文/中国の大法弟子
【明慧日本2021年3月7日】私は2017年に大法の修煉を始めた大法弟子です。この場を借りて、私が仕事でどのように修めたのか、また、私の難を師父がどのように解決してくださったのかを話したいと思います。
他人を思いやる気持ち「いやがらせ」が「支え」に変わる
私は、過去2年間教師として働いていましたが、仕事中はWeChatを使いませんでした。しかし、学校の主な連絡事項はWeChatでやり取りしています。師父の巧みな按排で、友人や同僚の偶然の会話の中で、学校の知らせを知ることができ、仕事ではWeChatの影響を受けることはありませんでした。しかし、新型コロナウイルスの流行が始まった時、教師は自宅で仕事をしなければならず、同僚と一緒に仕事をする環境がなくなってしまったため、同僚から学校の知らせを知る方法がなくなりました。
学年主任は、私がWeChatを持っていないことを知っていたので、通知があるたびに私に個別に連絡してくれました。時間が経つにつれて、主任は少し面倒になり、私がWeChatを使わないことが自らの仕事と学校の仕事の一部に影響を与えていると教頭先生に文句を言いました。すると、教頭先生は私に電話をかけ、気にかけながらも権威で2日以内にWeChatをダウンロードしなければならないと強要しました。
主任は、以前から告げ口をするのが好きだったので、その点で他の先生方も不満に思っており、私も「直接本人に言えばいい話なのに、なぜ上司に言わなければならないのか?」と少し不満に思いました。しかし、修煉者である私は人を恨んではいけないと考え、自分の悪い考えをできるだけ抑えるようにしていました。WeChatに関しては、ダウンロードしてはならないとわかっていたので、反抗するのではなく、先伸ばしにしました。
師父は「しかし、往々にしてトラブルが発生する時、それが人の心の奥深いところを刺すような激しいものでないと効果が上がらず、向上につながりません」 [1]とおっしゃっていました。
数日後、また試練が来ました。週末、荷造りをするとき、携帯をミュートにしていました。午後、たまたま電話を見ると、教頭先生、学年主任、同僚からの数通のメールと7、8件の電話がかかってきていました。あわてて主任に電話をすると、全校教師会議だと言われました。
電話を切った後、急いでオンライン会議にログインすると、ログイン中に夫からも電話があり「私の同僚から会議のお知らせの電話がかかってきた」と言いました。ログインすると、教頭先生が、ちょうど私のことを叱っていたのです。私はすぐに携帯がミュートになっていたため、聞こなかったと説明しました。しかし「昨日通知したのに、あなたがWechatを使わないから…」などとさらに怒りが増して、具体的に何を言ったのかは少し忘れましたが、とにかく良い言い方ではありませんでした。この時点で私の携帯はまだ夫とつながっていて、夫にも聞かれてしまいました。会議のグループには管理層や職員がたくさんいて、これだけの人(夫を含む)の前で怒鳴られるのは本当に恥ずかしかったです。
「学年主任が告げ口をしなければ、会議で教頭先生に怒鳴られることもなかったのに」と恨む心が出て来るや否や、すぐにおかしいと気付き、無理やり恨まないようにしようとしましたが、抑えても気持ちが込み上げてきてしまい、完全には消えませんでした。
その後、師父がおっしゃっていた「何かをする時にはいつも他人のことを考え」 [1]という言葉を思い出して、主任は毎回私に個別に知らせる義務がないのに、いつも知らせてくれたことに感謝しなければならないと思いました。また、彼女の姑は湖北出身で、コロナ流行の中、高齢の姑は湖北から出て来られないので、一人で子供たちの面倒と仕事をこなさなければならず、その都度個別に連絡するのは本当に大変だったでしょう。また、彼女は「告げ口」だったのではなく、ただ教頭先生と会話をしていたときに触れただけかもしれません。人のことを悪い心で考えてはいけないと思いました。
ここまで考えると、ふと主任はとてもいい人なのに、自分がしかっりしていなからだと思いました。この時点で、恨む心は全くなくりました。もちろん、私にはまだ見落としているものがあるはずなので、Wechatをダウンロードさせられるのだと内に向けて探し続けました。
そうすることで、最近はスマホをいじっている時間が多くなっていたことが判明しました。それから一歩踏み込んで、WeChatをダウンロードすることについて考えてみたのですが、このまま学年主任や副校長の言う通りにダウンロードしてしまうと、実際には悪いことになるし、業を作らせるわけにもいかないとそう考えた時に心が開き直りました。
その後、謝罪の電話を入れたところ、教頭先生は何事もなかったかのような態度で、WeChatには全く触れませんでした。ダウンロードしろとも言いませんでした。その後、主任は毎回個別に知らせてくれただけでなく、特別な配慮をしてくれたり、あらゆる面で私のことを考えてくれました。考えが正しければ、魔難が自然と解消するって本当にそうなんですね、師父ありがとうございます!
他人を思いやり「ぶつけ合い」が「助け合い」に変化
学校に入ってみると、純粋な場所ではなく、摩擦が多いことに気づきました。 私が教師になったばかりの頃、私を指導する先生(ここではZ先生と呼ぶことにします)を学校が指名しました。指導の先生と言っても、私と同い年で、私より少しだけ経歴が長く、2人とも同じ学年を教えていました。
最初は尊敬して彼女のところに相談に行ったり、生徒のことや課題のことを聞いたりしていました。 驚いたことに、彼女は厳しそうな顔をして、目を丸くして「勝手にすればいいんだよ、私も知らない」とそっけない態度を取られてしまい、あまりいい気分ではありませんでした。
そしてある日、彼女の事務室に入ったところ、ちょうど彼女が話をしていて、部屋は笑い声でいっぱいになっていました。私が入ったのを見た先生は「うわさをすれば」と言ったのです。当時は彼女の表情が気まずかったので、簡単に質問をして帰りました。怒るまではいかなかったのですが、Z先生への印象はどんどん悪くなってしまいました。
これが始まりだったとは思いもよらず、それからZ先生に様々な意地悪をされました。例えば、彼女が試験の問題を考えたとき、試験用紙を配る直前になってやっと問題を見ることができました。それだけではなく、彼女は自分のクラスの生徒にどんな問題を出すかを教えていました。試験の結果が出ると、彼女のクラスの点数が私のクラスよりかなり高くなっていたので、教頭先生に「面談」されることが多かったのです。 新米教師として、実績を上げたい私にとっては、本当に悔しい思いをしていました。幸いなことに、自分が修煉者で、普通の人と同じように振る舞ってはいけないとわかっていました。毎回の教頭との面談でも、Z先生に不利なことは決して言わず、自分の問題点を探すばかりでした。
私が来た当初は、授業の教えに加えて実験係のポジションも任されていました。実験係とは、他の先生や生徒のために実験用の材料や道具を準備する人のことで、重労働で給料も少ないので、皆やりたがらないのです。学校からこのポジションをもらった時は、新人だから当然もっと頑張らないといけないと思って引き受けました。
しかし、それから間もなく妊娠してしまい、上司からは「仕事ができないのではないか」と心配されて「これからどうするのか?」と聞かれました。私は学校に迷惑をかけないように、続けると答えました。私は妊娠しているためZ先生は実験の量を調節してくれるだろうと思っていたのですが、予想外に、教科書に載っている実験のみならず、新しい実験を追加したり、新しい授業がない学年でも、また実験を作り直したりしていました。そして、実験はすべて学生をチームごとに分けなければならず、教師の実演実験に比べて作業量が何十倍にもなってしまいました。 実験が多いときには朝から晩まで忙しく、昼休みにしばらく席で休むことぐらいしかできませんでした。
一般人にしてもかなりの負担なのに、ましてや、妊娠している私は、時には、仕事が終わっても立ち上がれなくなるほど疲れて、お腹も重たくなって、夫に支えてもらいながらやっと帰っていました。実験の準備をしていたため、授業の準備をする時間が減り、生徒の成績がさらに悪くなっていました。また、彼女は実験への要求が高く、彼女の基準に達することができなければ、場所をわきまえずに怒鳴ってきて、私は不満が溜まるばかりです。
学法を通して、彼女を恨んではいけないとわかっていて、過去に借りがあったからかもしれません。しかし、良くない気持ちがこみあげてくるときがあります。私は独自で修煉していて、周りに交流できる同修がなく、常人ばかりと接していました。親友にアドバイスをもらっても常人のやり方で、 私は彼女と争ったりすることもしたくなかったので、 その間、心性の修煉がとても辛かったのです。
その後、私は子供を産むために産休に入り、学校での争いごとは全て私とは無関係のようでした。しかし、産休が終わってからは、再び課題を割り当てる時期になり、Z先生は私に実験を続けてほしいと言って来ました。当時を思い返すだけ怖くなってしまうほど疲れていたし、子供もまだ幼かったので、実験の準備にそこまでの気力はないと考えました。
当時は「思いやる」立場で考えず、完全に自分のために考えていて、決して実験係を引き受けませんでした。一番激しい瞬間、私は叫びそうになりました。彼女も厳しい言葉を何度も言ってお互い気まずい思いをして別れました。
家に帰ってから考えると、法の角度からして常人と喧嘩し、他人のことを考えなかったのは自分が悪いに違いありません。しかし、私はこの仕事を受けた場合、子供がまだとても小さく、残業することはできないと自分に言い訳を作りました。
いま、振り返ってみると、当時の私は結局のところ、まだ法を優先できず、師父と法を100パーセント信じていませんでした。師父が弟子のために最善の手配をされるとは思っていませんでした。
その後、新型コロナウイルスの影響で、全校がリモート授業に切り替わり、実験の準備をする必要がなくなりました。 そして、ようやくすべてが按排されたことに気がつきました。 すべての魔難は、弟子の心性を向上させるためだけのものでした。自分がしてしまったこと、人を傷つけてしまったことを悔い改めました。
今回は本当にZ先生の立場に立って、私たちのわだかまりを再検討しました。Z先生は私のためにたくさんの実験を手配してくれましたが、毎回実験の準備をする前に、Z先生は私のためにプロセスや注意事項などを丁寧に説明してくれました。それはつまり私に技術を教えてくれているのではないでしょうか!? 以前の見習いは、何かを覚えるまでに長時間の重労働に耐えてやっと教えてもらえるのに、たったこれだけの苦労で、私は心のバランスを崩していたのでしょうか? 彼女が 納得いかなくて怒ることもあるけど、Z先生はまじめに真面目に物事を考える人であり、私も見習うべきことなのではないでしょうか? また、私が産休に入っている間、Z先生が私のためにもう1クラスの授業を引き継ぎ、半年間、どれだけの仕事をしたのでしょうか。しかし、私は彼女に感謝していないだけでなく、実験の割り当てのことで彼女と喧嘩し、彼女はどんな思いをしたでしょうか? 「悲しかったに違いない」と私は心の中で以前のことを繰り返し考え、考えれば考えるほど、私はより多くの罪悪感を感じてしまいました。不思議なことに、それまでの恨みや不平不満はまるで自分には関係がなかったかのように、すべて消え去りました。
再び学校に戻ったとき、私は全校会議で産休中にZ先生が黙々としてくれたことに心から感謝の気持ちを伝えました。彼女は下を向いていたのですが、まじめに話を聞いているのが伝わってきました。今学期の課題が出た時に、Z先生から「実験の指導をしてほしい」と言われて、私はすぐに引き受けました。彼女は驚いた様子で「まさか最初の提案で受け入れてもらえるとは思っていなかったので、いくつか提案を用意していたのですが、ご協力ありがとうございます」と言ってくれました。 その時、私は、今まで自分の「ぶつかり合い」がどれだけ他人に影響を及ぼしたのかと気がつきました。本当に恨む心を晴らした時に、またZ先生に相談すると、彼女はまるで別人のように、とても親切に説明してくれたり、自ら困難なことを分担してくれました。師父がおっしゃられた「観念転ず 腐敗物は滅され 光明が顕れる」 [2]と本当に実感しました。
私は修煉においてまだまだ未熟な部分が多いと思いますが、師父は決して私を諦めることなく、 様々な人やことを通して悟らせてくださいました。今後は自分の状態を改め、修煉当初のような精進の状態に戻り、師父にご心配をおかけしないようにと思っています。
注:
[1] 李洪志師父の著作:『轉法輪』(第四講)
[2] 李洪志師父の詩:『洪吟』(新生)