文/河北省の大法弟子
【明慧日本2020年10月27日】私は1999年以前に法を得ました。当時は子供でしたが、大人になり社会人になってから、徐々に物欲まみれの華やかな世界に目を奪われてしまい、常人と変わらなくなりました。母親の死去による打撃を受けてから、すぐに中共ウイルスが全世界で蔓延しはじめました。農村部の故郷に半年以上いた期間中、多くの時間を使って古い同修に接触し、心を静めて、人生の真諦とはどこから来ており、どこへ向かうのかを考えるほど暇でした。特に私を改めて正しい方向へ向かわせた師父の慈悲と同修の助けに感謝します。
夫の実家で私だけが修煉していました。義父母はビニールハウスで野菜を育てていました。故郷に滞在している間、私は彼らを手伝って市場に行き野菜を販売しました。最初は出発点が正しくなく、彼らを手伝って野菜を販売することは、自分の値打ちを下げてしまい、面子を失い、太陽は強く照りつけ、肌は日焼けして黒くなると思っていました。その後、徐々に認識が正しくなりました。ちょうどこの機会に法輪功の真相が書かれた紙幣を使い、多くの人に会うことができるから真相を伝えられると、心の中で暗々裏に喝采しました。その後また義理の親を手伝って野菜を売ることは面子を失うことだと思っていたのは名を求める心であると認識できました。最後に自分が真相を伝えることに便利だと思って、喜んで自ら進んでやろうとしたことも自分のために考える心であると分かりました。最初数十元の収入のために風に吹かれて日焼けをし、雨に濡れることが非常に辛く、非常に苦しいと思っていました。同修は私に「師父の説かれた行脚の法を考えてみてください、また師父が弟子のためにどれほど多く肩代わりされているかを」。同修のその言葉を聞いて私は非常に残念に思い、心理状態を正し、発正念して安逸を求める心を取り除き、そしてどんな天気でも心が動じなくなりました。
私は野菜を買ってくれる人に真相を伝え、三退を勧めました。一部は喜んで真相を聞き入れ三退し、私に感謝しました。しかし異様な目で私を見つめながら「あなたは若いのにこれを信じているの?」と聞く人もいました。私は穏やかに答えました。「信じてます! 誰もが平安になりたいでしょう、私もあなたが平安になってほしいです。真心であなたがよくなってほしいです。一文も請求しません」。それを聞いたその人は、微笑みながら「いいです、脱退します」と言いました。当然ながら信じないと言ったり、何も言わない人もいます。しかし、私は徐々に穏やかになり、心が動じなくなりました。もしかしてまだその人が真相を受け入れる時期ではないのかもしれないと思っていました。若者が携帯電話で野菜の代金を支払う時、私はついでにインターネット封鎖の突破方法が印刷されたカードを渡し、彼らにインターネット封鎖を突破して、真実の情報を見るよう伝えしました。大多数が受け入れました。時には仕事をする心が湧き出てきます。もし3元の野菜を買った人が私に10元札をくれたら、普段であれば、5元1枚と1元2枚をおつりとして返します。しかしもっと多くの真相紙幣を流通させるために、7枚の1元札を渡しました。しかし人によってはたくさんの細かい紙幣を受け取ろうとしません。こうして時には人々が納得出来ないことをし、逆効果を引き起こしました。その後、ことを行うのに度合を把握すべきだと理解できました。毎日三退できる人数は限られていましたが、しかし私は徐々に妨害と人心の束縛から突破できました。私はますます師父の励ましとご加持を感じ取りました。
6月に北京新発地で新型コロナウイルスが流行した時、姑は私に野菜販売に行かせないようにしましたが、今は衆生が真相を知り、平安を保とうとする時だと思い、マスクをしっかりすれば大丈夫だと伝えました。姑は依然として「家で子供の面倒をしっかりみれば良い、明日販売する野菜を準備しないから」と言いました。私は心が動ぜず、師父にご加持を求めました。弟子は外に出て人を救いたいです、私は発正念をして人を救うことを妨害するすべての邪悪な要素を取り除き、真相紙幣もしっかり準備しました。翌日アラーム時計のベルの音が聞こえませんでしたが、姑の電話に起こされました。「今日も野菜売りに行きたいの? 野菜は準備できたよ、速くしないと遅れるよ」と言いました。私は慌てて「行きます」と答えました。姑は一晩で態度が変わりました。私は心から師父に感謝しました。一度、夜によく知らない、縦横に交錯している小路で資料を配っていました。資料配りが終わった時、よく知らない小路からよく知っている大通りに出て来ました。振り返ってみたら、出てきた小路はちょうど数日前に資料を配りたかったその小路でした。心の中は師父に対する感激で満ち溢れました。
発正念をする時、思想業が絶えず込み上げて来て、常に時間を見ていました。時間になるとすぐ足を降ろしました。しかし思想業はまだきれいになっていませんでした。一度、私は再びこれらの良くないものを受け入れてはいけないと思い、そして発正念の時間を延長しました。頭の中に絶えず込み上げてくる怨恨の心、辛く感じさせる心は抑圧しても、また込み上げて来ました。40分間発正念を続けた時、思想業も瀕死のあがきをし、なんと涙が流れてきました。お腹が大きな石に圧されているように苦しくなり、それを排除しようとしても排除できませんでした。心の中で師父にご加持をお願いし、引き続き発正念をしました。思想業は何度も私に足を降ろさせようとしました。そろそろ1時間が経ち、もう堅持できないと思っていた時、涙が絶えず流れ、内心ではずっと正念を強めていました。最後にお腹から気体がぴゅーっと口から飛び出し、心の中に圧されていた怨恨の大石が消え、身体が軽やかになり、頭脳明晰になり、妙なる感覚が自ずと生じました。「忍び難がたきは忍びうる。行ない難きも行ないうる」 [1]、本当に「柳暗花明又一村」でした。
子供の教育においても自分は比較的に厳しいと思っていましたが、自分の子供が良くない振る舞いをする子供と一緒に遊ぶのを見ると、あまり自分の子供をしつけたくなくなりました。自分はそれをただ少し怠惰である、少し責任が足りないと思っていました。同修と交流した時、同修は私に「自分の子供はしっかりしつけなければなりません。なぜいつも他人の子供の良くない振る舞いが見えるのでしょうか、自分の子供が傷付くことを恐れているのではないでしょうか?」と言いました。私は、ハッと分かって来ました。そもそも自分の私心がいわゆる怠惰、責任を負わない心に覆い隠されていましたが、自分でも気付きませんでした。子供はずっと何かに遭遇すると責任を怠る習慣があり、実際これは私にとって一枚の鏡でした。他人を見ないで自分を修めなければなりません。
私は携帯電話に対する妨害も非常に大きく、嗜好神経にずっと惹きつけられていました。引き続き見てはいけないと思っていましたが、徹底的にそれを手放せない一種の力量がありました。時間は常に無駄になってしまいました。携帯電話に対する執着心が続かないように、自分の意識を強めてそれを排斥し、否定しました。普段重要なことがなければ、携帯電話を視野から遠く離れているところに置きました。最初は慣れなかったのですが、少しずつ慣れて来ました。
最初は、身の回りの人に大法が素晴らしいと伝えたかったのですが、恐怖心と正念が不足していて妨害されていました。学法を多くし、正念を多く発し、交流文章を多く読みました。すると正念が強くなって来て、知らない人に真相を伝える第一歩を踏み出すことができました。生活は凡事で満たされていますが、私は学法を第一位にし、多く内に向けて探しました。すると多くのことがすらすらと解決されました。師父、ありがとうございます!
以上は個人の体得であり、不適切なところについては同修の慈悲なるご指摘をお願いいたします。
注:
[1] 李洪志師父の著作:『轉法輪』