文/中国の大法弟子
【明慧日本2020年11月23日】修煉とは、思考がシンプルであればあるほどよいのであり、欲望は少なければ少ないほどよいのです。また物質的なものへの追求は淡泊になればなるほどよく、世間の損失を軽く見れば見るほどよいのです。
欲望や物質、そして損失など、これらのものはあなたが上昇するときに持っている余計で無駄な重荷であり、この重荷が自分の修煉を引きずり下ろすことや、どうでもいいことが明らかに分かっているのに、どうしてもこの重荷を捨てることができないのです。このことにより、ある次元に長く留まって向上しない人がいます。
心の中に法があれば、修煉に影響を与える重荷を常に下ろすことができます。
生命は上に行けば行くほど素晴らしいものであり、身体が軽くなり、心が純粋になり、境地が高くなり、構成要素がミクロで繊細になります。
大法弟子は師父の大いなる慈悲と救い済度の中で、本当に自分を修めることができれば、重荷はどんどん少なくなっていくはずです。