【明慧日本2021年3月18日】吉林省楡樹市の法輪功学習者・譚秋成さん(43歳男性)は真・善・忍を信条としていることを理由に、21歳の時に1年間の労働教養を強いられた。24歳の時には懲役15年の実刑判決を言い渡され、吉林第二刑務所で悲惨な迫害にあった。43歳の時にまた懲役7年の実刑判決を言い渡され、計22年の実刑判決を下された。
譚さんは1997年10月に法輪功の修煉を始めた。それから道徳心が高まり、利己的な性格から思いやりのある人になり、さらに煙草、酒、ギャンブルをやめた。
1999年7月、中国共産党が法輪功の迫害を始めたときに譚さんはまだ21歳だった。同年10月、譚さんは北京へ陳情に行ったため連行された。楡樹市に戻されて、2カ月拘禁された後、1年の労働教養を強いられた。
2001年9月22日、法輪功迫害についての小冊子を印刷したり、スピーカーを作ったりしたことで再度連行され、拷問された。警官はビール瓶で譚さんの生殖器を叩き、譚さんをトラの椅子に座らせ、全身に水を掛けてから高圧スタンガンで電気ショックを繰り返した。また、譚さんは断食で抗議したが強制的に灌食された。
中国共産党による拷問のイメージ図:トラの椅子 |
中国共産党による拷問のイメージ図:スタンガンで電気ショックを加えられる |
2002年3月、譚さんは不当に開廷され、法廷での弁護も許されなかった。結局、譚さんは懲役15年の実刑判決を言い渡された。吉林第二刑務所に収監された譚さんは転向を拒否したため、何度も厳管室に入れられ、そこで抻床(体を四方に引っ張られる、下図参照)という拷問を受けた。譚さんは、痛めつけられ命の危険に晒された。
中国共産党による拷問のイメージ図:抻床 |
2014年11月23日、譚さんは九死に一生を得てやっと解放されたが、譚さんは20代の若い青年から禿げ頭、門歯が抜けた中年になっていた。
譚さんはまず楡樹市に住み、その後、長春へアルバイトに行った。2019年8月15日、譚さんは再度不当に連行された。梨樹県検察庁は証拠不十分という理由で何度も書類を取り下げたが、公安局はどうしても譚さんへの迫害を諦めなかった。そのため、譚さんなど16人の学習者たちは起訴された。弁護士は、法廷での弁護を禁止された。梨樹県裁判所副庭長・崔仁は「どこに控訴しても良い」「習近平のサインをもらってこい!」と暴言を吐いた。
2020年9月28日、譚さんなど16人は判決が宣告された。譚さんは7年の実刑判決、他の15人は懲役7~9年の実刑判決を言い渡された。
譚さんは計22年の実刑判決を下された。中国で最も長い判決を下された学習者の一人である。