文/中国の大法弟子
【明慧日本2020年2月5日】皆さんは、昨今の独身男女の問題に気付いているでしょうか? 近年、お正月になると、かれらは肩身が狭くなり、親戚や友人の質問攻めの前でとても困惑し、気がねしています。
親戚や友人が集まると、若者の恋愛や結婚を話題にするのは人情ですが、しかし、一部の親は責める口調で子供にプレッシャーをかけ、叔父や叔母からも口々にやかましく言われます。そのため、親も子も「世論」の圧力に苦しんでいます。
修煉者として、私もこのような圧力を感じました。息子は子供弟子のときから、すでに結婚適齢期を過ぎた年令になりました。親戚や友人は私たちの信奉がこのような結果をもたらしたのではないかと誤解し、中には何度も、「子供にしっかり恋愛や結婚観を植え付けていませんね」と私を非難する人もいました。
現代の変異した恋愛や結婚観は、「互いに好感を持てば、将来、結婚するかどうかに関係なく、先ず男女が同居する、そして、簡単に離婚する」というものです。彼らは「離婚することは怖くないよ。今の社会はすでにこうなっているから、生涯の伴侶を求めるのは贅沢だ。子孫を残すのが一番だ。跡継ぎがないのは本当に怖いことだ」などと言いました。
常人の恋愛結婚コンサルタントは、「恋愛経験のない独身者は、早く出て来て経験しなさい」などと、でたらめな事を言っています。
常人の恋愛や結婚観には賛同できず、それこそ修煉者が修めるべきものだと思っています。しかし、祖父母が孫を抱いている姿を見ると、やはり少しの憧れと羨む気持ちになりました。
たまには、息子を気遣いながら「結婚願望がないのか? 彼女はいないのか?」と聞いたりもしました。息子は「そうじゃないよ。気に入る人がいないだけだよ。今、いい人は見つからない。ほとんどいないでしょう。大法弟子だけは道徳を重んじているけど、迫害はまだまだ続いているから、安全面を考えると複雑な状況に直面したくないんだ」と言いました。
私が知る限りでは、一部の同修は「世論」の圧力に屈して、子供に常人と結婚させました。しかし、結婚した子供は法を学ばなくなり、修煉をやめた人もいると聞きました。また、以前の子供弟子は、大人になると、恋愛や結婚がうまくいかず、多くのプレッシャーに耐えた末、一旦結婚をすると、やっと手に入れた婚姻を粗末にしたくないと思い、修煉から次第に離れ、常人になってしまうケースもありました。
修煉者が結婚してはいけないとは言いません。常人の次元の法理も圓容しなければならず、まして師父は、私達に最大限に常人の状態に符合するように求められているからです。ここで言いたいのは、修煉者の恋愛や結婚観が人に理解されず非難される場合、私たちはそれに影響されず、妨害されないようにしなければならないことです。
常人がいう子孫は、その生命が人間によって作られたわけではなく、彼(彼女)はその家庭に転生するかもしれず、他の家庭に転生するかもしれません。常人は業力の輪廻転生の中に生きていて、一生の運命は神によって按排されているからです。
常人が「跡継ぎ」が欲しいというのは、老後のことを考えているからです。常人が年を取ると様々な面において、とても大変で、どうしても自分の子孫を残したいと考えます。実は、それは常人が按排されたことであり、子孫を増やす責任を果たし、人間社会が無限に続く方法です。
修煉者の人生は師父によって按排されており、自然に任せ、縁に従えばいいのです。修煉者には常人のような老後の問題もなく、師がおられ、法もあるので、しっかり三つのことを行なえば、どうして孤独感があるでしょうか? いかにしっかり修煉するかを考えるべきではないでしょうか? 私たちにとって、正念を持って正しい行ないをすることで周りを変えていくのか、また環境に汚染されて落ちて行くのか。このいずれかになります。
宇宙で法を正すことは、天地が開かれてから初めてのことです。宇宙の衆生にとってもたった一度の機会です。大法の修煉ができることは、実に幸運なことです。修煉者は世間の無常と危険を見破り、大法に同化し、返本帰真し、私達が誓った先史の誓約を果たし、法を正す師を手伝い、衆生を救い済度しなければなりません。
師父は「機縁は一度しかなく、放下できない夢幻が過ぎ去ってから、初めて何を失ったかを知るのです」[1] と説かれました。
人はそれぞれ運命があり、それぞれ志があり、何が欲しいのか、これらは自分の選択次第です。
以上は、現段階での少しの認識と体得です。正しくない所があれば、ご叱正を宜しくお願いします。合掌。
注
[1] 李洪志師父の著作:『精進要旨』「退職した後に修煉する」