文/中国の大法弟子
【明慧日本2020年9月16日】怒涛の勢いで押し寄せてきた武漢肺炎のため、普段にぎやかな繁華街も今や閑散としており、人々は不安を抱いたまま毎日過ごしています。このような状況の中、我々、大法弟子はどのように衆生を救うのでしょうか? どこに行けば人に会えるのでしょうか? 卑劣な中国共産党(以下、中共)はこれを機に大量の監視カメラを設置しています。特に、大法弟子たちの住まいの周辺に監視カメラを設け、常に見張っています。重点的監視対象にある大法弟子たちの家の周辺には2、3台もの監視カメラが設置されました。
師父の説法を勉強して分かったのですが、今回の感染症は神の意思で目的を持ち、狙いを定めており、我々大法弟子はその目標ではないということです。このような非常時にこそ、しっかりと「三つのこと」を行なうべきです。残された少ない時間の中で、1人でも多くの衆生を救わなければなりません。師父は我々大法弟子に防護カバーのようなものを被せ、功能を授けてくださいました。一体何を恐れるというのですか?
師父は「しかし、恐れる心があるかどうかは、修煉者が常人なのか、神なのかを判断するときの基準であり、修煉者と常人との違いもここに表れています。これは修煉者が避けて通れない心であり、修煉者が取り除かなければならない最大の人心でもあります」[1]と説かれました。
恐怖心が現れると、善の心が弱まります。善の心がなければ、衆生は救えません。 現在、9割以上の衆生はすべて天上からやってきた高い次元の神々で、皆、帰り道を忘れ、常人社会に迷い込み、中には大法の反対側に向かった人もいると、師父は以前説かれました。我々は一刻も早く彼らを呼び覚ましてあげなければなりません。
私は資料を担当しており、本地域と他の地域の資料に関することだけでなく、他の仕事の協調にも携わっています。家事の他に、「もう発正念の時間かな」、「早朝3時には必ず起きて、煉功しなければならない」、「もう学法の時間かな」、「資料のことをやらなければ」、「今回の資料は何の内容がいいかな」、「他の地域の同修に資料を送らなければ」、「あ、早く出かけて迫害の実態を伝えなければ」などと、大法のことしか頭にないため、どれほど忙しくても、いつも幸せの心でいっぱいです。
24年前、まだ常人だった私は食べ物にとても拘っており、栄養やバランスを非常に気にしているにもかかわらず、病気になりやすく、体は非常に弱かったのです。今は、食べる物に拘らず、昨夜の残り物でも、固いご飯にお湯を注いで、そのまま食べています。1日3食が2食に変わり、時には1食しか食べなくても、お腹は減りません。こうして時間を節約することで、もっと大法の仕事に関わることができ、家族も何も言いません。
大法を修煉してから、何十年も食べ続けていた肉類をやめましたが、体はとても健康です。私はすでに73歳ですが、誰もそう思わないし、昔、体が弱かったことも、信じてくれません。そして、驚いた事に、家族も肉を食べなくなりました。以前は家族全員、肉がないと生きていけないような肉好きでしたが、今は、誰も肉が食べたいと言わないし、ずっと作らなくても誰も文句を言いません。
友人や親戚たちは大法と師父に最初は猛烈に反対していましたが、大法を修煉してから私の身に起きた変化や奇跡を目にして、今は私が修煉や大法の仕事に関わっていることを非常に支持し、応援してくれるようになりました。
ここで、大法から恩恵を受けた家族や親戚、友人たちに代わって、師父と大法に感謝いたします! 私たちは皆、幸運に恵まれているのです。
また、最近のある出来事を通じて心性が向上しました。去年、大法を実証する仕事の中で同修のAさんとの間にトラブルが生じました。内に向けて自分を探しましたが、他のことで忙しくなり、Aさんとはそれ以来交流する機会がなく、また、それが原因で、お互いうまく協力することができませんでした。これではいけない、一刻も早くこの凍り付いた関係を何とかしなければならないと思いました。
ちょうどそのころ、Bさんが警察に連れて行かれ、Bさんが担当していた仕事を私がしばらくの間、代わりに行なうことになりました。Bさんの家族への問題の解決や、普段の生活の手助け、迫害の実態を伝えたり、弁護士を雇うなど、たくさんのことで、とても忙しかったのですが、Aさんとの関係を修復することも大事なので、Aさんともう1人の同修を誘って、Bさんの救援活動を行ないました。Aさんはすべてを放下して駆けつけてくれました。私と一緒にBさんの家に向かい、救援活動に参加するよう家族を説得しました。その後、師父と大法のご加護のもと、私たちも正しく行なったので、Bさんはすぐに釈放されました。
今回の救援活動に参加する中、私もAさんも、身も心も非常に楽で、どれだけ歩いても全く疲れを感じませんでした。そして、今回の出来事を通じて、我々大法弟子はこのように行なうべきであると悟りました。
注:
[1] 李洪志師父の著作:『精進要旨三』「法を良く勉強していれば、人心を取り除くことは難しくない」