文/中国の大法弟子
【明慧日本2020年3月24日】(前文に続く)家族の救出に成功した過程
裁判長が開廷前に突然病気で倒れる
裁判所からの通知を受け取り、2018年某日開廷し、そこで私は前日の午前中に、この裁判長に会ってみることを同修のAさんと約束しました。私たち2人は県裁判所の前に時間通りに到着し、裁判長に電話をすると、すぐに裁判長が下りて来て「何かありましたか」と聞かれ、私は「裁判長とゆっくりとお話したいのです」と言いました。裁判長に「私と一緒に来てください」と言われて事務所に行くと、裁判長は他の人を立ち退かせ、私たち3人(訳注:私とAさんと裁判長)だけが残りました。
私が連れて来た見ず知らずの人(訳注:Aさん)を見て、裁判長が少し緊張しているのを見て、私は「この人は私たちと一緒で、部外者ではありません」と言いました。裁判長は私を指差して「なにか言うことがあるのでしょう」と言いました。私は「私たちが接触した時間は短くなく、手紙もたくさん書き、私が何を心配しているのかあなたもご存じです。実際私が最も心配しているのは、あなたが上手にやれなかったら追及されてしまうだろうということです。どんな結果であろうとサインするかしないかを慎重に考慮していただくよう希望します」と言いました。
裁判長はすぐに「私がサインしなければ誰かがサインするので、私はサインしなければなりません」と言いました。裁判長はそう言うと同修のAさんを指差して、「どう思いますか」と言いました。同修のAさんは「そうですね、もうすぐ開廷です。今は終身責任を追及する制度ですので、私もあなたが責任を追及されるのではないかと心配しています。法輪功を迫害しているのは一つの政治運動で、その政治運動が終わった後、あなたはどうするのですか? 中国のどの政治運動が終わった後でも、スケープゴートにされた人がいませんでしたか? ナチス・ドイツの時代から数十年が過ぎ去っても、ナチス分子は依然として国際的に調査されています。あなたもニュルンベルク裁判(訳注:第二次世界大戦においてドイツによって行なわれた戦争犯罪を裁く国際軍事裁判)を覚えていらっしゃると思いますが、ナチス時代の裁判官は法廷でかつて、このようなセリフを言いました。『私はナチスではないが、私はナチスよりさらに邪悪であり、なぜなら、彼らが何をしているか私は知っているからです』と。命令と正義の前で彼は悪人の手先になって、悪事を働くことを選択しました!」と言いました。
話を聞き終わり裁判官(訳注:裁判長)の顔色が少し深刻になり、裁判長は少し黙想して「ここまでにしましょう、お二人ともありがとう」と言いました。
その日の晩私が家に帰ると、中に入るなり電話のベルが鳴り、電話に出ると県裁判所からの電話で、相手は私に「裁判官は病に倒れ、いつ開廷するかは改めて通知します」と言いました。私は「一つは彼のプレッシャーが大き過ぎたことと、もう一つは彼に善念があることを神さまがご覧になり、彼に罪をかぶせたくなかったのだ」ということがわかりました。
県裁判所の主管副裁判官に会える
裁判所が開廷前に会議をしなければならないことを私は知っており、そこで、この案件を主管している副裁判長に私は会おうと思いました。ある日の午前中私は裁判所へ行き、副裁判長に電話をかけるとつながり、相手は「もうすぐ私は開廷しなければなりませんので、またそのうちにしてください」と答えました。私は「だめです、お時間は取らせません。あなたに少し会えればそれで結構です」と言いました。副裁判長は「わかりました。門口で待っていてください」と言いました。検査室の人間が私を庭に連れて行き、すぐに、副裁判長が出て来て、後ろに事務員がついて来ていました。
私は急いで副裁判長の前に歩いて行き、大声で「あなたは○○裁判長ですよね? 今日やっとあなたにお会いすることができました。あなたにお会いできて私の心はしっかりしており、あなたがよい人であることを知っています。あなたがこんなに長い間開廷せず、私ははっきりしていますが、あなたはこのことをやりたがっていません。私もあなた方のことを心配しており、今は案件の処理に参与する一人一人がその責任を一生負わなければならない、という終身責任制を取っています。時にはあなた方は自由な行動が許されないことがあり、あなた方が責任を追及されるのではないかと私は心配しています」と言いました。
それを聞いて、副裁判長は「私たちの責任を追及するのですか?」と言いました。私は「そうでしょう」と言うと、副裁判長は「安心してください、私は必ず公正に案件を処理します」と言い、その後にまた私が何歳であるか、何で生活を立てているのかと聞きました。私はそれらに答え終わると、「時間を取っていただいてありがとうございました。もう副裁判長の邪魔は致しません。副裁判長に幸せが訪れることをお祈りします」と言いました。そう言い終わると私は向きを変えて戻り、検査室に入った時にふり返り見てみると、その副裁判長はまだそこに立って私を見送っていました。
開廷前の会議
2018年ある日の午後、県裁判所は開廷前の会議を開き、会議は4者が参加し、裁判所側、公訴側(訳注:検察)、弁護側、当事者でした。私は家族の弁護人として会議に参加しました。公訴側(訳注:検察)が到着したのは少し遅く、裁判長は待っている間を利用して、急いで弁護士と当事者である同修(訳注:私の息子)を呼んで会見し、この裁判官(訳注:裁判長)は心がこもっていることが見て取れました。
会議が始まり、まず会議の段取りがまとまりました。そして、裁判官が当事者である同修(訳注:私の息子)に「捜査して処理する担当があなたに尋問した時、拷問にかけて自白を強要しようとしましたか?」と尋ねました。同修は「いいえ」と言いました。再び「誘導尋問という方法はとりましたか?」と尋ねました。同修は考えながら「彼らは罠を仕掛けてきたと私は感じ、彼らは『あなたは○○指導者に手紙を書きましたね、あなたが書かなければならなかったことをあなたは承認し、承認しなければだめで、あなたが承認すれば、あなたが手紙を書いたことについては、あなたの代わりに誰かが判決を受けることになる』と言い、私は承認しませんでした!」と言うと、弁護士は「これはだまして供述させる典型だ!」と言いました。続いて弁護士は再び「国内安全保衛部門(法輪功迫害の実行機関)がまず人を捕まえ、それから当事者に事後で追加サインする検査証にサインさせたことは、案件を処理する過程において違法に属します」と言いました。
会議が終わり、裁判長は私と弁護士を外へ送り出し、「私はこのようにしか、行なうことが出来ません」と言いました。私は「ありがとうございました」とお礼を言いました。
開廷前の会議の後、根拠を握った状況を、私たちはシールを作って市内と市外に大量に貼り、手紙を書いていたるところに郵送して配り、県委員会委員、県長、政法委員会(訳注:610弁公室を直轄する組織)、県の紀律検査委員会、警察・検察・裁判所、および関係各署のナンバーワンとナンバーツに、100通以上郵送し、手紙の中で「国内安全保衛部門という法の番人が法を犯しているという違法な犯罪の事実」を各級の指導者と人々にみな知らせました。みんなが知ったので、この事は社会を、そして法曹機関を大きく揺り動かしました。
2期目の県の「610弁公室」の主任に、法輪功の真相を伝える
2017年、私は何度も県の「610弁公室」の主任に会い、その主任は私の息子を捕まえるよう命令を下したその人でした。その主任は県の「610弁公室」に最も長い時間在任しており、2007年から2017年まで、すでに10年余りで、迫害で手柄を立てたので、すでに副室長に昇格しました。
初めてその主任の事務室に会いに行き、主任は邪気を放っており、会うなり「私に会って何をするのだ?」と言いました。そう言いながら携帯電話を手にとって録音の準備を始めました。私は「携帯電話を手に取ってください」と言うと、主任はきまりが悪くなり携帯電話の電源を切りました。私は「国内安全保衛部門が言っているのは私の息子を捕まえるよう、あなたが命令を下したということで、それでもあなたはしらばっくれるのですね」と言うと、事実のベールがはがされ、主任はただ「私が捕まえさせた、どうして他の人を捕まえないのかって? 彼が手紙を書いたからじゃないのか?!」と言うしかありませんでした。私は「通信の自由は憲法で定められているのではありませんか? 手紙を書くことの何が違法なのですか?」と言うと、主任は「あなた達は反党だ!」と言いました。私は「当局は400人以上の高官を捕まえ、盲目的な江沢民派は、あなた方の総司令官である周永康でさえ捕まえ、まさか、あなたは彼ら(訳注:江沢民派)の官吏より地位が高いわけではありませんよね? まさか、あなたはご自分の最終的な結果を考えたくないわけではありませんよね?」と答えました。
言葉が思い浮かばず主任は静かになり、話をしなくなりました。話が少しきつく、急いで口調を改めて「私たちは古くからの隣人で、私はあなたのためを思っており、逃げ道を残さない人がいますか。私たちは逃げ道を残さずに破滅の突き当たりまで行くわけにはいきません。考えてください。中国共産党はどの運動の後でも役目を果たした人を見捨てませんでしたか? 破滅の突き当たりまで行くわけにはいきませんよね」と言いました。ここまで話をして、私は立ち上がり「お邪魔しました、失礼します」と言いました。主任は出口まで私を送って来て、「あなたはこんなに年を取っていらっしゃるのですから、気を付けてお帰りください」。私は「ありがとうございます」と礼を言いました。
帰宅途中の路上で私は「今日の言い方は強すぎ、善の心が不足していた」と思いました。その後、何回も私は主任の家に行き、善の心を以って真相を伝えたのでゆっくりと主任の心は動いていき、「この時世では重刑の判決はよくなく、判決が軽いとお偉方は納得せず、年末に私が裁判所に相談してみましょう」と言いました。
2018年初め、県の「610弁公室」のトップが変わったと聞きました。はっきりわかった後で、私はある晩この新しいトップの住んでいる場所を探し出し、一気に2時間以上も法輪功の真相を伝え、法輪功とは何かから始まり、師父はどうして法輪大法を伝えられるのか、江沢民がなぜ法輪功を迫害するのか、天安門焼身自殺事件、「4.25」平和陳情、法輪功が世界にあまねく伝えられている状況と当時の形勢などを伝えました。新しいトップがすべて聞き入れたと私は感じ、新しいトップも私が少し疲れているのを見て「ここまでにしましょう、わかりました。大法は素晴らしい、あなた達は皆よい人で、それで、あなたは要求を持ってきたのでしょう」と言いました。私は「あなたは来たばかりなので、さらに高い要求を持ってくることはできず、状況を理解してもらい、解決を手助けしてほしいと思いました」と言うと、新しいトップは「わかりました。どのようにすればいいのか私は知っています」と言いました。
その後、私はまた何回も新しいトップの事務所へ行き、新しいトップはいつも愉快そうに私を接待し、新しいトップに『共産主義の終極の目的』という本を渡し、新しいトップも喜んで受け取りました。その後、新しいトップは「610弁公室」の全員を連れて私の家に来て私に会いました。
私は最後に新しいトップの事務所に行きました。新しいトップは「私ができることをすべてあなたのために行ないます。もうすぐ開廷し、政法委員会書記にも伝えておきました。私は政法委員会書記に次のように言いました。私があなたの家に行った時に見ましたが、とても貧乏でとても苦しく、できるだけ面倒を見てあげてください」と言いました。
法廷の上で主役になる
開廷前の会議が過ぎて3カ月になり、何の原因かわかりませんが開廷せず、私は手紙を書き始め、電話をかけ、裁判所に解放を要求し、「あなた方はこんなに長い間期限を超過して拘禁し、犯罪を犯すことになるのを恐れないのですか?」と言うと、催促の下、裁判所はあわて、2018年某月に開廷すると伝えてきました。しかし弁護士に問題が起こり、他の弁護士を探して交替するように今の弁護士が提案し、さらに「すでに探してあります」と言いました。理由は最近弁護士は隣県で開廷し、その時に北京司法局が介入してきて法廷で弁護士に話をさせず、弁護士はいくらも話さないうちにさえぎらたからだ、ということでした。この弁護士の言う意味は、もし、他の弁護士が来ればこの弁護士は話をさせてもらえなくても、他の弁護士は話ができるかもしれない。またもし、この件を受け入れてもらえなければ、この弁護士はもう来ない、ということでした。
このことに対して、同修の間で意見を戦わし、ある意見は「弁護士を困らせてはいけない」というものでした。しかし大多数の意見は「弁護士が何人来ても北京司法局が話させないのなら誰も話せないが、私たちは自分で話すことができ、最後は私が決定する」というものでした。私は再三考えて最後に「私は大法弟子で、衆生を救い済度し、師父は私たちが主役になるよう求められており、法廷に私は必ず上がり、弁護士が来なくても私は自分で上がる」と決めました。その日の晩、私は弁護士に電話して「やはりあなたに来ていただきたい。みんなあなたを歓迎します」と言いました。それを聞いて弁護士は怒り、何を言っても聞き入れませんでした。最後に「他の弁護士に代わってもらうので、あなたは彼に会ってください」と言いました。
弁護士が変わり、時間はまた1カ月延び、某日午後開廷すると裁判所は私に通知してきました。思いもよらなかったことに、開廷の2日前の晩、交替した弁護士が電話してきて、北京弁護士協会が弁護士の家に来て、弁護士を2回脅かし、法輪功の案件に介入することを許さず、介入すれば弁護士の許可証が停止させられる、と言いました。交替した弁護士は以前のあの弁護士と連絡を取るように、と私に言いました。その後私は3回電話しましたが、交替した弁護士は電話に出ませんでした。
開廷前日の午前中、裁判所に来るように裁判所から電話が来て、裁判長が私に会うと急いで「○○弁護士が来ないようですが、この法廷はやはり開きますか?」と言われ、私は「開きます」と答えました。裁判長は「あなた一人でもできますか?」と尋ねられ、私は「できます」と言いました。私がこのように歯切れよく答えると、裁判長は感動して、さらに「あなたの弁護権を保証するために、弁護士を1人探しましょう」と言われましたが、私は「必要ありません」と断りました。このようにして、法廷が予定通り開かれることが決定しました。状況が大きく変わり、私が思ったのは私の心が試されていることで、私が1人で法廷に立てるかどうかを見られている、ことでした。夜、私の心は非常に落ち着いており、自分で何回も書き直した弁護論稿も頭に入っていました。
開廷当日の朝5時、突然電話のベルがまた鳴り、以前のあの弁護士でした。その要件は6時に弁護士を留置場まで送ってほしい、と私に言ってきました。11時になり、弁護士がやっと面会に出て来て、またすぐにコピー店を探して公文書をコピーし、午後2時に開廷するのに、時間がどれだけ緊迫しているのかも知らずに、弁護士はコピーしながら目を通し、午後1時になってやっとコピーをし終わりました。そこで、弁当を買っても弁護士は食べる時間がなく、頭を下げて素早く公文書をめくり、弁護士はすでにしっかりとチェックする時間がなく、さらに弁護論稿を書く時間もありませんでした。私は「彼は言えることだけを言えばよく、私は自分がやるべきことをしっかりやるだけだ」と思いました。
開廷して間もなく、正常な感覚ではなくなりました。特に証言を問いただす段階で、公訴人(訳注:検察)が何かを尋ね、捜査して処理する担当者の3人の答えはほとんどまったく同じで、警察・検察・裁判所の3者がぐるになになっていることがわかり、すべて統一した準備を早めに行なっていました。すべて私たちが社会に暴露した「国内安全保衛部門という法の番人が法を犯しており、案件を処理する過程が違法で、証拠の取り方が違法であるという罪の内容」に対するもので、はかり事をめぐらして一式の物をでっち上げ、法廷でウソを作り上げるという茶番劇を演じていました。本来は、開廷前の会議でしっかりと相談して決めてあり、証人は必ず法廷にいなければいけないのですが、法廷は前言に背き、証人たちに任せて法廷で手順を踏まずにデタラメにやりました。証人たちは一時期大いにのさばりましたが、最後はやはり、ボロを出しました。
弁護士は公文書の中から有効な証拠を取り出しました。それはすなわち、捜査して処理する担当が事後に偽造した検査証と実況見分調書の事ですが、実況見分調書が書き込まれた時間は検査証が書き込まれた時間よりも5分早く、弁護士は裁判官と公訴人(訳注:検察)にそれを渡し、国内安全保衛部門の前に持って行って「どうやってこのことを説明しますか?」と国内安全保衛部門に尋ねました。国内安全保衛部門側は何だかんだと言い逃れようとしましたが、言葉が出てこなくなりました。私は「中国共産党は私たちと弁護士の矛盾をつかみ、混乱を生じさせ、私たちが法廷で中国共産党を暴露することを妨害しようとしている」と悟りました。しかしウソはウソであり、ウソを作れば作るほどウソになるだけであり、さらに裏で操る者の邪悪が現れてきました。
弁論の段階が始まり、私は弁護士に「あなたは休憩をとってください。私が先に行きます」と言いました。私は勇気をふるい、ファイト満々で「一つ目は、法輪功はxx教ではなく、法輪功は高徳の大法で、公訴(訳注:検察)側は『邪教組織を利用して法律の実施を破壊した罪』で私の息子の罪名を確定しようとしていますが、これには全く法律的根拠がなく、法輪功に与えている犯罪の性質の法的根拠を当法廷で提示するよう、私は公訴人(訳注:検察)に要求します」という声が、法廷全体に響きました。公訴人(訳注:検察)たちは問い詰められて、絶句し黙り込んでしまいました。「二つ目は、国務院が公表した情報公開条例に基づいて、私の息子が指導者に手紙を書いたのは道理にも法律にもかなっています。お尋ねしますが、法律に基づいて指導者に手紙を書くことで、国家のどの法律と法規の実施を破壊したのですか、公訴人(訳注:検察)は証拠を提示してください」。公訴人(訳注:検察)はまたも返す言葉がなくなりました。「三つ目は、高等裁判所および高等検察庁の司法解釈は超越権法であり、違法違憲であり、高等裁判所および高等検察庁の司法解釈で、私の息子の罪を定めることは職権乱用であり、法を曲げています。四つ目は、私の息子が『刑法』第65条に反していると起訴状は告発していますが、これはいわゆる『常習犯』のことであり、告発が不公正なことを物語っており、無実の罪の上に、さらに無実の罪を追加しています」
私は悲しい話し方で「某県警察は私の息子に『罪を認めさせる』ために、さまざまな酷い拷問を使いつくし、殴ったり蹴ったりし、びんたを張り、電気ショックを与え、トラの椅子に縛り付け、ヘルメットをかぶせて頭部を強打し、タバコの火で彼の両手の指の爪を一つ一つ焼いてただれさせ、息子を鉄の椅子に縛り付けて足の指の爪を踏みつけ、その十個の爪を一つ一つ潰しました。その上、39日間息子は綿の服を着せられて水を容赦なくかけられ、全身ずぶぬれにされ、3日3晩罰として立たせられ、手動電話機を手足につなぎ何度も心臓を電撃し、一度息子はひどく感電して気絶し、とても長い時間目を覚ましませんでした。それで受刑者たちは息子が死ぬのを恐れ、タバコの火を押し当てて、その火の熱さで息子の目を無理やり覚まさせました」と某県公安局の暴行を暴露しました。その後、私はその場にいたすべての人に対して、「皆さんは法律に携わる方ですので、皆さんでこれらを評価してください。某県警察は本案件を担当したのでしょうか、それとも人を殺害しようとしたのでしょうか、どちらですか」と言いました。
最後に、「私の息子が無罪であることを裁判所が法律に基づいて判決することを要求します。さらに、私の息子をすぐに釈放することを強く要求します」と言いました。
私が話し終えると続いて弁護士が話し出しました。弁護士には発表する原稿がなく、資料を取り出して机の上に置き、それから資料を取り出して読みながら話し、また資料を取り出して読みながら話しました。どれくらいの資料を取り出したのか、はっきり覚えておらず、最後に裁判官は弁護士に「ここまでにしましょう、もう8時です。記録担当者は家に子供がいます」と言葉を掛けました。それでも弁護士は、また資料を取り出して話してから、やっと中止しました。すべての場面は比較的に穏やかで、私と弁護士の発言は基本的に誰もさえぎりませんでした。裁判の過程で公訴人(訳注:検察)はもう一言も話しませんでした。
開廷前にある人が私に「彼らに裁判を開かせ、裁判が終わり、しばらくすれば解放する」と内実を伝えてきました。その後、裁判所は基本的にこのように行ない、本人(訳注:私の息子)に街から離れさせないように、直接留置場から解放されました。
さらに言及しなければならないことは、全県のお年寄りに対して申し開きするために、さらに、衆生を救い済度し、開廷後、同修はまた私の弁護論稿を、全県に広く配布しました。1年以上の努力はむだ骨折りではありませんでした。一般の人々も皆、公安部に39号公文書(訳注:公安部が正式に認めている7種の邪教が書かれている公文書)があることを知っており、中国共産党が法輪功を迫害していることには、法律的根拠が何もないことを皆が知っています。
1年以上の過程の中で少しばかりのことを行ないましたが、師父の要求との距離はあまりにもかけ離れており、今後、多くはない時間の中で、法をしっかり学び、さらに多くの衆生を救い済度しなければなりません。
(明慧ネット第16回中国大陸大法弟子の修煉体験交流会)