文/中国の大法弟子
【明慧日本2021年1月22日】私は今年86歳です。師父に従い法を学んで20年あまり経ちました。何千年もの輪廻の中で、今日まで待ち望み続けました。今、師父がこんなに素晴らしい法を私達に伝えて下さり、私は心から師父のご恩に感謝しております。私は大法の中で錬磨し、幸運なことに20数年も修煉した体験を経て、法の大切さを知った私は法の中から多大な恩恵を受けました。真に修めている弟子は時々刻々と師父の慈悲なるご加護を感じ取ることが出来ます。師父が弟子たちを地獄から掬い上げ、私達を浄化してくださり、宇宙で最も高いレベルの大法を全ての大法弟子に捧げ、弟子たちに天上に通じる円満成就の道を指し示されました。偉大な慈悲なる師尊に感謝を申し上げます。弟子の私は必ず全ての修煉の機会を大切にします。
自分の修煉の過程を振り返って見て、まだ多くの執着心が取り除かれていなかった時に、師を信じて、法を信じる信念を堅持してさえいれば、必ず法の中で向上することが出来ました。無条件に内に向けて探して法に同化し、自分を正しさえすれば、乗り越えられない関はありません。法を実証する時に前へ進めなくなったら、正念をもって問題を解決してみてください。とても効き目があると思います。
人類に降り掛かる災難が一歩ずつ近づいてきました、大法弟子が衆生を救い済度するに当たって、1分1秒をも争って行わなければなりません。大勢の人がまだ救われていないのを目にして、私は本当に焦りました。私は90歳に近い老人ですが、祭りのある日は、必ず三輪の車に乗り、真相を伝えに外へ出かけます。時には毎日三輪の車に乗り外へ出かけます。なぜなら、健康でいる私自身が最も良い真相そのものだからです。修煉していない常人なら、自力で歩くことすらままならないのに、まして三輪の車を乗りこなすことはなおさらできません。自分は外へ出て、急いで真相を伝えて衆生を救い、師父の慈悲なる済度に背かない、この世に来た時の誓約に背かないように行いたいと思っています。
中国前国家主席・江沢民への訴訟を起こした時に、そのことは極めて危険なことだと思う人が大勢いました。これは共産党政府に反する行為だと認識していた民衆もいました。数十年来、中国の民衆は中国共産党政府に強いられた観念、思惟方式が深く根付いており、簡単に変えることが出来ません。この観念は常人の観念ではありません。この観念は常人の観念を破壊したものです。政府が過ちを起こせば、人民が指摘することは法律に与えられた合法的権利なのです。犯罪者さえ上訴する権利があるのです。つまり、判決を不服として罪であると認めないということです。上訴を提出することはそういう意味なのです。我々は合法な公民であり、もちろん訴訟を起こす権利があります。邪党の勢いは天地を覆うほど凄まじく見えますが、修煉者の立場から見れば、私達は法を守り、正義を正し、全宇宙の中で最も神聖で、功徳無量なのです。従って、師父のご加護、神のご加護を与えられ、如何なる危険にも遭いません。法に則っていれば、私達を傷つけるものはいません。正念をもって正しく行えば最も神聖な大法弟子を阻む者がいるでしょうか?
法の中から、今世、法を正す時期の大法弟子になれた私達は全宇宙で最も幸運な生命であり、宇宙の全ての生命は私達のことを羨むことを知りました。
しかし、実際の修煉の中で、このような喜びと快さを多くの大法弟子から感じ取ることが出来ません。特に迫害を受けているこの数年の間、法に対する十分な認識がないため、迫害が現実にもたらした影響を振り切ることが出来ません。現実の中で、特に迫害を受けたことがある同修は他人の目には、ただの可哀そうな人間となり、他人を羨む一人になり、一つとして成功しない人間となっています。このような心境の下でもたされたのは何ものでもなく、ただの常人の状態なのです。法を修めているのですが、三つのことも行っているものの、積極的に行っていません。辛くて、先が見えない状態です。このような修煉状態で真相を伝えても、効果があまりないのです。
師父は次のようにおっしゃいました。「大法弟子の心が落ち着いていなければ、周りの環境をも変化させます。あなたが恐れているとき、衆生もおかしくなることに気づきます。あなたが清々しい気持ちで、胸襟が広くなり、明るくなったとき、周りの環境も変化すると分かります」[1]師父のこの法を読み、自分の一つの考え、一つの念でも良く修めなければなりません、もうこれ以上、旧勢力に強いられたものを認めてはいけないことが分かりました。旧勢力が按排したものを見つけさえすれば、私は直ちにつかんで「これはいりません、これは私ではありません、これを認めません、正念を発して消滅します、良く行っても、行えなくても師父がいます、あなた達は妨害できない、大法弟子が衆生を救い済度することは自分達の誓約をはたしているので、行わなければならない」と正念を発して否定します。堅持して、私達は師父が按排してくださった道を歩めば、師父の加持とご加護を得ることが出来るのではないでしょうか?
私は大法徒であり、師父の要求されたことに従い三つのことをしっかり行わなければなりません。それは即ち師父が按排された道を歩むことではないでしょうか? 師父は次のようにおっしゃいました。「本当の劫難に直面した時、あるいは関門を乗り越える時に、試してみてください。耐え難いものを耐えてみてください。乗り越えられそうもないと見えても、行ない難いと言われても、本当にできるかどうか試しにやってみてください。もし本当にやり遂げられれば、きっと『柳暗花明又一村』というように、眼前に新たな世界が開けることに気づくに違いありません!」[2]
私は大法の素晴らしさと大切さを感じれば感じるほど、師尊の慈悲なる済度と師尊が払われた犠牲に対する感謝の気持ちがあふれて止みません。
注:
[1] 李洪志師父の経文:『二〇〇九年ワシントンDC国際法会での説法』
[2] 李洪志師父の著作:『転法輪』