文/海外の大法弟子
【明慧日本2020年6月1日】最近ますます多くの学習者はフェイスブックなどのSNSで修煉体験を交流したり、同修や修煉団体に対する意見を発表したり、お互いに「いいね」を押したり、コメントを書いたりしています。中には特に若い大法弟子が多く、一部の学習者はすでに自分のファンができていて、大いに支持されているようです。彼らは、時には上から目線な口調で大法修煉の内部事情を評価し、異なる意見を持つ同修を馬鹿にしたり、文句を言ったりして、まったく常人の目を気にしていません。
ここでは、SNSを使って交流している同修に言いたいのですが、時間があれば、SNSで修煉体得を公表したり、打ち明け話をしたり、褒め合ったりするのではなく、もっと学法や修煉に打ち込んでもらい、社会によくない影響を与えないように、大法弟子の修煉環境をしっかりと守るようにしてほしいのです。大法弟子には明慧ネットもあれば、集団学法という交流の場もあるのですから、意見や考え方があれば、是非、そこを使ってください。それは師父が私達に残してくださった修煉の形式ですから。
師父は、「また、修煉の中で、皆さんは私たちのこの環境が非常に良いと分かっています。煉功点で皆さんは心を開いて話したいことを話せるのです。これは人類社会のいかなる場所でもできないことです。ですから、大法の煉功点に行ったら、浄土に入り、最も神聖な場所に入ったと全ての学習者は感じているに違いありません。みなお互いに気をつかっています。これは人類のあらゆる環境の中でも見つからないのです。なぜこのようになったのでしょうか? つまり、大法弟子の誰もが自ら修煉しているからです。問題やトラブルが現れたら、みな自分の原因を探しており、自分がきちんと行なっていないから問題が生じたのではないかという具合です。みなこのようにすべきだと分かっていますが、法を学び続けていない一部の人はまだそこまでできません。この一部の人のことに言及したので、それについても話さなければなりません。トラブルに遭ったらみな、内に向けて探すべきだと私は多くの場で皆さんに幾度となく話しました。しかし、トラブルに遭ってもやはり内に向けて探すことのできない人がいます。それを認識できる人はいますが、考えることさえしたくない人もいます。甚だしい場合、自分が修煉者であることも完全に忘れています。これではまだまだ不十分だと思います。あなたと学習者の間や職場、常人社会のいかなる環境においても、学習者同士の間、或いは学習者と輔導員の間に何かトラブルが現れても、あなたは自分の原因を探そうとも考えなかったのです」 [1] と説かれました。
師父は大法弟子のこの環境が浄土であるとおっしゃいました。なぜ浄土であるかというと、それは修煉者がトラブルに遇えば、必ず内に向けて探し、自分がしっかり行なっていたかどうかを考えるからです。師父はまた、しっかり法を学んでおらず、自分が修煉者であることを忘れ、トラブルに遇えば、内に向けて探さない人もいる、と指摘されました。同修の不足を見ると、SNSで文句を言ったり非難したりするのではなく、善意と包容力を持って同修を理解し、同修の問題を直接指摘すべきです。SNSで勝手に内部事情を話すと、常人に誤解を与え、彼らの救い済度の妨げになりかねません。
師父はまた、「私はいつも皆さんにこのことを話しています。つまり、二人の間にトラブルがあった時、『私に何の問題があるのか?』と各自が原因を探し、みな自分にどういう問題があるか探すべきです。もし第三者が彼ら二人のトラブルをみたら、その第三者も偶然にそれを見たのではないと私は思います。『どうして彼らのトラブルが私に見えたのか? 私自身にも不足しているところがあるのではないか?』と第三者であるあなたまで考えるべきです。このようにすべきです。しかし、皆さんはトラブルに遭ったら、それを外に押し出して相手の弱点や欠点を探していますが、これは正しくありません。これによりあなたが大法の仕事、大法に損失をもたらすことになります。皆さんは大法や大法の仕事を口実にして、自分の足りないところを取り繕っており、自分の執着を覆い隠していると思ってみませんでしたか。他の人がしたことが良くないと思って心がすっきりしない時、『どうして私の心がすっきりしないのか? 本当に彼に問題があるのか? それとも私自身の心の問題なのか?』とあなたは考えるべきです。しかもそれをよく考えるべきです。もし本当に自分に問題がなく、確かに相手に問題があれば、善意をもって相手に話すべきです。このようにすると、トラブルが現れてきません。きっとそうなります。もし相手が理解できなければ、それは彼個人の問題であり、あなたは話したら話したで、気にしなければいいのです」[1] と説かれました。
ここで交流するのは、同修に注意を呼び掛けたいのと同時に、自分も携帯やSNSに夢中にならないように、と自らを励まし、もっと法を学び、しっかりと修煉し、三つのことをよく行ない、トラブルに遇えば師父が求められたように、内に向けて探し、自らの原因を探し、自分を高めて行こうと思ったからです。皆さんと共に修煉することに厳粛に対応し、私達の修煉環境をしっかり守って行きたいと思いました。
注:
[1] 李洪志先生の経文:『米国西部法会での説法』