【明慧日本2020年10月18日】(明慧記者・瀋容)この世に生まれて来た林愷馨さんは、記憶が始まったばかりの頃から「甘いより酸っぱく苦い」という五つの苦しみの味が分かっていました。それから1999年になるまでは……。愷馨さんの人生は転機を迎えました。柳がほの暗い中で花が明るく咲くような、そんな人生の夜明けが見えてきました。
林愷馨さんの以下の物語を、みんなと一緒に分かち合いましょう。
人生は苦しく短い
「子供の頃、私の体はとても弱かったのです。咳が出て風邪を引くと1週間は飲食ができなくなり、胃の出血でもう少しで死にそうになったことがあります。大人になってからも重い風邪に罹り、7日間意識不明になったこともありました。結婚後、澎湖に移って来ましたが、妊娠してからは何も食べられず、何を食べても吐き出し、水を飲んでも吐き出し、妊娠中はずっとそのような状態でした」
「初産で難産だったので大量出血し、出産後は数カ月もの間、子宮内が化膿していました。医者は、私の子宮は全体的に駄目だろうと告げました。6年後の第二子出産時も、同じように大量出血しました」
2人の子供を産んだ後、愷馨さんの命は糸にぶら下がっているようでした。すべての活力を使い果たした彼女は、「それ以降、毎年秋になり風が吹くと冬にかけて咳が出るようになり、一晩中眠れないくらい咳が出ました。それに悪性サラセミア(訳注、遺伝子の異常による貧血)も患っていました。朝、起き上がるときは目の前がちらちらします。そのため必ず壁にもたれて5分休み、しかも5回は壁にもたれる必要があり、やっとベッドルームからキッチンまで何とか移動することができました。それに加えて、重度の尿失禁や、脊椎と頚椎に骨棘(こつきょく)ができ、14年にわたる不眠症もあり、その上、体の中に8センチ大の腫瘤が検出されました。肌も完璧なところがなく、常に体に問題がある状態でした。夫は『頭からつま先まで健康なところがない』と言いました。私は娘の成長を見守ることができないとさえ感じていました」と言いました。
風の中で突然明るくなったり突然暗くなったりする残燭のように、力一杯、弱いグローランプ(点灯管)を燃やしていました。しかし、油がなくなりランプが切れたと感じても、相変わらず彼女は絶えず自分の身を落ち着かせ、立命(訳注、天命に任せる)の道理を探し続けました。彼女は、いつも心の中で「子供の頃から、私は人の娘でした。大人になったら、人の妻になり、子供がいると人の母になります。その次は、病気、老衰、死亡を待っている、とでもいうのですか? 私の生涯は、もっと重要な価値があるべきです。このように終わるべきではありません!」
生命の曙光が見る
1999年は愷馨さんにとって新しい人生を歩み始めた1年でした。普段テレビを見ないのですが、夫がテレビをつけた時に、たまたまある映像を目にしたのです。それは、アメリカのニューヨークにあるセントラルパークの緑の芝生で、老若男女の様々な民族の人たちが、音楽に合わせてしっかりとした動きをしており、みんなの表情はとても和やかで、この静かで穏やかな風景に行きかう人々が目を引き付けられていたのです。それらは彼女の心を揺さぶりました。
彼女は、その時を思い出して言いました。「丁度、カメラはある若い男性を捉え、目を閉じている全身の穏やかな映像は私に衝撃を与えました」
「彼らは、何をやっているの? どうしてこのように穏やかになれるの? その続きを見て、彼らが法輪功をやっているとわかりました」
古代の人が「朝に道を聞けば、夕べに死すとも可なり」というように、心の中の真実への強い欲求は愷馨さんに、あらゆるところを尋ねるように促しました。そして、消息が分かった翌日には、彼女は澎湖から台北への飛行機に乗り、夜明け前には台北の中正記念堂の煉功点を見つけていました。「私は東洋医学のツボを勉強したことがあり、一つの任・督二脈を通り抜けるだけでも練功で数十年かかるかもしれないことを知っていました。しかし、私が彼らの動きを学ぶ中で、両手を頭の前で法輪を抱えると、私の任・督二脈が通り抜け、腹部で自動的に回転し、それから腹部の前で法輪を抱えると、法輪が体の中に入って労宮のつぼ全体で法輪が回転していると感じました!」
愷馨さんは、人間として生きていく目的を見つけるために、そして身体の調子を改善するために佛教の経典を一心に勉強していました。禅宗も勉強したこともあり、坐禅もやったことがありましたが、この僅かな1~2時間の煉功が彼女にもたらした震撼には及びませんでした。
「一般的に、禅宗の法門では練功時、足の下の空洞のところを避けなければなりません。そこは、排水路なのです。しかし、何人かの修煉者は排水路のカバーに直実に座って、山のように動かず、落ち着いて坐禅する姿を見て、私も修煉者について座りました。私は坐禅についての沢山の本を読んだことがあり、有名な禅宗の本も購入しましたが、何も感じませんでした。しかし、私が初めて「神通加持法(第五式)」で、感じた全てのエネルギーは、意外にも、今まで読んできた本の中に述べられた全ての現象を遥かに超えていました。何々叩歯(歯をカチカチすること)、何々縮肛(肛門を収縮すること)などの意識的なものはなく、全ては自動的なのです。手を伸ばすと、両手の掌でボールが回転しているのを非常にはっきりと感じました。これらのことは、遥かに私の想像する以上のもので、大変、驚きました!」
愷馨さんが、台北から飛行機に乗る前に、修煉者から推薦してもらった『轉法輪』を本屋に探しに行きましたが売り切れでした。「佛教の経典をたくさん読んだことがありますが、この『轉法輪』を手に入れることができなかっただけで、とても悲しくて落ち込んでしまったのです。まるで生命の大切なものを失ったようでした」
そのため、澎湖に戻ってからも『轉法輪』を探し続けていましたが、ついにある中国の女性から、まるで珍しい宝物を得るように『轉法輪』を受け取ることができたのです」
『轉法輪』は金色に輝き、言葉遣いが簡潔で美しく意味深いのです。一つ一つの言葉が雷鳴のように彼女の心を震わせました。天機がすべて漏らしてあるのです! 「私はいつも読みながら、自分の太ももをたたいて、なるほどこういうことか! なるほどそういうことか! と、過去の自分に聞いたり、他の人に聞いたり、本を調べたりしても得られなかった答えが、毎日、突然分かるようになりました。続けて読んでいるうちに、身体がまるで神聖なエネルギー場にいるようで、生涯自分を怖がらせるものは何もないと感じました!」
心性の苦しみと、関を乗り越える難しさは、一心に修煉をしている中で、生命の昇華のための一つ一つの階段になります。「以前、義母からは多大な苦痛と圧力を与えられ、私は海辺で一人で何度も泣いたことがあります。泣き悲しむ姿をみて、通りかかった人に私が自殺しようとしていると誤解されたこともありました。大法を修煉してからは、自分の義母に対する想いは、苦痛に耐え、淡々とすることで最後には怒りと憎しみが無くなり、落ち着いた気持ちになったと気づきました。義母と一緒にいることは運命だと知っているので、理由も無くこれらの苦しみに耐えたり、経験したりする事はありません。理由があるに違いありません。たぶん人は、私の心性が高く怒らないと思われるかもしれませんが、これはすべて自分が大法で得た力です」
大法の力は、長年の病気で蓄積してきた独りよがりの癖を溶かし、「真・善・忍」とは何か、「実の修煉」とは何かを、身を入れて体験しました。「修煉してから、私は夫に対して本当に申し訳なかったことに気づき、驚いて目を覚ましました。以前、脊椎の疾患で、発作がでると、ベッドに1週間以上横になるので、沢山の小さなことや大きなことまで、すべて夫に任せていました。しかし、そのころは、私は大法の道理が分からず、自分がこんなに苦しんでいるのに、夫は、また1日中外へ出かけて行ったと思い、彼を責めていました。今、当時のことを思い出すと、本当に恥ずかしく思っています。夫に笑顔がなく、家に帰りたくないのは、私のせいではないでしょうか? 病気だからといって人に嫌な顔を見せてもいいのでしょうか?」
愷馨さんはだんだん自分の常人の心を無くし、「自我」から生まれた不満、非難、頼りにすること、消極的なことなど、一つ一つを取り除き、自分を元の優しさ、謙遜さ、思いやりのある初志に戻しました。「今、私が目にしているのは、夫の良さだけです。彼に心から感謝します。たまに葛藤があっても、まず自分を内向きに見つめます。他人に優しくすべきだと思った時、相手は一瞬で何も起こらなかったかのように微笑んでいるのです。まるで何も起こっていなかったかのようでした」
第五式の功法「神通加持法」を煉る愷馨さん
病気も無く全身が軽くなり素晴らしい
大法を修煉して暫くして、愷馨さんは一つ一つの自己中心の常人の心を無くしただけではなく、身体にも生まれ変わったような変化があり、「以前、体の具合がよくなかった時は、私は市場へ行っても、1キロの物でさえ持てなかったのです。持つと子宮が出るように感じて辛かったのです。そのため夫がいつも私の後ろについて物を持ってくれました。しかし今では、1キロの物はもちろんのこと、20~30キロの物でも持つことが出来ます。夫も自分の妻がまるで他人に変身したようだと感じています」と語りました。
ある時、愷馨さんの夫が友人と電話していました。「私の妻は、法輪大法を修煉してから、二つの大きな変化がありました。これらのことは、彼女の生涯では決して起こらないだろうと思っていたことです。一つ目は、彼女がなんと午前4時に起きて煉功することです。以前の彼女の身体の具合では、全く不可能なことです。だから、私の子供は小さい頃から大きくなるまで全て自分たちで目覚し時計を設定して、朝早く起きて朝食を用意していたのです。二つ目は、彼女が長期に不眠症で、ちょっとした音でも直ぐに目を覚ましていましたが、今では、彼女の睡眠は私よりいいのです。ある時、二十数台の救急車が家の外で長い間サイレンを鳴らしていましたが、それでも妻は、まだぐっすり寝ていました」
愷馨さんは笑って言いました。「今は、どんな大きな音でもぐっすり眠れます。気温がどんなに低くても全身は暖かい太陽のように感じます。以前は、毎年厳しい冬は、私にとってまるで刑罰を受けたかのように辛かったのです。その理由は、私の気や血液循環が悪いので手足の先まで届きません。ですから冬は、布団の中で足が数万匹の蟻に食い破られていたように痛くて眠れず、足を外へ出すと、今度は寒くて仕方がなかったのです。その上、長期の不眠症で本当に死ぬよりも辛かったのです。しかし今では1年中、再び寒くなることはありません。冷たい風が私の手を襲っても手は相変わらず温かく、夫が大きな布団にくるまっていても、私は暑くて汗をかくことがあり、毎日、全身が暖かくて気持ちがいいのです」
大法の素晴らしさを縁のある人々と分かち合う
膨湖で長い間、民宿を経営する愷馨さんは「いつもお客さんとお喋りをするたびに、彼らはよく尋ねます。あなたにはこんなに大きな娘がいるのに、どうしてあなたはこんなに若く、しかもきれいな肌をしているのですか?」
「この時、私は必ず修煉後の体験を彼らと分かち合うのです。かつて、旅行に来られた教授や博士課程の学生グループと、深夜から夜明けまで話をしたことがありますが、彼らはずっと聞きたがり寝ようとしませんでした。実は、法輪功学習者が大学で毎日煉功している姿を見かけています。今では法輪功がとてもよいものと知って『帰ったら必ず学びに行きます』と、話をしてくれました」
「このような例がとても沢山あります。私は一つ一つ貴重な機会を利用して、彼らと友達になります。多くのお客さんが、私たちの誠実さと優しさを感じ、毎年、膨湖に私たちを訪ねて来られます」と語ってくれました。
生命を大切に
愷馨さんは大法を修煉する前は、人生は浮き沈みと悲しみに満ちていると感じていました。修煉の道を歩んできて、彼女は師父が全ての生命を大切にされていることに気づき、人間としてこの世に降りてくる意味と価値が分かりました。「私の心の中に大法があり、他人がいます。心を費やして再び自分の遭ったトラブルや困ることについて考えなくなります。最初の考えが拡大された自分である限り、先に他人、次に私、無私無欲、こうすれば、あなたは師父が導いてくださった広い道を歩んでいるに違いありません」
大法のお陰で彼女は生まれ変わり、また大法のお陰で、人生の中に含まれるものがとても博大で、元々、一人一人の生命が非常に貴重なものであることが分かりました。
「私はみんなに伝えたいです。大法はこの暗い世の中で最も明るい光であり、人々に最も正しい道を導いてくださっています。あなたが知りたいと思う気持がある限り、あなたは恩恵を受けるでしょう。それは永遠に想像もできないほど明るく美しいものです」