文/北京の大法弟子 丹木
【明慧日本2020年5月16日】
迷いの中で
私は今年で38歳です。かつての私は不良少年で、12歳の頃からタバコを吸い始め、酒も飲み始めました。自分より弱い同級生を虐め、学校に行っても勉強をせず、親を悩ませていました。中学生の頃から恋愛し、社会人になってからはさらに悪い慣習に染まり、飲み食いや悪い遊びに夢中になり、物質的な要求を追い求め、これらが私のあの当時の数年の生活実体でした。
職業技術高校を卒業した私は家族の反対を押し切って、ギターを習い始め、髪を長髪にして音楽活動を始めました。しかし、若い私ですが元気がなく、人間性を失った堕落した生活の中に陥り、いつまでも、立ち直ることが出来ませんでした。当時、音楽で何とか生活できていましたが、しかし、収入は安定せず、よく両親から生活費をもらっていました。
1996年音楽の勉強をしていた当時、仲間から大麻を吸引することを教えられ、気が付けば10年間吸い続けていました。音楽の勉強に専念せず、大麻を吸っている過程で空虚で夢のような世界を楽しみ、精神的な刺激を求めていました。音楽の創作も大麻の妄想の中にひたり、完成した音楽には何一つ内包はありませんでした。
大麻を吸って心身に大きな傷を負わせ、私には幻覚、妄想と偏執病(へんしゅうびょう)(※)の症状が現れ、錯乱状態と意識障害に陥り、二重人格になりました。私は毎日大麻に頼って精神状態を保ち、吸っている時は別人になったように感じました。今では分かりますが、それは本当の自分ではなく、自分の主意識が乱雑な低いレベルの生命体にコントロールされていました。そして、大麻を吸う前から激しい頭痛が起こり、これが後遺症になりました。ある日の夜、私は大麻を吸った後、ベッドに横たわり、何とも言えない恐怖感を覚え、体調が非常に悪くて誰かの声が聞こえてきました。「このまま続けてはいけない!」。私は泣き出しそうになり、とても辛く感じました。
私の身長は180㎝あり、体重は60キロ以下でした。顔色が悪く、20歳の私はよく30歳に見られました。家族と友人は私のために、「もう30歳になるのだから、でたらめな生活をそろそろやめたら」とよく説得されましたが、家族の思いは届かず、聞く耳を持ちませんでした。そして、意地を張って勝手気ままに堕落した生活を続けていました。このような私を見て家族は何も言わなくなり、廃人のようになったのを見て、もう、好きなようにすればいいと思ったそうです。
私は大麻を吸う以外に、よくクラブに通い酒を飲み、女性を連れ帰り一夜を共にしていました。私の生活のすべては「堕落しきった毎日」と言っても過言ではありませんでした。
生まれ変わる
幸運なことに、迷いの中にいた私は法輪大法に出会いました。この時から私は生まれ変わりました。
覚えていますが、2006年10月のある日、私は引き出しを整理をしていた時に、白色のDVDを見つけました。それは3カ月前、友人の家に遊びに行った時に扉をノックした際に、このDVDがドアの隙間に挟んでありました。好奇心から私はそのDVDをバックに入れて持ち帰りました。
DVDには蓮の花が印刷されており、それを見た途端に心が動き見たくなりました。そのDVDの中には『風雨天地行』と言う画像があり、1冊の電子本『轉法輪』が入っていました。そして、好奇心で見続けました。思いもよらなかったことに、私はその中の内容に惹かれ、いかに良い人になり、いかに他人の事を考える人間になって、他人と争わず、親孝行をするなどなど・・・と書かれていました。さらに、生きていく意義は返本帰真することであると分かりました。これらの道理は私の心の奥深くを打ちました。
1週間足らずで『轉法輪』を一通り読み終えました。そこで私は「これこそ、私が探していたものだ」と思わず言いました。それから以後、『轉法輪』の本を手放すことができなくなり、私は修煉の道を歩み始めました。修煉を始めて3カ月後、私は酒やタバコを止めました。これまでチベット佛教を信仰したことがあり、「生き佛」に叩頭し、経文を読み、線香を立て、寄付もしましたが、酒とタバコをやめるどころか、大麻まで吸うようになり何も変わりませんでした。
修煉を始めて3カ月後、あらゆる良くない習慣を改めることが出来ました。以前は口を開けば汚い言葉を吐き、それも治りました。師父は私の体を浄化して下さり、良くない物質を取り除かれ、体の辛さもなくなりました。私は長髪を切って髭を剃り、精神状態も良くなり、陽の当たる生活をするようになりました。
師父は奈落の底から私を救い上げて下さり、深く汚れた内心を浄化してくださり、新たな人生をくださいました。
守り抜く
身近な友人達は私の変わりようを目にしました。しかし、それでも家族は私の修煉に反対し、親戚を呼んで来ては修煉をやめるようにと説得しました。ある日の晩に、家族が私の部屋にやって来て、暴力を振るって罵倒し、修煉を放棄するようにと強要しました。私は涙が止まらず、大法の真相を知らない家族を前にして泣きました。この時に脳裏に歌が浮かびました。
「飛べ、飛べ、青空に羽ばたき、空よ、空よ、あの空のように青く」
この歌は私を励ましているように感じました。家族は軍人なので邪悪な共産党に深く惑わされ、私が法輪功を修煉するのを受け入れられず、暴力を振るわれたり、罵られたりしました。私は家族に大法の真相を伝えましたが、彼らは聞く耳を持たず、これを排斥しました。これは私の艱難だと思い、大きな圧力の中で、越えられるかどうかを試されました。今はこれらの暴力とひどい罵倒を乗り越え、大法修煉を固く守り抜きました。
私は知っています。かつての自分の行為は家族に対して無責任であり、以前のようになってはいけません。その当時、音楽仲間が良く我が家にやって来ました。両親は15平米の部屋をよく使わせてくれ、甥と3人で5平米の小部屋に寝泊まりしていました。大法を修煉してからは広い部屋を両親に住まわせ、私は小部屋に移りました。家事を積極的に手伝うようになり、性格も優しく穏やかになり、物事を行なう時は他人の事を多く考えるようになり、以前のように自己中心的ではなくなりました。
苦を嘗めて、善行を施す
生活は家族に頼ってはならないと思い、仕事を探し始めました。友人の紹介でバーの裏方の仕事をするようになり、月給はたったの1000元(およそ1万5000円)だったのですが、給料がどんなに少なくとも仕事に行かなければならないと思いました。このように私はバーで雑務の仕事をして、入場券を販売したり、客人の衣服を受け取り保管場所に持って行ったり、テーブルの上の空き瓶を片付けたり、ビールを運んだり・・・などなどの仕事をしていました。とにかく、私を必要とする仕事があれば選ばずに全て行なっていました。バーの中は酒やタバコ、薬物などが充満していましたが私は気にかけず、毎日あれこれ騒がしい環境の中で仕事をこなし、心は逆にとても安らかで穏やかな日々でした。
仕事は午後3時に出勤し、早朝の4時までの勤務でした。我が家から職場までは20キロもあり、夜間のタクシー代は料金が高く、夏になると私はよく自転車で通勤していましたが、全然疲れを感じませんでした。冬の間は始発の地下鉄を待って、帰宅していました。時には地下鉄の門が開いていない時などは、入り口で寒い中じっと待っていました。また時には地下鉄に乗って寝過ごしてしまい、家に着くのは朝の7~8時になる時もありました。毎日疲れましたが、家で1時間の座禅をすると不思議と疲労が取れました。仕事はとても辛いのですが、私には大法があったので、心の中は逆に晴れやかでした。なぜならば、師父は次のように教えて下さいました。「苦を嘗めるをもって楽とす」[1]
かつての私は人に暴力を振るっていましたが、大法を修煉してから変わりました。ある日バーで仕事をしている時、客が入場券を買わずにショーを見ようとし、私はそれを拒否しました。そして、彼に殴られそうになり、壁際まで押されましたが、同僚が割って入り止めてくれました。以前の私であれば、大喧嘩になっていたことでしょう。今の私には分かっていました。「あなたに殴られても罵られても、心は平然として全然気にしない」[2] のです。また、バー側のことも考えなければならず、面倒な事を引き起こしてはならず、店の経営者に迷惑をかけてはいけません。
その後、新しい仕事を探して職場を変えました。社長は私のことをとても信用してくれ、倉庫の管理や商品の販売、財務管理などの仕事を全部私に一任してくれました。仕事の中で私は大法の基準で自分を律し、利益に貪欲することなく、まず、お客のことを優先に考えました。私は仕事に徐々に慣れていき、給料も増え、友達も増えました。皆が私のことを信任してくれて、私と親しく付き合ってくれました。なぜそうなったのかと言うと、私の頭の中には悪い念がないからです。しかし、これらはすべて大法のおかげであり、大法は私に穏やかさと慈悲の心を持つように教えてくださり、私はこの善の力を他の人にも広げました。
福の報い
そして、私は結婚して子どもを授かり、マイホームを購入し、自家用車も買い、すべての事が順調に進みました。この数年間の私はとても恵まれていると家族も言います。夫婦の間も仲睦まじく、お互いに尊敬し合っています。実はこれらのすべては大法からの福の報いなのです。身を持ち崩していた私がここまで変われると、誰が思ったでしょうか?
数日前、妻に「私達は喧嘩したことがある? 思い出せないわ」と言われ、「そうだな、口喧嘩さえ、あまりしたことないな」と答えました。私は大法を修煉してから、「真・善・忍」の基準で自分を律し、すべての事において他の人の事をまず考え、家においても家事を手伝い、話す前には、その言葉は他の人を傷つけないだろうかと先に考えます。だから、家庭の睦まじさを得ることができました。
語りたい事が多くあり、大法を修煉して8年が経ちましたが、病院に行ったことはなく、薬を飲んだこともありません。体はとても健康で、多くの医療費を使わず、節約することができました。
偉大で慈悲なる師父のご恩に感謝する
偉大で慈悲なる師父に感謝を申し上げます! 身を持ち崩して泥沼に陥った私を救いあげ、私に新たな人生を下さり、人としての道理を分からせてくださり、良い人になることからはじめ、さらに良い人になるように、師父は私に教えて下さいました。師父の慈悲なる済度が、今生での人生の真の目的を分からせてくださいました。この煩わしくて複雑な人生を歩む中で、物事の本質を見極め、生きる目的が何であるかがわかりました。もう彷徨(さまよ)ったり、迷ったりしません。大法修煉の道をしっかりと歩んでまいります!
注:
[1] 李洪志師父の詩:『洪吟』「その心志を苦しめる」
[2] 李洪志師父の経文:『シドニー法会での説法』
※ 偏執病(へんしゅうびょう・パラノイアは、 不安や恐怖の影響を強く受けており、他人が常に自分を批判しているという妄想を抱くものを指す)