇跡を体験しました。ある日、私は『轉法輪』を読んでいると、突然、一つの清流が頭頂部から全身、足先まで流れていくのを感じました。その際、私は吹き出してしまい、口が閉じられないほど大笑いしました。以前の発病のときの心身の苦痛を、この時にきれいさっぱりと、師父が洗い流してくださったと感じました。
60歳前ぐらいから私の体も老化し始め、夜の10時を過ぎると好きなドラマを見たくても、耳で聞くしかできず、目で見る力がなくなりました。しかし現在、80歳の私は急ぎの事務がある場合、夜中の1、2時まで仕事をしても平気です。今、私は一歩一歩と若者の方へ心身が戻っています!
1999年7.20以後、私たち修煉者はたくさんの魔難に遭いました。ある善良な友人から「あなた達は法輪功を堅持していることで、多くの苦を嘗めましたが、もし、最後になっても天堂を見ることも、佛を見ることも出来なかったら、後悔しますか」と聞かれました。私は「今の私は、片足がすでに天堂に入っています。後悔すると思いますか?! 絶対に、後悔しません」と答えました。
私はいつも昔の友人が病気の体になり、人生の楽しみを失ったと聞かされ、本当に心から哀れであると思います。というのは、彼らが機縁を失ったことを知らないからです。
修煉の中で 苦楽を味わう
修煉する中で「苦」は確かにあります。しかし、「苦の後に、楽あり」とよく言われます。私は20年の間、毎日2時間煉功し、昼間忙しいと夜にその分を補い、夜中の1時、2時に寝ることがしばしばです。真相を伝える大イベントの時に、風の日でも雨の日でも中止することはなく、私たちは堅持しました。実を言うとそのとき、確かに体は苦痛を感じますが、我々は修煉者だからこそ、その辛い環境を乗り越え、苦を嘗めなければならないと考えると我慢が出来ます。
以前、私はとても短気で心が狭く、いつも些細なことで怒ったり、恨んだりしました。家族や同僚、友達とトラブルが絶えず、周りには「敵」が多くいました。しかし法輪大法を修煉してからは、師父は私たち修煉者は誰に対しても、「真・善・忍」で接するようにと教えてくださいました。
「真・善・忍」は誰でも良いものだと思っていますが、実践すると、なかなか容易ではありません。私はあるプロジェクトに参加し始めたとき、経験がなく、前任者も短気な人でした。前任者から数回教えてもらいましたが、私はなかなか要求通りに出来ませんでした。そのことで、前任者は私を厳しく叱りました。それで、前任者から電話がかかってくると、私は恐れて心拍数が上がりましたが、どんなに言われてもまず忍耐し、「ありがとうございます。もう少し頑張ります」と答えました。しばらくたったある日のこと、その前任者は私に「以前、私はあなたに善を持て接しておらず、すみませんでした」と謝りました。私は「自分の仕事のレベルの向上を助けてもらい、また、『忍』を修めることを教えてもらい、心から感謝しています」とお礼を言いました。その後、私とその前任者はよく協力し合って、仕事を進めました。
以前、家で私はいつも小さな事にでも、すぐに不機嫌になり、利益や損得をすぐに考えていました。「子供たちをよく育てたのだから、子供たちは当然、私に恩返しをしなければならない。子供も成人して結婚もしたのに、なぜ、私はまだ子供たちの世話をし続けなければならないのか」と、自分が損したと思いました。
修煉をし始めたばかりの頃、ちょうど息子は転職した時期でした。ですから、住んでいた家を売るため、家の片付けや整理、掃除をしなければなりませんでした。息子はすでに新しい職場に行ったので、私と嫁が家にいるものの、嫁は子供を産んだばかりでした。「え、物を運んだりするなど私1人でやらなければならない」と思ったとき、「以前、私は病気の体で苦痛を味わい、心も辛かった。そお原因は何でしょうか」と考えました。師父が「それらはみな自分自身の業力によるものです」[1] という説法を思い出し、「苦を嘗めれば、業も滅することができる。これはいいことではないか」と考え直し、心も体も軽やかになり、気持ちよくあと片付けを始めました。
家では孫の世話をし、家族のご飯を作らなければならないし、毎日が忙しいのですが、「自分が家事を多めにやれば、家族みんなの生活が楽になり、良くなる」と考えるようになりました。家族とトラブルになったときも私は出来るだけ怒らず、我慢をするとトラブルもすぐに過ぎ去りました。このように心がけると、我が家はいつも穏やかで、和やかです。
修煉のおかげで、私が一番変化したことは、謙遜になりました。というのは、人が世々生々で多くの業力を作ったことがわかったからです。師父が「宇宙では業力の多い者こそ悪者であると定められており」[1] とおっしゃいました。全身業力だらけの私は我慢できるものがあるか。魔難の中で業力を消去しなければならないので、誰かに怒られたとき、私は「ありがとうございます」と言います。例えそのとき、自分の間違いがわからなくても、その後、自分の内に向かって探すようにしています。
修煉によって、私の悪い性格がだいぶ改善されて謙虚で寛容になり、友達がたくさんでき、「敵」がいなくなりました。周りの環境は平和で、愉快なものになりました。
現在は人類社会の道徳水準の低下で、人々が良いことと悪いことを分別できなくなりました。修煉者の私たちは、「真・善・忍」を守り、相手のことをまず優先に考え、一歩下がって自分の失と得のことを考えません。そのようにすれば、心がますます清浄になり、苦悩することがずっと、ずっと少ないのです。
人類社会で、「忍耐」することによって、利益の面で損失があるかもしれませんが、得たものは精神的な愉快さや体の健康です。これは一番良いものではありませんか! これは私が大法の中で得た啓発です。これが80歳の私が、60歳に見える秘訣でもあります。
注:
[1] 李洪志師父の著作:『轉法輪』