文/中国の大法弟子
【明慧日本2020年10月14日】この数年、私は携帯の動画に夢中になってしまい、三つのことを怠っていました。特に学法をしたくなかったのです。学法しても法理が見えず、法の中で悟ることができず、人心に揺れ動かされるがままでした。大事な時も、法に対して堅実かどうか、師父と法をどこまで信じるかどうか、それらによって自分の人心がだんだんと見えてきました。
2月の新年頃から、我々地域の一部の同修たちは食糧品と生活用品を用意し始めました。しかし、あれから7カ月過ぎましたが、それらはいつも通りに供給され、足りないものは何もありません。私もその雰囲気に流されて、食糧品や生活用品を少し蓄えました。法輪功迫害の実態を伝えることを理由に、今日はこれを買い、明日はあれを買い、いっぱい買い物をして、毎日買い物をすることで忙しいくらいでした。そのうち自分の買い物だけでは気が済まなくなってしまい、親戚にまでも買わせるようになっていました。しかし、夏の一番暑い時期に、自分の家のお米も親戚の家のお米も虫が湧いてきました。そのせいで親戚から文句を言われました。
これだけでなく、地元の同修Aさんの家に行くと、すぐに食糧不足や食糧備蓄の話を色々言ってくるのです。Aさん家族は少ないのですが、3年分の食糧を用意しました。我々の地域の一部の同修も、Aさんの話から食糧品や生活用品を準備しました。みんな疫病の深刻な影響を受けて、食糧品や生活用品が無くなることを恐れていたからです。中には3年分の食糧品を用意した同修もいました。また他の同修も10袋、20袋単位でそれらを買い、時間がある限り色々な方法で、それらを備蓄するためにとても忙しくなりました。私は、何かおかしいと思いましたが、どこが間違っているか分かりませんでした。
新唐人テレビを見た同修はみんな知っていますが「来年は食糧が不足する」と、何回も放送されました。中国の各地は様々な災害に見舞われました。特に「平安」の仮名で法輪功迫害の実態を伝えている同修は、数回にわたって来年の食糧不足の問題に触れました。同修たちはそれを疑うことなく信じました。そのため多くの同修は、食糧品や生活用品を用意しました。まるで間もなく災難が来るかのようでした。噂は瞬く間に広がり、みんなが集まってそれらを買い漁りました。
10月に入ると新米が出回り始めました。我々の地域は今でも食糧品や生活用品の不足はありません。ある同修が発表した文章にはこう書いてありました。「10世帯のうち1世帯しか残らないという予言は、もう当たらず、予言はすでに外れました。私たちは宇宙大法を修煉しており、全ては師父が把握されています。現在、中国共産党(以下、中共)の組織から脱退した人数はまだ3億しかないのです。もし、私たちが毎日三つのことに力を入れ、法輪功迫害の実態を多く語り、人を多く救い、5億人になったとしたら、更に多くの人を三退させることができます。毎日正念を持ち、正しく行ない、大法弟子の基準に従っていれば、師父は弟子にお腹を空かせる訳がありません」
法理から分かると思いますが、大法弟子はそれぞれの地域を担当しています。もし、この地域で、市の数千万人あるいは数百万人のうちの半数が三退し、郡の数百万人のうちの半数が三退し、さらに町の半数の人が三退し、村の全員が三退し、あるいは大法弟子みんなが自分の地域の人々の半数を三退させたら、大法に同化して、人類の道徳が向上し人心が善に向かうことになり、災害が無くなるのではないでしょうか?
疫病蔓延の大変な時期に、いかにどのような方法で人を救うかは最も重要です。食料品や生活用品を購入することで、自分を保護する心と、自分の私心が見えました。もし食糧がなくなれば、飢餓を恐れる人心がでて、利益に貪欲になったり、争う嫉妬心や流れに身を任せる心から、それらのことに夢中になってしまい、真に悟っていませんでした。
師父は「業力が大きい地区、人心が悪くなった地区はどうしても安定しません」[1]と説かれました。社会に現れた様々な災害は偶然ではなく、人心がだめになったことで、神によって罰せられたのです。もしある地域の同修が、人々に法輪功迫害の実態を明白に伝えれば、中共の邪悪な性質がよく分かった人はきっと救われ、人生も変わり、災害も少なくなります。もしこの地域の大法弟子によって、三退させる人数が多くなり、人々が迫害の実態が分かってくれば、業力はきっと少なくなります。
少し前、我々が住む街に猛烈な雨が降る恐れがあると言われました。しかし、雨は我々の地域ではなく、別の地域に降りました。我々の地域は他の地域より、三退した人数がわりと多いのです。そのため災害や疫病などが少ないのです。もしその地域の同修が、精進して法をよく修めれば、食糧や生活用品などは不足しないはずです。逆に言えば、もしこの地域の同修が精進せず、よく修めていなければ、災害が多くなります。それは当地の大法弟子の修煉状況により変わるのです。
私は、今回の食糧品や生活用品の購入に関して反発の心が起きました。誰かが食糧品を買うとかの話をすると、すごく反感が出てきて聞きたくなくなったのです。同修のBさんはこの数カ月の間に、食糧品の購入のことを私によく話しかけていました。自分が食糧品や生活用品を買うべきかどうか、その時はまだ悟っていなかったために心が揺れてしまいました。気が弱くなった私はその話に流されてしまい、ついに買ってしまいました。やはり恐怖心が酷くあって、食べ物がなくなれば飢餓を恐れ、物価の上昇を恐れ、あれも怖い、これも怖いと怖がっていたのです。夫は買わせてくれませんでしたが、私はこっそり買ってしまい、部屋には食糧品や生活用品が溢れてしまいました。
旧勢力は別の空間で大法弟子たちが食糧品や生活用品を買うのを見て、わざと来年は食糧不足にならないようにしている代わりに、別の物を不足させ、違う形で迫害しています。だから、修煉には大事の分別がありません。大法は出来ない事はなく、ただ師父と法を信じることがどこまであるかの程度によります。なぜ重要なときに、いつも左右されてしまうのでしょうか? しっかりと修めておらず、師父と法を信じる問題だけなのでしょうか? 今回の事から、自分の人心と自身の不足が見えました。表面しか修めておらず不安定で成熟していませんでした。
今世で師父の弟子になることが出来て幸いです。弟子としてはこれ以上ない光栄なことです。
注:
[1] 李洪志師父の著作:『精進要旨』「善を説く」