【明慧日本2020年10月24日】中国共産党(以下、中共)の法輪功に対する迫害の中で、雲南省昆明安寧市の法輪功学習者・高恵仙さん(56歳女性)は2回にわたって実刑判決を下され、独房で9年間、迫害された。高さんは人々に「真・善・忍」の素晴らしさを教えたり、明慧カレンダーを配ったと言う理由で連行され、2019年11月19日に再度昆明市西山区裁判所により懲役7年の実刑判決を言い渡された。
高さんは元雲南省昆明鋼鉄会社橋鋼工場の職員で、2018年12月に安寧市のある村の共産党書記に法輪功の真相を伝えて1冊の明慧カレンダーを贈った際、その書記により通報された。4日後、安寧市国内安全保衛部門(法輪功迫害の実行機関)の警官らに連行され、家宅捜索を受け、パソコン、プリンター、多くの法輪功関連書籍と資料を押収された。2019年11月「法輪功の資料を配布して2回懲罰されたという前科がある」という口実で昆明市西山区裁判所により再度懲役7年の実刑判決を言い渡され、罰金1千元(約1万6000円)を科された。
高さんは子供の頃から身体が弱く、風邪にかかったり、発熱や下痢が多くて免疫力も弱く、貧血やめまい、元気がないなどの症状がよく出ていた。そのため多くの気功を練習したが、どれも効果がなかった。1998年8月に、高さんは法輪功を学び始めた。しばらくすると、あらゆる病気が消え、体が軽くなった。 同時に、高さんは法輪功の要求である「真・善・忍」を遵守し、何かトラブルに遭遇した時には自分自身の問題を探し、常に心を磨いていた。もともと心が狭く、計算高く、損をすることができず、文句ばかり言っていたが、法輪功を学んでからは心が広くなり、どんなに損をしても不満に思わなくなった。
1999年7.20から、高さんは以下のような迫害を受けた。
2000年4月4日、昆明鋼鉄の法輪功学習者9人と共に北京へ陳情に行った際に、天安門広場で法輪功の旗を掲げたため連行されて勤務先へ戻された後、20日間拘禁された。
2003年11月、高さんは同部署の同僚たちに法輪功の資料を配ったため連行されて、秘密裏に開廷され懲役3年の実刑判決を言い渡された。
2007年3月27日、出所して3カ月しか経っていなかった高さんは、法輪功が迫害を受けている実態を世人に伝えていた時に、路上で警官に連行された。その後、家宅捜索を受け、多くの個人財産を押収された。同年9月の初め、再度秘密裏に懲役6年の実刑判決を下された。
高さんは第二女子刑務所に2回にわたって拘禁された。2回とも「独房監禁」という屈辱を受け、処罰された。1度目は5カ月、2度目は2カ月、その間は、歯を磨いたり、風呂に入ったり、衛生面で水を使ったりすること、衣服の着替えや、毛布を洗ったりすることは一切許されなかった。毎日、朝7時から夕方5時過ぎまで炎天下に整列を強要され、夕食後はすぐに独房に閉じ込められた。
中共による拷問のイメージ図:炎天下で放置 |
拷問のイメージ図:長時間、小さな椅子に座ることを強要 |
拷問のイメージ図:吊り上げられる |
刑務所では1日3回だけトイレに行くことが許可されていて、毎日小瓶の水しか飲ませてもらえなかった。 いずれの場合も「厳重に管理」され「小さな椅子に座る」ことを強要された。毎朝7時頃から深夜11時まで小さな椅子に座ることを強要された。体を傾けたり、座布団に座ったり、体を動かすことも禁止された。膝に両手を置き、上半身をまっすぐにして座らなければならなかった。風呂は禁止で、週に1度だけ水で体を拭くことしかできなかった。夜間には蚊が多かったが蚊帳は与えてもらえなかった。このように小さな椅子に長時間座っていると、お尻が腐ってしまい、耐えられないほどの痛みになってしまった。ある日、高さんは歌を歌ったため4、5時間吊り上げられるという拷問を受けた。上のイメージ図のように、両手を縛り付けられ、両足は地面にほとんど接触しない状態だった。また、奴隷のような重労働を強いられた。
高さんは勤務先の部署を除籍され、1年10カ月の救済金も差し止められた。
(注:法輪功学習者を迫害している主要な責任者らの情報は、中国語のページを参照)