文/中国の大法弟子
【明慧日本2021年4月16日】心の中に不平の気持ちがある時、私は自分を探し、なぜ不平を感じるのか? 私のどの心に触れたのか? 私のどこに問題があるのか? と色々探してなくしたことも少なくありませんが、やはり根本的な問題は解決できず、心の中はいつも様々な煩わしい事で乱れました。
ある時、私が同修のAさんに同修のBさんのトラブルを話した時、Aさんは単刀直入に「私はBさんはとてもいいと思う、あなた自身に問題がある」と言いました。突然の言葉は、私への刺激がとても大きかったのです。私は直ちにAさんに言い返し心性を守れませんでした。事後悔やんで、内に向けて探し、名利心、顕示心、闘争心、自我を強調する心、人を見下す心等々各種の執着心を見つけましたが、最も主なものは嫉妬心でした。
自分を深く探して、嫉妬心が全ての側面で現れるのを見つけました。仕事の環境の中で、手段を選ばず甘い汁を吸う人を見れば、心のバランスが取れなくなり、権力を笠に着て人をいじめる人を見れば、彼らが悪の報いに遭う事を願い、偶に関わりのない人がある方面で特技があるのを見れば、胸の内がしゅんとなり、どうしても少し欠点を探し出して自分を強調したり、他人を軽蔑したりする等々でした。これらは全部嫉妬心の現れで、邪党文化の現れです。
私は嫉妬心の根源が私(し)と自我への執着にあるのを見つけました。生活の中で、全ては自我を中心として、自己の認識が正しいと強調し、私(し)を持って人と付き合い、他人に対して慈悲心が足りませんでした。時には他人の良さを見ると、八方手を尽くして、手段を選ばず他人を超えようとするなども嫉妬心の現れです。
嫉妬心を無くさなければ修煉が無駄になることを知り、韓信が股くぐりをした物語は、正に私達に、理不尽な嫉妬と屈辱に面した時どのように対応すべきかを教えています。
師父は次のようにおっしゃいました。「佛は皆さんを済度するため、かつて常人の中で物乞いをしていたのです。わたしは今日、門を大きく開いて大法を伝え、皆さんを済度しています。わたしは無数の苦難を嘗めても苦しく感じたことなどないのに、皆さんはまだ何が放下できないのでしょうか? あなたは心の中で放下できないものを天国へ持っていけるのでしょうか?」[1]
師父は私達を済度される為に何度も繰り返され、その苦心は並大抵のものではありません!
私はずっと自分にはそのように強い嫉妬心がないと思い、自分に酔っていました。学法をし、内に向けて探すことを通じて、私の嫉妬心がこんなに強いと分かり、必ず無くすべき時でしたが、それが起きたときは悲痛でした。しかし私は、私が大法弟子になって正に師父の話を聞き、着実に全ての人心を修めて無くし、三つのことをしっかり行い、圓満成就の境地に達するべきだと思いました。嫉妬心は後天で形成された観念で、私の本性ではありません。実は、生活の中で遭った全ての痛恨や嬉しくない事は全部自分の世で重ねた業力によるもので、他人とあまり関係がありません。その嫉妬心に触れると、また全ての執着心、観念を連動させ悪い作用を起こします。私は必ず全ての執着心を徹底的に無くさなければなりません。
師父は嫉妬心という汚い心を見つけさせ、私にどう修めるべきかを教えて下さいました。神の道で「無私無我で、なおかつ他人を先に、自分をあとにする」ことは、師父の洪大な慈悲であり、師父の慈悲なる救い済度にこの上なく恩を感じます!
初めて交流文章を書きました。法に合わない所があれば、同修達のご指摘をお願いします。
注:
[1] 李洪志師父の著作:『精進要旨』「真修」
【編集者注:この文章は筆者の個人的な観点を代表しているものであり、正しいか否かについては筆者個人が責任を負うものとし、読者は自身で判断してください。】