【明慧日本2020年9月17日】中国共産党が1999年7.20に法輪功への迫害を発動したために、江西省女子刑務所は積極的にこれに追随し、法輪功学習者(以下、学習者)に対する迫害を絶えず行ってきた。同刑務所は学習者を吊るし上げ、長時間立たせ、束縛服を着せ、真冬の寒さの中で凍らせ、トラの椅子に縛り付けるなどの残忍な拷問を加え、学習者を「転向」させた。その迫害の手段はまったく非人道的なもので、許しがたいものである。
一、吊るし上げる
吊るし上げるという拷問は、学習者を強制的に「転向」させる迫害手段の一つである。江西省女子刑務所に収容されていた大多数の学習者がこの残忍な拷問を受けた。江西省の学習者・張玉珍さんは懲役7年の実刑を下され、満期になっても解放されず、南昌市労働教養所に移送されたが、同刑務所で吊るし上げる拷問を受け、手首を骨折してしまった。
拷問のイメージ図:足を地面から浮かせて宙吊りにする、両腕に手錠を付けて後ろ手に木に固定する |
その後、黄永娣さん、江蘭英さんや他の多くの学習者たちがひどい拷問を受けた。教育科の胡睿華は足のつま先だけを地面につけさせ、江蘭英さんを吊るし上げた。しかも、何度もこの拷問を繰り返した。また、警官・陳越は足のつま先だけを地面につけさせ、江さんの片手を窓に繋ぎ、もう片手を背中に回してから窓に繋ぎ、そのうえ24時間の間寝ることを許さなかった。警官らの命令を受けた受刑者・羅雪梅は江さんを眠らせないように風油精(ハッカとユーカリが主要成分のオイルで、強い清涼感と香りがある)を江さんの目に差した。同じく命令を受けた受刑者・ゾウ淑梅は自分の靴下を抜いで、江さんの口の中に突っ込んだ。それを見ていた警官・張玲は制止するどころか、「臭いだろう、それでも『転向』しないのか」と言った。学習者に対する迫害に加担した者達は本当に人間としての良知を失っている。
二、罰として、長時間立たせる
南昌の学習者・張淑軍さんは長時間きをつけをの姿勢をしたまま、立たされる迫害を受けたため、全身が紫色になり、腎不全を引き起こして複数の臓器に酷いダメージを受けた。張さんは法輪功を学んでから健康な体を得たが、拷問で心身ともに痛めつけられて息も絶え絶えになり、結果的に残酷な迫害のため死んでしまった。これらは、長春病院の看護士たちが長期的にわたって張さんが迫害され、死に至ったことを目にして、とても憤慨して話した事実である。
新余鋼鉄工場に勤めていた学習者・李烈鳳さん(50代)は同刑務所で一番長時間立たされた。李さんは1日24時間、2カ月間も立たされ、その間にずっと「三書」を書くことを強いられた。そのため、李さんの足はひどく腫れ上がった。当時、警官・崔斌と張盈は李さんへの迫害に加担した。その結果、李さんは入院してしまったが、帰宅してしばらくしてから、この世を去ったという。
江西省女子刑務所に収容された学習者たちは、まず最初に立たされ、睡眠のはく奪の迫害を受けることになる。労働を科された学習者たちは朝6時過ぎから作業場に立たされ、作業を終えて部屋に戻ると、他の受刑者は顔を洗えるが、学習者には許されず、さらに、学習者だけ夜の12時まで立たされ続けた。刑務所側は「転向」しない学習者に対して、1日24時間立たせたり、洗顔やシャワーを浴びることも許さなかったり、他にもさまざまな事を制限した。四大隊に収容された75歳の学習者・王鳳英さんは毎日、夜12時まで立たされた。
拷問のイメージ図:長時間、立たされる |
学習者を監視する受刑者らは殺人犯や麻薬の密売人、麻薬中毒者で、1カ月の減刑を獲得するために、残忍な迫害を学習者に加えた。警官は学習者の「転向」率を上げるため、裏でこれらの受刑者らを動員させていた。
三、束縛服を着せ、自由を奪う
刑務所は学習者に強制的に束縛服(自由に身動き出来なくなる服)を着せた。束縛服を着せられた者は身動きできず、少しずつ足をずらして移動するしか出来ず、常に紐で引っ張られるようにして進み、とても苦痛を伴う。学習者・楊丹荷さんは束縛服を着せられて迫害を受けた。呂三秀さんは毎日縛られ、吊るし上げられた。江西省女子刑務所の刑務所の各大隊も、大体同じような迫害の手段を使って学習者たちを苦しめている。
拷問のイメージ絵:束縛服を着せ、体の自由を奪う |
四、真冬に身を凍らせる
刑務所では真冬に、学習者を下着のままで廊下に立たせて体を凍えせたり、また、部屋の中で扇風機を使ったり、ドアや窓を全開して凍えさせた。二大隊の警官・付と方は、学習者。葛玲さんにこの拷問を加えた。真冬に、警官らは葛さんの冬用の布団をゴミ捨て場に捨てさせ、葛さんの綿入りの冬服も押収し、葛さんに夏用の薄い布団と薄い敷き布団しか与えなかった。そのため、葛さんは夜は寒くて痙攣を起こし、骨髄まで損傷し、凍傷で手足を切断する寸前まで悪化した。葛さんは何度も警官・方に、家族に電話して布団を持ってくるようにと要求したが、一切応じてもらえず、家族には何も伝えられなかった。
拷問のイメージ図:極寒の中で体を凍えさせる |
また、学習者は冷水を浴びせられ、全身びしょ濡れにされることがあった。七大隊の学習者を監視する受刑者・劉芳はわざと汚れた水を学習者の体にぶっかけたり、学習者をトイレに行かせなかったりした。そのため、大小便が漏れてしまう学習者が多くいた。ある学習者は裸のままで立たされたことがあり、その結果、精神異常になったという。
一部の学習者は毎晩、「三書」を書かされたり、刑務所のルールを書き写すことを強いられたりした。トイレでひざまずいて書かされたり、あるいは、服が濡れたままで書かされた人もいた。また、刑務所で学習者は罵声を上げてののしられ、殴打されることが絶えなかった。
学習者・黄さんは辛くて苦しい拷問の一つ、トラの椅子に座らされる耐え難い残忍な迫害を受けた。劉宝珍さん、肖勁さん、湯道芳さん、朱志英さん、羅建栄さん、付淑嬌さん、楊志華さん、李若さん達もそれぞれひどい拷問を受けた。
拷問のイメージ図:徐々に足元のレンガを上げていく、トラの椅子 |
七大隊の警官・呉頴、陳頴、陳越の3人と受刑者・劉芳、朱春芳、林梅枝、ゾウ淑梅、金潔などの5人が学習者に対する迫害に加担した。
また、江西省男子刑務所では学習者に対して深夜まで立たせ、顔を洗うなどの水の使用を許さず、吊るし上げ、束縛服を着せ、手かせ足かせをつけたままベッドに固定し、声を出さぬようテープで口を封じ、トイレに行くことを制限するなどの虐待を行っている。
学習者・黄興さん、王思融さんは拷問で苦しめられた。朱国新さんは刑務所に迫害され、出所して1年余り経ったが立つことができず、杖を使って歩くことさえ困難な状態である。
朱さんは刑務所で「転向」をせず、信仰を堅持したため、独房に拘禁され、少量の食事しか与えられなかった。迫害に対して、朱さんは断食して抗議を行った。朱さんはトラの椅子に座らされたとき、手足を縛られたが、警官にわざと蚊が部屋の中に入ってくるようにされた。朱さんはシャワーを浴びること、顔を洗うことを許されず、トイレットペーパーの購入も許されなかった。長春病院に入院していた朱さんは自ら寝返りできないため、床ずれになった。3年間の迫害を受けて帰宅した時には、息も絶え絶えになり、極度に痩せていた。
一大隊の警官・丁傑、楊頴、汪詩茹、潘萍、胡瑞華らが学習者たちへの迫害に加担した。