【明慧日本2020年11月6日】四川省綿陽市北川県の法輪功学習者・蒋利斌さんは長期にわたって、中国共産党(以下、中共)から迫害を受けていた。2009年に連行された蒋さんは、2010年に懲役3年、執行猶予5年の判決を言い渡された。2015年、蒋さんは嘉州刑務所に送られた。2018年に出所したときの蒋さんは、全身が浮腫んでいて、体に力が入らない病状があったが、帰宅しても引き続き、中共からの嫌がらせを受けた。そして、2020年10月13日、蒋さんは無念な思いを晴らせないまま、この世を去った。享年59歳。
蒋さんは北川チャン族自治県安昌鎮に在住していた。1999年6月、蒋さんは法輪功を学び始めた。以前、蒋さんは眩暈、鼻血が出るなどの病気を患っていたが、修煉後、完治した。妻・謝福芬さんは、胃潰瘍、胆石、乳腺炎の持病があって、手術をしても治らなかった。2005年に謝さんも法輪功を学び始めた。その後、謝さんは健康を取り戻し「法輪功に命を救われた」とよく言った。
生計を維持するため、蒋さん夫妻は小さな米粉店を経営していた。しかし、夫妻が法輪功を学んでいるため、繰り返し地元の警官に嫌がらせをされたため、店を閉め、他のところに出稼ぎに行くしかなかった。
懲役3年、執行猶予5年の判決を受ける
2009年9月30日午前11時ごろ、北川県の国内安全保衛部門(法輪功迫害の実行機関。以下、国保)の大隊長と安昌派出所の警官は蒋さんの家に押し入り、強制的に蒋さん夫妻を安昌派出所に連行し、別々の部屋で尋問を行った。
警官は蒋さん夫妻に誰と連絡と取っているか、誰と一緒に煉功しているかなど、尋問をした後、夫妻を綿陽市留置場に送り込んだ。その後、警官は蒋さんの家を家宅捜索し、パソコン、プリンター、DVD-RW、法輪功の資料・書籍などの私財を押収した上に、夫妻が経営している店の資金も奪った。
蒋さんは留置場で197日間拘禁された後、不当に開廷された。その後、中共の裁判所に懲役3年、執行猶予5年の判決を宣告された。謝さんは留置場で30日間拘禁され、保釈されて帰宅した。
2010年8月17日、国保と派出所の警官は蒋さんの自宅に行き、蒋さんを安県の暁バー洗脳班に入れた。蒋さんは洗脳班で毎日24時間、監視され「三書」を書くことを強いられ、20日間拘禁された。警官は謝さんも洗脳班に入れようとしたが、謝さんの母親が転んで、介護が必要だったため、免れた。
2011年10月、国保の大隊長は県の関係部門の主任と一緒に、蒋さんの家に行き、嫌がらせをして、謝さんを洗脳班に入れようとした。そのため、蒋さん夫妻は家から離れることにした。
刑務所に拘禁される
懲役3年、執行猶予5年の判決を下された蒋さんは、その猶予期間中、警官から繰り返し嫌がらせをされるため、妻と一緒に家を離れ、地元の公安局にも顔を出さなかった。そのため、地元の公安局と裁判所により、ネットで指名手配された。
2015年3月30日、蒋さんは北川県安昌鎮で北川県公安局の警官に連行された。その日に逮捕令状を発付され、永昌鎮馬鞍路派出所に拘禁された。
2015年4月11日、蒋さんの親戚は北川公安局から蒋さんの逮捕状を受け取った。2015年4月13日朝、蒋さんの親戚は北川県留置場に行き、蒋さんに着替えを持って行ったが、「2015年4月9日に蒋利斌を楽山嘉州刑務所に送った」と、そこにいた女性警官は言った。
そして、親戚は北川裁判所へ行き、蒋さんの案件担当の裁判長に会い、蒋さんについて詳しいことを聞いた。その裁判長は「2010年10月に本裁判所は蒋利斌に執行猶予5年、懲役3年の判決を下した。猶予期間中に蒋利斌は常に地元の公安局と郷、鎮の関係部門に顔を出さないといけない。しかし、数年も蒋利斌さんを見つけられないため、ネットで指名手配した。昨年10月、北川公安局、各郷、鎮やコミュニティで指名手配のポスターを貼った。今回の逮捕はこの前の判決の執行だから、直接蒋利斌を刑務所に送った」と話した。
親戚たちは裁判長に法輪功迫害の実態を話したが、裁判長は「俺は聞かない」と聞く耳を持たなかった。その後、親戚は北川公安局に行き、蒋さんが連行された当時の状況を聞いた。国保大隊と安昌鎮の警官は直接、蒋さんの連行に参与したことがわかった。
迫害により死亡
2018年下半期、蒋さんは刑務所から解放された。しかし、全身に浮腫みがあり、力が入らないという病状があった。しかも、帰宅しても地元の公安局、派出所の警官、コミュニティの人員に繰り返し、嫌がらせを受けた。そして、2020年10月13日夜、蒋さんは突然、吐血が止まらず、亡くなったという。