【明慧日本2020年6月14日】(湖南省=明慧記者)湖南省邵東県水東江鎮の法輪功学習者・曾志遠さんは、中国共産党による法輪功への迫害の中で、かつて、4回も連行され、うち3回は労働教養を強いられ、1回は実刑判決を下され、計8年以上もの間、留置場や刑務所、労働教養所で非人道的な迫害を受けて非常に苦しめられた。2020年5月12日、曾さんに対する不当な裁判が行なわれ、曾さんは再び、懲役5年の実刑判決を言い渡された。
2019年10月6日、邵東県国内安全保衛部門(法輪功迫害の実行機関)の警官らは、曾さんの自宅に行き、家宅捜索を行ない、法輪功の書籍、パソコン、プリンターなどの私有物を押収した。その後、曾さんを連行して邵東留置場に拘禁した。
曾さんの妻・李飛燕さんも邵東留置場に拘束され、15日後の2019年10月22日に楊家垅第一留置場に移送された。2019年11月14日、妻の李さんは保証人を立てて、尋問を待つという条件付きで、帰宅した。
その後、2020年3月20日、4月29日、5月21日、李さんは国内安全保衛部門の陳鳳平、李建華、政法委書記・佘田橋および補助の警官らにより、嫌がらせを受けた。
以下は、曾志遠さんが受けた迫害の経歴である。
労働教養を強いられる
2001年の元宵節を過ぎて、曾さんは生計を立てるため邵東県でバイトを始めたが、法輪功の資料を配布したと疑われ、水東江派出所の所長らにより連行された。1カ月後、曾さんは1年の労働教養を強いられ、湖南省新開舗労働教養所に拘禁された。
新開舗労働教養所では、ひどく苦しめられた曾さんは全身に小さな水ぶくれができ、耐え難い痒みを伴い、下半身の皮膚はあちこちが潰爛して剥がれ落ちて、また、再発するという状態を繰り返した。2002年に出所した時の曾さんは、両足の感覚を失い、フラフラとしながら歩いた。
曾さんの出所後、邵東県610弁公室主任・朱少明、水東江派出所の李振中らは、嫌がらせをするために、曾さん宅を頻繁に訪れた。
懲役4年の実刑判決を宣告される
2002年11月、曾さんを含む十数人の法輪功学習者たちが、湖南省郴州市で連行された。曾さんは郴州第三留置場で1年4カ月間拘禁されて激しく殴られ、重労働を強いられた。半年の間、曾さんはずっと下痢が止まらなくなり、立てなくなるほど容姿が変わり、面会の時に実弟でも、兄だと見分けがつかなかったという。
その後、曾さんは懲役4年の実刑判決を宣告され、湖南省赤山刑務所に拘禁された。期間中、ある法輪功学習者が脱走したため、刑務所側の監視が厳しくなり、曾さんを含む20人の学習者に対して、さらに厳しく管理するようになった。曾さんは5階に閉じ込められ、外部との接触が一切禁じられた。その間に、ある学習者が吊るし上げられ、電気ショックを与えられ、危篤状態に陥ったために仮釈放されたが、翌日に死亡した。曾さんは2006年11月に出所して帰宅した。
再び、労働教養を科される
2007年1月11日の夜11時、曾さんは法輪功の掲示物を貼り付けた時、不審者に通報され、邵東県国内安全保衛部門まで連行された。尋問された際に、曾さんは警官に従わず、署名を拒否したため、4日目に警官の指示を受けた10人の受刑者らにひどく殴られたり、蹴られて地面に押さえつけられ、口をこじ開けたれて無理に灌食された。その際、こじ開けられた曾さんの口は血まみれになった。
曾さんは再び、1年9カ月間の労働教養を科された。2007年8月に出所した曾さんは、全身に小さな水ぶくれができ、歩くことさえも困難だった。
三度目の労働教養処分を受ける
曾さんは帰宅した後、法輪功を学び煉功したため、1カ月後には回復した。2008年、曾さんは桂林市に出稼ぎに行った。2009年8月、曾さんは桂林市解放橋頭のネットカフェで封鎖を突破して動態ネットに繋いたため、ネット監視者に通報され、連行されて、桂林市第三留置場に26日間拘束された。
警官は曾さんの妻に「曾志遠は人に殴られてケガをして入院したため、身分証を持ってきてほしい」と嘘の電話をした。その結果、妻の李さんまでも連行され、1カ月間拘禁された。
曾さんは3回目の労働教養を強いられ、広西第一労働収容所で1年6カ月拘禁された。そこで、曾さんは病院に引きずり込まれて注射され、家族との面会を許されず、法輪功を中傷する映像を強制に見せられ、朝の8時から夜の12時までは、食事とトイレに行く以外は動いてはならず、睡眠も禁止されるか、制限された。
曾さんは2011年2月に、やっと労働収容所から帰宅した。