文/中国の大法弟子
【明慧日本2021年4月18日】子供弟子の記事「法を正すことが終わる時期に対する考えと予言」を読んだあと、この記事に関する感想文の「法を正すことが終わる時期に対する考えと予言を読んで感じたこと」と「二言三言:大法弟子は法を師とすべき」という記事も読みました。同修たちが認識を書くことは、タイムリーで必要なことだと思います。
この記事を読んで疑問に思ったのは、なぜ掲載されたのか、何の意味があるのかと言うことです。掲載されたのは、私たち大法弟子が修め悟るべきことがあるに違いないのです。もしかしてテストかもしれません。師を助け法を正す大法弟子が、法を師として受け止めているかどうかが試されているのでしょうか? それとも天目が見える修煉者が見たものに基づいているのでしょうか? 「法を正すことが終わる時期に対する考えと予言」という記事は、私たちが自身を修め、法をよく学び、師父に手伝い法を正す進展についていき、急いで人を救うことを促進することにしか役立たないと理解しています。
修煉者が見た光景の中で話していたことについて、私達の心が動揺したら、それは、自分の執着や人心を見つける良い機会になったのではないでしょうか? (天目についての記事を読むのが好き? 噂を聞くのが好き? 騒ぎたてることに関心を持つ? 習慣的に他人を修めているのか? 自分の観念に合わない時、いつも気に懸かって忘れられない?)
修煉の中に現れた物事は、様々ですが、すべては師父の按排下にあります。今年の神韻公演の演目を見ましたが、斉天大聖(孫悟空)はいくら能力があっても如来佛の掌からは逃れられません。
私たちには本当に時間が残り少ないことを知る必要があり、旧勢力の按排を全て解体させるために、私達はもっと正念を発する必要があります。師父が望んでおられる事をしっかり実現できるように、私達は必ず法を師としなければなりません。
次元に限りがありますので、自分が正しいかどうかはわかりませんが、同修の慈悲なるご指摘をお願いします。
【注:この記事は筆者の個人的な見解を述べたものであり、正しいか間違っているかは筆者の責任ですので、読者の方はご自身の判断でお願いします】