文/中国の大法弟子
【明慧日本2021年3月18日】常人が苦を嘗めたくないというのは、元々苦海の渦中にあり、迷いの中で自分が苦境に置かれているとわからないため、意識的にも無意識的にも苦難を避けたり、拒んだりしているのです。しかし、修煉者は常人と違って、苦を嘗めるだけではなく、苦に耐え、さらには苦の中の苦を耐え切らなければいけません。それによって「苦をもって楽とする」[1]という修煉状態に達します。
師父が『轉法輪』で述べられた法理は、みな未来の新宇宙における各次元の衆生が従わなければならない鉄則です。それは、新宇宙の主や王がいつでも命をかけて守ることができるものでもあり、新宇宙を作り、新宇宙の衆生の生存環境を整えるための基本でもあるからです。よって、私たちは修煉の道で、特に法を正す修煉の中で、断固として大法を実証しなければなりません。そうすることで大法と同化する目的に達することができます。そうでなければ、大法との同化は、修煉者の素晴らしい願望にすぎません。
例えば「苦をもって楽とする」境地に達することができれば、本当の「苦をもって楽とする」ことを感得でき、魔難と苦しみの中で無理にではなく、自然に微笑むことができます。人心は「情」に縛られたときにのみ苦痛を感じ、すべての人心を捨てることができれば、代わりに慈悲が生じます。これは正神の偉大なエネルギーの現れです。
師父は「功を修るに路有ありて、心を徑と為す大法は無辺、苦を舟と做す」[2]と明示されました。詩のタイトル「法輪大法」から「心を修める」と「苦を嘗める」は大法修煉の二大要素だと私は理解しています。円満成就まで、修煉の一歩一歩に「苦を嘗める」ことが伴います。
表面からみると、苦を嘗めることで業力は消滅し、業を返すことができます。さらに一歩進むと、苦しみや魔難の中で、自分の人心が刺激されて、自分の人心や執着をはっきりと見ることでき、心性を向上させることができます。
師父は「一部の神々は、必要な威徳を備えるために、自分の一層の宇宙の始めから終りまでの全ての苦しみを嘗め尽くして、救うことをやり遂げようとしました」[3]。私は、苦を嘗めることで威徳を樹立することができ、この大きな威徳は我々が多くの人を救う保証だと理解しています。
大法の修煉の道は狭いですが、修煉の中で「苦をもって楽とする」ことを守ることができれば、この道はとても広く明るく、着実なものになると思います。
以上、個人の悟りですが、不足のところがあれば、慈悲なるご指摘をお願いします。
注:
[1]李洪志師父の著作:『精進要旨』「境界」
[2]李洪志師父の詩:『洪吟』「法輪大法」
[3]李洪志師父の著作:『各地での説法』「北京国際交流会での説法」
【編集者注:この文章は筆者の個人的な観点を代表しているものであり、正しいか否かについては筆者個人が責任を負うものとし、読者は自身で判断してください。】