文/中国の大法弟子
【明慧日本2020年11月6日】この1年、明慧ネットの記事では、年配の同修が、修煉の中でしてはいけないこと、例えば、葬儀の手配、遺言書の作成、遺産分割、墓地、死装束を買うなど、このような現象についていくつか言及されていました。この一念により、病業の壁を越えられずに命を落とした人がいました。師父は「ここに基準が一つあります。定められた天寿を越えた、延長された生命は、すべて煉功するために与えられたものであり、間違った考えが浮かんだだけで命の危険を招くことがあります。というのは、あなたの生命の過程はとっくに終わっているからです」[1]と説かれました。
このような一念がこんな重大な結果をもたらす主な理由は、これらの修煉者が生老病死の観念を完全に打破できず、旧勢力に隙に乗じられ、死に至る迫害をされたからです。
生老病死は宇宙の法則であり、人間が生まれ、老い、病み、死ぬという自然な状態です。しかし、修煉者として、この観念にとらわれず、人間から出て神になるためには、この観念を打ち破らなければなりません。修煉者の中には、年を重ねるごとに、白髪、シワ、難聴、目のかすみ、足腰の弱さ、記憶力の低下などの、肉体的な老化の度合いは異なりますが、それは自然現象であり、「老い」の観念を打破するものではないと考えています。修煉者の中には、病気と闘ったものの、「病気」という観念を打ち破ることができず、持ってはいけない思いのため命を落としてしまった人もいました。
私たちの体が高エネルギー物質に置き換えられると、私たちの理解や悟りはより高い水準に達しているはずで、この世の生老病死の対象にならず、数千年前から修行を続けている人たちがまだたくさんいるのです。私たちが実践していることは、真の性命双修の大法であり、わずか数十年で圓満成就するので、私たちは生老病死の概念を完全に打破すべきです。普通の人々よりも若いだけでなく、ますます若くなり、旧勢力に隙に乗じられないように、より法輪功迫害の実態を伝えやすくなり、より多くの人々を救うことができます。
もちろん、年配の修煉者の中には、赤ちゃんのように肌のきめが細かく、あらゆる面で生命力を保っている年配の修煉者も多く、それが私たち修煉者のあるべき姿だと思います。
注:
[1] 李洪志師父の著作:『轉法輪』