文/中国の青年弟子
【明慧日本2020年10月6日】私は2017年から大法の修煉を始めた青年弟子です。3年間の修煉で身体が健康になっただけでなく心も浄化され、二十数年続いていた父への恨みを消し去ることもできました。父も福報を得て身体が再び健康になりました。
父の病気で家庭が崩壊
私は農村で生まれました。母は常に笑顔の明るい性格でした。父は内向的で言葉が少なかったのですが、私の幼い時の生活は睦まじい状態でした。しかしその後、父は染色工場で働く中で、常に有毒染料に接触したため、精神的な問題が発生しました。食べることが好きで働くことが嫌になり、常に人を罵り、家庭環境も悪くなってしまいました。重い生活の負担は全部母の肩にのしかかりました。父は表面は普通の人のように見えますが、一旦発病すると、一言でも気に食わないとカンカンに怒り、人に命令したり、罵ったり、殴ったりしていました。
父は発病すると目つきが冷たく憎らしくなり、私は目を合わせることができませんでした。目と目が合うとひやりと恐怖を感じました。小さなことでも直ぐに怒るため、母は私たちを守るために度々殴られ、私と妹はほとんど殴られたことはありませんでした。
父は力が強い上に母を殴る時は気が狂ったかのようでした。時には母の髪の毛を掴んで壁にぶつけ、髪の毛は束になって落ちました。小さい時、私と妹はけんかに割って入り母を助けて、もらうために、泣きながら村の年配者のところへ行きました。
母は何回も離婚しようと思って実家に帰りましたが、幼い私たち兄妹がかわいそうで、毎回迎えに来た父と一緒に戻りました。映画『あなたのために来た』の中で主人公の劉大為が妻の呂春燕を殴るシーンを見ると、まるで現実の中で父が母を殴っているようでした。
母は数回農薬を飲んで自殺しようとしました。一度私はちょうどその場にいました。あの日母は畑から帰りましたが、見ると泣いていたようでした。母はすぐ祖母の家の窓辺に置いてあったデイクロルヴォスを飲みました。その時私は庭で遊んでいました。母が急に倒れたのを見て走って行き、お母さんどうしたのと聞きました。母は「大丈夫、これからは妹の面倒を見てね」と言いました。私は母が農薬を飲んだので死ぬと思いました。私は泣きながら隣の祖母の妹のところに行って「お母さんが農薬を飲んだ、早く来て」と言いました。
戻ってみると、母は床に横になって口から白い泡を吹いていました。また数人がやって来て母にせっけん水を飲ませて農薬を吐き出させました。その時庭には人がいっぱいいて、私はそばで泣くしかありませんでした。後で母は病院に運ばれ、一命を取り留めました。
小さい時から父に対する恐怖と母が受けた苦難に対する同情で私は父を恨み、この家庭に生まれたことを恨みました。従って、私は口数が少なくなり、頑固で内向的で劣等感を持つようになりました。私の心では父はひ弱、怠け者、凶悪な人で、私から話しかけることはほとんどありませんでした。2人とも内向的だったので年に一度も深く話し合ったことはありません。市場に行く時或いは村の中で歩く時私は父と2、3メートルの距離を保ち、彼の子供だと知られるのを恐れていました。
父は何度も精神病院に運ばれたことがあり、家のお金をほとんど使い果たしました。後に母は大都市の親戚のところに行き、バイトをしてお金を稼ぎ、野良仕事が忙しいのでお正月しか帰って来ませんでした。
私が大学に入学した年の旧暦の12月28日、雪が激しく降っていました。父はまた発病し母を殴り始めました。母の髪の毛を引っ張って部屋で殴り始め、そして外に引っ張って行き殴り続けました。私は手首の太さの棒をもって父の腕を叩きました。それでも、父は手をはなさなっかたので、私は怒って父の背中を叩きました。棒は二つに折れました。すると父は手を放して背中をはたいていました。私は父が私を殴ってくると思いましたが、父は私を一目見ただけでゆっくり家に入りました。
母はずっと庭で泣きながら、もうこんな生活を続けるのは無理だから離婚すると言いました。そして私と妹に幾つかのことを伝えた後、荷物を背負ってびっこをひきながら暗い中に姿を消しました。私と妹は村の入口に立って雪の中に出て行く母の後ろ姿を見ていました。妹は泣いていましたが、私は声を出さず泣いていました。母がこの家から離れてほしいと思う一方で、この家に残ってほしいとも望んでいました。
それから母は一度も家に戻ったことはなく、外でお金を稼いで私たちの学校の費用を払ってくれました。以前、親戚の人は明るい性格の母がいたので私たちに会いに来ていました。しかし、母が家出をしてから、父に罵られるのを恐れて家に来る人はほとんどいなくなりました。そして母の家出は私に大きな影響を与えました。家庭の全ての責任が私にのしかかり、様々なことを私がしなければならず、毎回何かあった時私は汽車に乗って帰らなければなりませんでした。相談できる人もなく心は本当に疲れていました。
あれからの十数年間、新年には、妹は母のところへ行き、母の会社の狭い寮で一緒に新年を迎えていました。私は実家に戻って父と一緒に新年を迎えましたが、互いにほとんど喋りませんでした。父の命令口調に私は聞こえないふりをしていました。目的は父の思いどおりにさせないためでした。父に襲われて傷つけられるのが怖くて、私は近所の家で寝ました。母とは1年に数回しか会うことができませんでした。「家」は私にとって不慣れな単語で、心の中は父に対する恐怖と恨みしかありませんでした。「あなたが私のお母さんを追い払ったため、家庭が壊された。あなたは死んだ方がいいかも、そうすれば私に迷惑をかけない」と思っていました。
大法を修めて親子間の氷が溶けた
大学を卒業してから気に入った仕事が見つからず、当時の私は反抗的な性格で誰にも不服で、劣等感がありながら、自分が一番だと思っていました。様々なプレッシャーの下、私は中度のうつ病を患いました。
小さい時貧困だったため、私は一生懸命お金を稼ごうと思いました。そのため様々な理由で母からお金を貰い、複数のクレジットカードで銀行からお金を借りて投資をし、当時たくさんのお金を稼ぎ、自分は凄いと思っていました。しかし、各金融投資会社が破産したことによって、あっという間に元も子もなくなり母の蓄積した金を全部なくしただけでなく、銀行の借金も数十万元に至りました。
その後、留置場に数十日投獄されたことがあります。そこで偶然に強制連行された大法弟子に会いました。彼は私に法輪大法の素晴らしさを伝えてくれました。私は彼の善良さに感動しました。人は元々善良であるはずで、良心的に生きているべきだということが分かり、私も法輪大法を修煉し始めました。その時自分が以前遭った様々な苦難を思い出し、「私は大法のためにこの世に来た」ことを悟りました。
法を得てから私は『轉法輪』を何回も読みました。身体が健康になり、鬱病も治り、性格も明るくなりました。私は大法の恵みを感じ、心の中では非常に幸せに感じました。父に対する過激な見方も徐々に変わり、父の一生もずいぶん悲しいと感じました。父に大法の真相を分からせようと思いましたが、精神的問題があるため、当時はただ自分の心の中で思っただけで、実際喋ったことはありませんでした。
ある日、伯母から電話がかかって来て、父の体調が悪く、尿に血が混じっている状態なので、早く戻らないと間に合わないかもしれないという知らせでした。後の事を準備することさえ言われました。その時私は新しい仕事に就いたばかりで貯金もありませんでした。給料も高くなく、残ったお金は全部借金返済に当てていました。母に相談したら5000元をくれました。
家に戻ると父は手を腰に当てて庭に座っていました。見た目は非常に苦しそうで、痩せてはいましたが、死ぬほどではないように見えました。「具合はどう」と聞くと、血尿が出たと気のない返事をしました。その時父が急にトイレに行ったので、ついて行って見たら床は血だらけでした。病院に行こうと言うと怒られました。小さい時に生じた恐怖で私は黙って何も言わずに父のそばに座っていました。
日が落ちて暗くなり、父は部屋から夏ござを持って外に出て茣蓙の上に横たわり、苦しそうに「お母さん、死なせてください、痛くてたまりません、お母さん、お母さん」とうなっていました。私は聞いて心が震えました。父は家の中に薬があるから持ってきてくれといいました。そして探し出して飲ませましたが、痛みは治まらず痛くて叫んでいました。
空の星を眺めながら私はこれこそ因果応報だと思いました。祖母が死んだ時、周りには父しかいませんでした。父はずっと祖母を抱いて「お母さん」と叫んでいました。もしかして今日父も私の胸に抱かれて死ぬのでしょうか? そうはさせません、私は父を救うべきです!
私はすぐ伯母に電話しました。1時間後伯父と息子が車で来ました。しかし彼らはだれも関わりたくない様子でした。父の病気を治療したくないようで、私に借金があることも知っていたし、私が彼らにお金を借りるのではないかと恐れていました。それに父は常に彼らの家に行ってトラブルを引き起こしていたからです。父は食べることが好きで働くことが嫌いで、人を殴ったり罵ったりしていたので周りの村でも評判が悪かったのです。
伯父は「どうする? 治療する? それとも治療しない? あなたは彼の息子でしょう、治療するとしたらたくさんのお金がかかるし、完治するとは言い切れない」と言い、私は「治療します。お金を借りてでも治療します」ときっぱり答えました。伯父は少し驚いた表情でした。それもそのはずで、以前私はずっと伯父の前で父の悪口を言っていたのです。伯父は外に出て伯母に電話しました。スマホの通話をスピーカに切り替えていたので、彼らの通話は全部聞こえてきました。伯母は「病気を治療するなんて、今日死んだ方が一番楽じゃない? 死ぬと何もかもおしまいで、生きていると人に害を与えるだけよ」と言っていました。私はその言葉を聞いて非常にがっかりし、悲しくなりました。実の姉がこのように自分の弟のことを言うのか? 自分も以前父が早く死ぬように望んでいたことを思い出すと悲しくなりました。
病院に着くと医者は父に尿道カテーテルを付けました。父は多くの血を排出しました。そしてその日の夜のうちに別の病院に転院しました。大きい病院で検査すると、誤って殺鼠剤を飲んだとのことでした。血液が凝結しなくなり非常に危ない状態で、少しでも来るのが遅かったら手遅れだったと言われました。
私が一階に行って保証金を払ってやっと治療が始まりました。一晩中治療すると翌日にはだいぶ良くなりました。痛みが少し緩むと父は看護師に協力せず、看護師と私を罵りました。私が買ったご飯も床に投げ捨てました。
私はできる限り大法の理で自分を要求し、腹を立てませんでした。部屋を掃除してから慎重に相手をして、自分が思っていることを伝え、私が本当に彼を気にかけていることを分からせようとしました。私の本心が伝わったのか、父も徐々に穏やかになりました。その日私が喋った言葉は今までの20年間の中で一番多かったかもしれません。父は何も言いませんでしたが、ずっと涙を拭いていました。私は初めて父が泣く姿を見ました。後に師父の説法でその理由が分かりました。「ある人が他人のためだけを思って、しかも、自己の目的と認識を少しも抱かなければ、語る話は相手に涙を流させるのです」[1]
翌日、看護師はお金が不足しているので支払うよう催促しました。その時私は頭が真っ白な状態になりました。こんなに早くお金が無くなったのか? たくさん書かれている領収書を見ても全然分かりませんでした。母のお金はすべて私の借金を返すのに使い果たしたので伯父に電話しました。すると伯父は伯母に言ったらと言いました。伯母は電話で私をいろいろ責めた後、お金はありませんと言いました。そして電話が切れ、再び電話しても出ませんでした。
この数年間遭ったいろいろなことを思い出し、私はスマホを持って病院の廊下に立って急に崩れました。涙が絶えず流れ、心の中では助けてくださるように師父にお願いしました。その時、母から電話がありました。母は親戚からお金を借り、その後の治療に必要な部分を補足してくれました。父は健康になって退院しました。本当に師父に感謝します。
真相が分かり福の報いを受けた
父は退院後精神も良くなりました。私は服と新しいスマホを買ってあげました。そしてSIMカードを買ってあげ、銀行カードも作ってあげました。これから常に連絡しようと約束しました。しかし、1カ月後父に会いに行くと彼は再び精神がおかしくなって銀行カードとスマホを庭のゴミ捨て場に捨てていました。
父は扉の錠を下ろすよう私に命令しました。昼だったので私はただ扉を閉じただけで錠は下ろしていませんでした。すると父は目付きが悪くなって、私を口汚く罵りました。しかも私の襟を捕まえて「お前に錠を下ろせと言っただろう、聞こえなかったか? 殴られたいのか?」と叫びました。以前なら私はきっと折り合えず、怒って家を出たでしょう。しかし、私は大法に教わった善と忍をなすことを思い出し、心の中は急に光で満ち、非常に穏やかになり、恐怖心がなくなりました。私は微笑みながら「わかりました」と答え、錠を下ろしに行きました。
父がベンチに腰掛けて、あちこちを見る様子を見て、彼の主意識がはっきりしていないとわかりました。以前鬱病を患った時、大法のおかげで一晩で治ったことを思い出し、もしかすると大法ならまだ父を救うことができるかも知れないと思いました。そして心の中で発正念し、「法輪大法は素晴らしい、真、善、忍は素晴らしい」と念じました。そして父と話し始め、彼が少し正常に戻ると法輪大法の素晴らしさと中国共産党の邪悪な本質を伝え、「法輪大法は素晴らしい、真、善、忍は素晴らしい」を念ずることを教えました。父は私と少し話し合いました。しかし、三退を勧めると、嫌気がさして自分は何の組織にも参加したことがないと言い残し、その場を去りました。私は父が中学校まで通っていて、少年先鋒隊に加入したことを知っています。
その後毎回実家に戻ると私は父に真相を伝えました。私は元々口下手でしたが、不思議なことに父に真相を伝えるときは午前から午後までずっと喋ることができました。父はほとんど喋りませんでしたが、彼の主意識は聞いていると私は分かっていました。もし父の目付きが悪くなったら、私は喋らず心の中で「法輪大法はすばらしい、真、善、忍は素晴らしい」と念じていました。すると父の目付きも徐々に柔らかくなり、それほど怖くなくなりました。普段市場に行く時も私は父と一緒に喋りながら歩き、わざと距離を置くことはしませんでした。
ある日帰ろうとすると、父は私を送って外まで出ました。私が「お父さん、少年先鋒隊から脱退しましょう」と言うと、父は「分かった」と答えました。私は「それなら本名で脱退しましょう」と言うと父は再び「いいよ」と答えました。私は本当に感動しました。師父の限りない慈悲の加持で一人の生命が救われました。
2019年末私は実家にいきました。庭に入ると父が随分元気になっていて、庭で野菜を栽培していました。私は驚きました。この数年間、父は家の多くのものを投げ捨て、庭にあった全ての花や野菜を掘って捨てましたが、なんと今は野菜を栽培しています。
「お父さん、何を植えているの?」と聞くと父は「今菜園を片付けて、後で何かを植えて食べようと思っている」と答えました。そして、どこに花を植え、どこに果樹を植えるかなどの自分の計画を説明しました。しかも自分から私の生活や仕事について聞きました。これはこの10年間で初めてのことでした。
この数年間私が実家に戻ってお金を渡したり、何かを買ってあげると父は受け取っては部屋の中に置き、庭に出てきて座ってはぼーっとしていました。自ら私に声をかけたことはほとんどありませんでした。私は小さいときの正常な父が戻ったような感じました。私は一度人に頼んでガス1缶を父に配達してもらったところ、驚いたことに、父は自らその人に「ありがとう、お疲れさまでした」と言って、私に水を差し出すように言いました。
その後伯母が父のところへ行ったことがありますが、伯母は電話で「あなたのお父さんは精神が正常な人になりましたよ。彼は以前のように粗捜しをして、勝手に私を罵ったりしませんでした。あなたも、もう心配しなくで良いです。これから徐々に完全に良くなるから」と言いました。
今私と伯母の関係も改善されました。父のことで故郷の人たちは私を高く評価しています。
結びの言葉
道徳水準が急速に下落している現在、私が利己的で至るところで父と対立していた不肖な息子から、自ら父のために考え、他人のために考えられる人になったのは、すべて大法のおかげです。もし大法の要求通り真・善・忍に従って良い人にならなかったら、現在社会で絶えず現れている人倫における悲劇の中の一人になったでしょう。
大法は世人に恩恵を与え、万物に恩恵を与え、私の心の中の父に対する長年の恨みを晴らしてくださいました。父も真相が分かって、中国共産党の組織から脱退し、福報を得ました。師父に感謝いたします!
より多くの中国人が急いでいる足を止めて、一度冷静になって法輪大法を理解し、真相を知り、災難から離れ、福報を得て正々堂々とした中国人になることを祈ります。
注:
[1] 李洪志師父の著作:『精進要旨』「はっきりと目覚めよ」