文/中国の大法弟子
【明慧日本2020年2月3日】周りの同修達の交流からよく耳にしたのは、病業の仮相が現れた同修がいたら、たくさん発正念をし、心の中で、旧勢力の按排を全て否定するようにと注意することであるという。
私はこれについて同修と交流したいのですが、正念で旧勢力の迫害を否定する以外に、他にも否定できることがないのでしょうか?
様々な妨害の形に直面して、正念で否定する以外にも、私たちは自分の一言一行、一思一念で邪悪な旧勢力の按排を徹底的に否定すべきだと、ある同修は悟りました。
例えば邪悪な旧勢力は、大法弟子が行なう三つのことに八方手を尽くして妨害し、大法弟子が「真・善・忍」に同化することや、大法を実証することを阻止しています。私たちはこれらの邪悪な目的を絶対に達成させてはならず、認めることも、協力してもいけません。
では、どうすれば出来るでしょうか? それはいかなる環境下でも、三つのことをしっかりと行なうことです。
例を上げましょう。ある同修は真相を伝えている最中に警官に連行され、30日余り拘禁されました。数カ月後、この同修に会った時、拘禁された期間中はどんな気持ちだったのかを聞きました。同修は「その時、時間が経つのが早いと感じ、あっという間に三十数日が過ぎました」と答えました。私はとても驚きました。以前、聞いていた迫害を受けた同修の話では、刑務所内での日々は本当に耐えられないものであったと言い、自分もこのような経験をしたことがあります。では、この同修はどうして時間が早いと感じたのでしょうか? 同修に「この期間中に何をしていたのですか? どうして時間が早いと感じたのですか?」と聞きました。同修は「私は毎日法を暗記して煉功と発正念をし、周りの常人に迫害の真相を伝えたり、三退を勧めていました。まだ何人も伝えていないのに、1日はすぐに終わりました。毎日繰り返して、30日はあっという間でした」と話しました。
同修の話は多くはなかったのですが、深く考えさせられました。迫害されているという概念は、この同修の経験からはほとんど見えませんでした。
この同修のことは以前からよく知っています。同修の食べ物に対する欲望はまったくなく、この肉身を維持する程度であればよく、三つのことを行なうことが出来れば、食べものに関しての欲望は何もありません。どこかの資料拠点や人を救うためのプロジェクトの資金が困難な時、この同修はいつも1万元、2万元(およそ31万円)を協力してくれ、しかも1回、2回だけではありません。しかし普段、家での自分の生活水準はとても低く、わざとではなく、生活面に対しての執着がほとんどなかったからです。そのために拘置所での悪い環境下でも、あまり苦痛を感じなかったのかもしれません。
同修の忍耐力は、知っている同修の中では強い方だと思います。例えば交流の際に同修は「足を組んで坐禅をする時、足が痛いのですが、でも長く坐禅をしたいと思うならば一晩でも、一日でも大丈夫です。痛みだけですので、我慢すればクリアできます」と交流したことがあります。同修はこのように苦しみに耐える能力があるから、他の人が言っていた拘置所内での辛さは、この同修にとってはあまり感じなかったのです。また、心の中は三つのことをしっかり行なうように専念しているので、家に早く戻ることをあまり深く考えなかったようです。それで、三十数日の拘置所生活はあっという間に過ぎていたということです。
家に戻った同修はすぐに真相を伝えるチームに参加しました。その後、他の同修と交流した際に、この同修は、師父の後期の説法については勉強不足であることに気づき、師父の要求される基準に達していないことが分かり、師父の後期の説法に力を入れて勉強して、収穫はとても大きかったそうです。
交流の後に、私は交流内容をまとめてみました。
(1)同修は普段から法に照らし、法に従い、常人の贅沢な生活をうらやまず、こだわりません。
(2)一心に、三つのことをより良く行なえるように、常に考えています。
(3)苦しみに耐える能力が強く、苦を恐れないため、今回の迫害の衝撃をさほど受けませんでした。また、固く師を信じて法を信じ、心の中では常に師父が要求されたことしか考えておらず、解放後でも真相を伝えると酷く迫害されるという観念はなく、恐怖心も生じていないことです。
今振り返ってみると、邪悪な旧勢力が「刑務所の形」でこの同修を迫害する計画は完全に失敗しました。この同修の経験から私が深く感銘したことは、「私たち修煉者が法に要求された通りに何事もすれば、そして、師父が按排された道をしっかりと歩めば、徹底的に旧勢力を否定することになる」ということです。
同時に「師父が私たちに邪悪な旧勢力の目的と手段を教えて下さったのは、恐らく、法を正す時期の大法弟子に本当の修煉環境の状況を認識させる意味もあり、そうすることで識別することができ、表面上の仮相を見破ることもでき、物事の背後にある実際の要素を見抜くこともできます。また、大法弟子は人の観念に影響されないように、人心や人の観念で思惟や言行を制御されないようにすれば、修煉の道の中で正念正行することができる」と悟りました。
これは個人の悟りであり、法に則っていないところがあれば、同修のご指摘をお願いします。