文/米国の大法弟子
【明慧日本2020年12月6日】
米国の大統領選について
師父は「ある時期になると、功が本当に存在するのかどうか、修煉はできるものなのか、果して高い次元へ修煉していけるだろうか、佛は本当に存在しているのか、などについて、あなた自身が紛らわしく思い、迷ったりすることが起きます。将来、あなたに錯覚を与えて、それらすべてが存在しておらず、みんな偽物だ、とあなたに思わせるようなことも起きるかも知れません。動揺するかどうかを試すのです。絶対動揺しないという決意があり、いざという時に本当に動揺しなければ、あなたはおのずと乗り越えることができます。なぜならあなたの心性がすでに向上しているからです。ところが、今はあなたはまだそれほど安定していないので、すぐにこのような難を出現させたら、あなたはとても悟れず、修煉もまったくできなくなります。難はあらゆる方面から現われてくるものです」[1]と説かれました。
東方、西方の神伝文化の中で、とても印象に残る話が二つあります。 一つは、モーセがエジプトの王に追われたユダヤ人を海に導いたとき、出口がなく、モーセは神が神の民を連れてくるための出口を与えてくださると確信していたことです。彼が心の中で最も切実な祈りを口にしたとき、海の水が彼の前で別れ、真ん中に道が現れ、こうしてエジプトから出て行きました。もう一つは、今年の神韻公演の「道縁」で、師匠が崖から飛び降り、弟子も躊躇なく飛び降り、師匠の後を追って天国に行くというものです。この二つの話は、私の修煉の中で、注意を促してくれています。乱れている気持ちや表象の中で、師父の「心を正しく持つべし」 [1]という法に応えられるかどうかを自問自答してみてください。師父のこの法を、私は固く信じることができているのでしょうか?
今年の米選挙では、明慧ネットはトランプ氏が「神に選ばれた者」であることを明らかにしました。選挙における善と悪の戦いの中で、私たちは、師父が望んでおられることは不変不動という一念を固く堅持することができたでしょうか? 私たちは、師父について私たちが責任を負う衆生を「エジプト」から正義の向こう岸へと導いていく、という強大な一念を発することができたでしょうか?
注:
[1] 李洪志師父の著作:『轉法輪』