文/中国の大法弟子 小金剛
【明慧日本2020年2月4日】師父は「病気という言葉さえ聞きたくありません」[1] と説かれました。私には「病」という認識がありません。その「病」に代わり難関を乗り越えることです。一部の同修は関を乗り越えられず、この世を離れましたが、私はいくつかの関を乗り越えた体験を通して交流したいと思います。不適切なところがあれば、ぜひご指摘をお願いします。
1999年7月20日(中国共産党が法輪功への弾圧を始めた日)以前に私は海南省で生活していました。夜は、すこし寒いのですが、蚊がたくさんいます。寝る時に掛け布団を1枚かければ温かいし、蚊も防ぐことができます。ある日同僚が掛け布団がないので、私の掛け布団を欲しいと言いました。私は修煉の中で偶然なことはないと思って、自分の掛け布団を譲りました。
夜になると、多くの蚊が私を刺しにきました。私は動かないようにして、身体を動かさないだけでなく、心も動かないように、第五式の功法をする前の口訣である「心には慈悲を生み、顔は祥和の意を帯び」[2] の基準で自分を律しました。私は動かなかったので、多くの蚊が私の体を刺して来て、全身が腫れてしまいましたが、私はまだ動かず、蚊に吸われたものはすべて私の業力だと感じました。最後に、業力がなくなり、非常に気持ちがいいと感じました。このようにして約半月過ぎたとき、同僚は掛け布団を私に返しました。それ以後、蚊は私をめったに刺すことがなくなりました。たまにあっても、私はあまり感じないのです。
蚊に刺される関を乗り越えたあと、私の頭上に握りこぶしの大きさの腫物が出来て、蚊によく刺されましたが私は心を動じませんでしたが、その痛みは大変辛く、連続して激しくなり、その辛さは言葉で表現できませんでした。時々、万以上の針が心臓を猛烈に刺しているように、時々剣が頭上から内蔵まで刺しているように、数え切れないほどの剣が頭上から胸を同時に刺しているようで、たいへん辛かったのでした。
父(常人)は私の様子を見て、医者に相談しました。医者は、「頭上にこのような腫物ができたら、ライオンでも、痛くて床で転げ回る。治療しないと、命にかかわる」と言いました。そのうち、腫物は数回破れて血膿が流れ出し、私の背中は血膿でいっぱいでした。常に痛くて数回意識がなくなりました。私はできるだけ大法の書籍の棚に近づいて、最高の敬意の心を持って師父と大法に叩頭しました。
頭上の腫物が臭いので、ある同修は、大法に良くない影響を与えるからという心配で、私を煉功点に行かせないようにしました。しかし、一部の同修は、私が今生死の関を乗り越えていると思って、煉功点へ行くべきだと思っていました。その時、私はまだ25歳の青年でした。私より5歳年下のある男性同修は、優しくて、毎日仕事が終わったら、遠いところから、バスに乗って、私の家にきて、私と一緒に法を勉強してくれました。その場面を、私は今でも覚えています。この関について、約8カ月経ってやっと乗り越えました。その間、私が師父の写真を見る時は、師父はいつも厳しい表情でした。私は毎回師父に、「師父、ご安心ください。私は必ず乗り越えます」と言いました。
その関を乗り越えているころ、私はずっとアルバイトをしていました。社長は私に「病院に行ったか」と聞き、私は「私は修煉者です。私はミラレパ佛のように修煉します」と答えました。社長は私に親指を立て(人をほめる動作)「すごい」と言いました。(当時、私は関を乗り越えている途中なので、大法に良くない影響を与えてはいけないと、大法を修煉していると言っていませんでした)
このようにして、約8カ月過ぎたある日、私は「今私が耐えたすべての苦痛は、師父の私に対する無量の慈悲です。私は命を使っても師父の恩を返せません」と悟り、急に、師父に感謝する気持ちが溢れて、師父の写真の前に跪いて涙が溢れ、師父の写真に叩頭しました。その日の夜、私の頭上の腫物が再び破れて、血膿が背中に流れ服に滲み通りました。その後、腫物が消えて行き、創傷も徐々に治り、私はやっとこの関を乗り越えることができました。
この関を乗り越えて坐禅する時、頭上は無限の空のように大きく感じ、その大きさは無量の宇宙、無量の天体を置けるように感じ、再び人間の世間を見ると、遠く離れて、私と完全に無関係だと感じ、完全に違う体系だと思いました。
当時(1999年7月20日の前)、再び人間の拷問を見て、私はとんでもないと思い、すべての人間の拷問に私の心は動じないと感じました。大法が私に忍耐力を与えてくださり、再び生まれ変わっても、私は人間の拷問を乗り越えられると思います。
1999年7月20日以後、私は法を実証したため、共産党に迫害され、いろいろな拷問を受けました。拷問されて、肋骨が6本折れ、数十キロの重さの鉄の枷(罪人に付ける鉄の鎖)と、両足と両手を繋ぐ枷をつけられました。私の身体は穴だらけになって、穴の深い所から骨が見えました。足首の骨が丸から四角に削られるような拷問を私は笑いながら乗り越えました。拷問を受ければ受けるほど、私は修煉の心が、まるでダイヤモンドのように堅固になりました。この時、私が自分の心を見ると、真にダイヤモンドのようにピカピカしていました。拷問によって受けた苦痛は、以前頭上の腫物の苦痛には及びもしませんでした。
残酷な拷問を受けている時、他の空間の邪悪も拷問を使って私を迫害しました。『佛家の人物の参考資料』の中に書かれた多くの魔が釈迦牟尼佛を攻撃するように、多くの邪悪は私の功柱を攻撃して、別の空間の中で、私を十字架に磔にし、熱湯で火傷をさせるなど…。私は人間の空間と他の空間で攻撃されて、関を乗り越えることは難しかったのです。しかし、法は私に殊勝な面を現して、「もしこれらの拷問を乗り越えれば、たとえ生まれ変わって、自分のことが分からなくても、あなたは必ずあなたが生まれたところに帰ることができる」と啓示しました。師父は、「瓶の中の汚いものを全部出してしまえば、押さえても沈まず、完全に浮き上がってきます。それはその位置にあるべきだからです」[3] と説かれました。これは当時、私の次元で啓示された法理です。
釈放された私は家で学法と煉功を続けて、9日目の時、巨大な両手が私の折れた肋骨の両端を繋ぎ合わせ、折れた肋骨が回復しました。これは師父の手であると分かっていました。
その後、私は同修の家に行って、同修の家に大きな師父の写真を供えました。私は師父の写真の口が動いているのが見え、空中に一つずつ金色の文字が現れ、同時に、「私の子よ、もしすべての拷問に対して、あなたが乗り越えられるなら、たとえ生まれ変わっても、再び洗脳されても、あなたは必ず私のところに帰ることができます」という師父の荘厳で慈悲なる声が聞こえました。そして、一つの法が現れました。「皆さんも覚えていると思いますが、わたしが法を説いた時、ある学習者が、修煉者は自分の生命が生じた時よりさらに高い果位まで修めることができますか? と質問したではありませんか。修煉者がたとえどのような情況にあっても生死の念を放下できたならば、邪悪は必ず恐れ慄いてしまいます。すべての学習者がみな、それができるのであれば、邪悪はおのずと消滅してしまうのです」[4]
私は、この特殊な法を正す時期に、「もし私たちが真に自分の全てを放下することができれば、心の中に恐怖心、利益の心、情、如何なる観念(異なる次元の神の観念を含む)、自我などがなければ、死水のように何もなく、さらに自分が生まれた次元の全ても放下でき、心の中に、師父と大法だけがあり、一心にこの法に同化すれば、もともと生まれた自分を越えられる」と悟りました。
ある日、私はバイクに乗って、坂を降りる時、真相のポスターを貼れるところを見つけました。私は嬉しくて、前方に気づかず、転んで膝を傷つけました。私は気にしませんでしたが、その傷が深くなって、骨が見え、たくさんの緑の膿が流れました。ある医者の同修は、「緑の膿が出るのは、危ない」と言いました。私は膝にむけて発正念を始めました。一定時間ごとに発正念をした時、膝のところが熱いと感じ、膿も流れており、最後の正念は夜12時でした。その後、私は寝ましたが、朝起きた時、私の膝は完治して、まるでそもそも傷がなかったように完治しました。
約2年前のある日、水を出すビニールホースに、ガラスの破片や砂などが詰まって、水が出なくなりました。私は口でその砂や破片を吹きとばそうと思って、口をビニールホースにつけた時、なにかが吸うようになり、中の全ての砂とガラス破片を私の肺に吸い込みました。私はヤバいと思って、ホースを捨てて、すぐ咳をして血を吐きだしましたが、それらの破片は肺に刺さり、たいへん辛くて、呼吸も難しくなり、毎回の呼吸は肺の激しい痛みを伴いました。その後の一定期間に、時々、私は咳で血を吐き、時々泡を吐き、時々石を吐きました。しかし、私は構わず、引き続き学法、煉功、発正念をしました。その間、時々私の元神は肉身から離れて、肉身を見ると、肺の中は破片でいっぱいでした。それから約15~16日経ったとき、私は天目で師父が来られたのを見ました。師父が法輪を出して、片手で回されると、それらの破片はすべて溶けて、私の肺は完治しました。
大法は私に一回一回の奇跡を現しました。以上の体験を書いて、師父と大法の偉大さと、できないことがないことを実証したいと思います。そして、同修が関を乗り越える時、自信を持たせたいのです。私たちは共に精進し、修煉の道をもっと正しく、もっと穏やかに歩みましょう。
注:
[1] 李洪志師父の著作:『轉法輪』
[2] 李洪志師父の著作:『大圓満法』「二、動作図解」
[3] 李洪志師父の著作:『各地での説法一』「シンガポール佛学会成立式典での説法」
[4] 李洪志師父の著作:『精進要旨二』「最後の執着を取り除こう」