【明慧日本2020年12月1日】(前文に続く)
三、法輪大法は私たちをより向上させた
修煉の中で、心が折れるような苦痛もありました。しかし「真・善・忍」に基づいていつでも反省しさえすれば、さまざまな悪いことはみな良いことが起こるきっかけであることがわかりました。
1、劣等感を取り除く
沫沫は以前は人と交流するのを恐れており、みんな沫沫が人に対し冷淡で関心を持っていないと誤解し、近づきがたいと思っていました。修煉を始めた後、沫沫は、他の人とコミュニケーションをとることを恐れることは間違っていることに気づきました。グループ学法の時、いつも沫沫の番になると「言うべきことは、法に照らして煉功者の心性基準に合致すれば問題はありません。しかもわれわれはまだ法を説き、法を宣伝しなければならないので、ものを言わないわけにはいかないのです」[1]という師父の説法を読むことができました。そうです、話さなければ、どうやって常人に真相をはっきりと伝えることができるでしょうか?
沫沫は自分が話すのが嫌いであるという根本的な原因を発見し、それは沫沫の発音がおかしいことで他人に笑われることを恐れる心と自尊心のためでした。沫沫はだんだんと自分の心の扉を開き、勇敢にさらに多くの人とコミュニケーションをとって交流しに行き、ある時の会社のイベントでは、沫沫はさらに自らステージに上がって歌いました。
当然、沫沫も師父が説かれた「われわれが口を開いてものを言う時には、煉功者の心性に基づいて言うので、人と人との間の和を損なうようなことを言わないし、良くないことを言わないのです」[1]をしっかりと覚えていました。沫沫は陰で他の人の是非を議論せず、怒って人を傷つけるような話をせず、他の人が沫沫に伝えた秘密が伝えられたことはありませんでした。だんだんと、沫沫は人々の自分に対する見方が変わってきたことに気づき、関係がより緊密になったことに気づきました。沫沫は偶然同僚が法輪功について討論しているのを聞き、率先してその話題に加わり、さらにこの同僚に沫沫の家に来るように招待しました。同僚が帰る時、同時に『轉法輪』の電子書籍を持ち帰り、同僚は興奮して「約束します、必ず本を読み終えます!」と言いました。
2、「私は煉功したくなりました」
小夢が借りている寮には常人のルームメイトがいました。安全上の理由で、小夢は法を学ぶときはミルクティーショップに行き、煉功するときは同修の家に行きました。しかし時にはミルクティーを注文しなかったために、店員に追い出され、同修の家に行くのもまた、毎日行くのは不便でした。小夢は自分自身を注意深く探し、部屋で煉功したがらないのは、ルームメイトに理解してもらえないことを恐れ、自分が危険になるかもしれないことを恐れたからでした。
小夢は「私は煉功者で、恐れる心のためにどうして煉功を続けられないのだろうか? 大法はこんなに素晴らしく、私はどうして恐れるのだろうか?」と思いました。その恐れるということは何か悪いことに違いないと思い、小夢は恐れることを突破することにしました。翌朝出勤前、小夢は寮で煉功を始め、煉功を終えると、ルームメイトは小夢を全く批判せず、小夢は自分のその恐れる心を放下しました。それから小夢は寮で公然と煉功し、だんだんと他の人に大法の真相を伝える勇気が出てきました。
3、病業の中で心性を向上させる
小音と双子の妹はどちらも毛巣洞(仙尾骨の殿裂の軟部組織にできた慢性の小さな穴または嚢胞)の問題があり、妹は手術を受けましたが、縫合部に大きな瘢痕が残り、ドレナージバッグには大量の赤黒い膿が吸引され、手術後もまだ感染を防ぐために長期にわたって挿管と排液が必要でした。
ある日、小音のしこりが破裂して妹のように膿が出て、少し慌て、頭の中が真っ白になりました。この時に小音は法を学び、開いたページで「最も低い次元で修煉する際には、身体を完全に浄化する過程があります。つまり、頭の中の良くない考えや、身体のまわりの業力によってできた場、身体に不健康をきたす要素などを、全部きれいに取り除くということです。それを取り除かなければ、このような真っ黒な身体と、汚れた考えを持っていたのでは、どうやって高い次元をめざして修煉ができるでしょうか?」[1]を読みました。
小音の涙は無意識のうちに流れ落ち、心がとても暖かく感じられました。これが試練であることを知っており、師父が体を浄化して、業を消してくださり、恐れる心を放下させてくださったことを知っていました。翌日、この傷口は埋まりました。しかししばらくすると、再び痛みを伴う膿が充満する状態が現れ、膿で満たされた傷口の位置が変わり、かさぶたはこげ茶色になり、流出した膿は黄褐色から血まみれの膿に変わりました。妹はそれを見てとても心配し、遅かれ早かれ小音も手術をしなければならないと思い、これ以上手術が遅れることがなければいいと願いました。小音は「大丈夫です、これは師父が私の体を清めてくださっているので、心配しないでください」と言いました。
小音はこれが偶然ではないことを知っており、このような方法で業力を少しずつ排除し、師父は「その修煉過程は即ち業を消すことで、つまり苦を嘗めることです。あなたが苦を嘗めなければその業は消去することができません。ですから身体の苦痛は必ずしも悪い事と限りません」[2]と説かれました。結局、長い時間かからずに回復しました。妹は自分の患部を押しましたが、妹も痛くありませんでした。数日後、妹は傷口がゆっくりと治っていると感じ、以前のように黒くなく、小音は心の中で喜びました。
しかし数日も経たないうちに、小音はまた腫れ始め、膿が流れ、かさぶたができましたが、全体の速度は速くなりました。小音は自分がいつも患部を見ようとしないのは恐れる心であることに気づき、自分が恐れていることを恐れ、自分に確信が持てないことを恐れ、真っ黒なものを見るとそれはとても醜く、色欲の心であり、患部がよくなると歓喜心と「病気」をよくすることに執着する心が再び湧き上がってきました。小音は「歓喜心や執着心などの悪質な物質が層ごとに露出され、除去されるのを待っている」と知っていました。歓喜心や執着心の一部を削除すると、自分の空間場が少しきれいになったと感じました。修煉者として、苦をなめ、罪に苦しみ、はじめて業を取り除くことができ、黒い業力も徳に変えることができ、これは一挙両得でした。師父は絶えず次元を高める機会を与えてくださり、絶対に怠けることはできませんでした。
小音も師父が説かれた「この功では次元の飛躍が非常に速く、一つの次元はあっという間に通過しますので、あなたがまだ気づいていないのに、実際には病気がすでに治っています。その後の症状は、わたしのお話しした『劫難』がやってきたのです。気をつけて観察すれば分かりますが、もとの病状とは違います」[3]をさらに理解しました。
小音の心は落ち着き、しばらくして治癒し、二度と現れていません。小音と妹は同じ「病気」で、対処の方法が異なったため、結果も非常に異なりました。妹は小音の変化を見て感服し、妹も修煉に入りました。
4、「光輪(訳注:過去の輝き)」を手放し境随心転(訳注:物質的な環境が人の心によって変化する)する
成績が優秀な悠悠は、自分の仕事が順調にいくと思っていました。しかし就職後、どこに行っても壁にぶつかり、周りの同僚のほとんどは中年で、悠悠でもなかなか溶け込めませんでした。何もかもが違うような気がし、その時はとても憂鬱でした。上司は厳しく、わずかな意見の相違を大声で批判し非難し、他の部門の人々でさえその上司の大声をはっきりと聞くことができました。同僚たちはいつも悠悠に不満を言いました。悠悠は師父が説かれた「あなたは常人ではなく、常人から抜け出そうとしているからです。常人の理で自分を要求してはならず、高い基準で自分を律するべきなので」[4]を覚えていました。悠悠は同僚一同に文句を言わず、自分がきちんと行なわなかったのだと感じ、上司に申し訳ないと感じました。
悠悠はいつも最後に会社を出て行き、案件が緊急の時、家に持ち帰って夜中の2時か3時まで行ないました。しかしこのように行なっても、やはりいつも上司によって完全に拒否され、やり直しをさせられました。ある時、上司が事務所にいた悠悠に「あなたの仕事は本当にひどく、このようなことが続くなら、あなたには他の部門に行ってもらい、私はあなたを使うことができない」と言いました。悠悠は今までにないような挫折感を感じました。悠悠は「以前は、自分が努力している限り自分がやりたいことを手に入れることができ、無意識のうちに努力してすべてを手に入れることができるという観念を形成していた」と内に向けて探しました。師父はこの環境を按排してくださり、それは自分に認識させるためであり、多くのことが人には決められないことだということを悟らせてくださいました。さらに自分が良い仕事をするには条件があり、他人に認められたいということでした。
師父は「佛家では、人を済度するにあたって、条件を言わず、代償を求めず」[1]と説かれました。悟った後、悠悠は自分の執着心を努力して放下しました。放下できない時は法を書き写し、それらの頑固なもの(訳注:執着心)を少しずつ取り除いていきました。ゆっくりと、上司は悠悠に対する対応がよくなり、大声で悠悠を叱責することも少なくなりました。昼食の後、悠悠を呼び散歩や会話をすることもありました。残業の時、クッキーを悠悠に食べさせてくれることもあり、辛抱強くどのように直すのかを悠悠に教えてくれました。本当に境随心転(訳注:物質的な環境が人の心によって変化する)でした。
5、「社長、あなたの言う通りです」
麦子は立ち上げ校のカリキュラム開発を担当していました。仕事内容は重く、完成までの期限は短かかったのでした。仕事に参加する前、社長は3人を手配することを約束していましたが、仕事に参加後、麦子が1人ですべての仕事を行ないました。麦子は修煉者は苦しみを楽しみと考えるということを知っており、それなら頑張ってみようと思いました。
麦子は一生懸命働き、見事に仕事を完成させました。いつも人に優しくし、同僚たちは麦子が社長よりもリーダー的な存在だと陰で言いました。ある時、会議の時、社長が麦子の注目を抑えるために、誰の前でも理由もなく「麦子がやったことはよくなく、他の人は警告しなければならず、果たすべき務めはしっかり行なわなければならない」と言いました。
麦子はその時は歯を食いしばり、耐えて反論しませんでした。しかし家に帰った後、麦子はついに涙を抑えることができず、泣きながら小桃に「私には彼女に反証する理由はたくさんあるけど、修煉者は忍耐強くなければならず、口答えはできません。私は1人で3人分の仕事をしており、彼女の困難を解決するために最善を尽くしたのに、彼女はなぜ私にこんなことをするのでしょうか?」と言いました。小桃は「人間の観点から見れば、あなたは間違っていないかもしれませんが、私たちは修煉者で、私たちは高い基準に基づいて自分を律しなければならず、あなたが落ち着けば、今回のことが発生した原因が必ずわかるでしょう」と言いました。
麦子は落ち着き「少しでも気に障ることを言われると、我慢できず、個人の執着に触れるとすぐに爆発してしまいます。それはすでに相当頑なで大きなものになりました。人に指摘されたり批判されたりしてはならず、間違いを起こしても指摘されてはいけません。これではいけません。これでもまだ修煉者なのでしょうか?」[4]、「言い争わないでください。誰が正しいか、誰が間違っているのかを強調しないでください。いつも自分が正しいと強調する人がおり、あなたが正しいのであって、間違っていませんが、それはどういう意味があるのでしょうか? 法に対する認識が高まったのでしょうか? 人心をもって正しいかどうかを強調すること自体が間違っています」[4]という師父の説法を読みました。
その後トラブルが連続して発生し、麦子はすでに「社長、社長は正しいです」、「この問題を私はまだ見つけていませんでしたので指摘していただきありがとうございました!」、「社長は私の欠点を気づかせてくださり、本当に素晴らしいです」と誠実に言うことを学びました。ゆっくりと、学校はどんどん良くなり、生徒もどんどん増えていき、社長は校長になるように麦子に何度も頼み、麦子は社長から学校の経営を引き継ぐよう頼まれました。
6、愛情を強くするのは責任感
燕子は大法の縁を通じて、現在(訳注:2020年5月)のボーイフレンドである大海と知り合いになりました。2人はいつもお互いのことを考えており、基本的に喧嘩や口論はありませんでした。
燕子は大海に会ったばかりの時、いつも大海の学法の状況を心配しており、ほとんど毎日いつも「今日は学法したの? 煉功はした?」と聞いていました。その後に大海は燕子に、もし大海がいつか学法せず煉功しなかったらきっと燕子と話すのが恥ずかしく自分と燕子の差がかけ離れていると感じるだろう、ということを伝えました。燕子は「自分は相手に一定の行動を強要するような言動はしなかったが、心の中で不本意に感じていることや不信感が相手に伝わり、自分のアドバイスがなければ、相手は学法や煉功のことを思い出さないのではないかと思えてならなかった」ことを悟りました。
師父は「修煉は路同じからず すべて大法の中に在り 万事執着無ければ 脚下に路自ずから通ず」[5]と説かれました。このすべては師父が按排なさったもので、まだ何を心配するのでしょうか? 相手に問題があることを考えた時は、ちょうど自分がこの点で何か修正する必要があるからであり、他の人を按排しようとする心を持つべきではありませんでした。燕子はこの心を放下すると、大海はかえって以前よりさらに精進しました。
燕子は修煉中に二重まぶたの手術をし、心の中でこれがよくない行為であることを知っていましたが、美しくなりたいという欲求に抵抗しませんでした。大海と付き合う過程の中で、燕子の目が大きいと大海がほめるのを聞くたびに、いつも消えてしまいたいと思い、自分がこのようなことをしてしまったことを恥ずかしかしく思いました。しかしやはり、大海に告げたら大海は燕子について意見があるだろうと思い心配しました。その時、心は本当に苦しんでいました。その後、恋人同士は隠し事をしてはいけないと燕子は考え、率直に話しました。大海は燕子に対して意見を言わなかっただけでなく、さらに燕子を慰めました。その時、燕子は寛容と善の力を感じました。
恋愛の過程の中で、色欲心がしばしば戻ってきました。師父は「特に、今の世の中では性の解放などが唱えられ、ポルノが人間に悪い影響を与えています。それを大事に思っている人もいますが、われわれは煉功者としてそれに対して淡泊でなければなりません」[1]と説かれました。
付き合い始めたばかりの時、2人とも自分に色欲心があることを恥じていました。その後に2人は「これらのよくない執着心には厳しく直面すべきであり、隠すべきではなく、お互いに気づかせて励まし合い、自分を清潔に保つべきだ」ということがわかり、大法の恩恵の下で、絶えず自分を浄化しました。この時、2人は「愛情をより安定させたのは情ではなく、情を超えた責任感だ」ということに気づきました。
(続く)
注:
[1] 李洪志師父の著作:『轉法輪』
[2] 李洪志師父の著作:『法輪大法義解』「北京法輪大法輔導員会議での提案」
[3] 李洪志師父の著作:『法輪功』「第五章 質疑応答」
[4] 李洪志師父の著作:『各地での説法十』「マンハッタン説法」
[5] 李洪志師父の詩:『洪吟二』「阻む無し」