文/中国の大法弟子
【明慧日本2021年4月25日】当時、中学生だった私は1995年、同級生を通じて法輪功を知りました。昼休みの時間に、私はその同級生と一緒に学校の近くにある東北師範大学構内の、昼の煉功場に行ってみました。そこで煉功していた人たちは、ほとんど師範大学の教師と学生で、皆知識のある人たちでした。
13歳のとき、真・善・忍の種が私の心の中で芽生える
煉功場の若い女性の輔導員は、私に法輪功の基本的なことを紹介してくれました。穏やかな煉功音楽が林に響き渡る中で、煉功者たちは静かにゆっくりと煉功していました。輔導員は私に「法輪功は五式の煉功動作のほかに、もっと大事なのは、宇宙の特性である真・善・忍に従って心性を修煉し、内に向けて自分を探し、人のことを優先に考えることです」と説明しました。
私はすぐに法輪功の法理に深く惹かれ「真・善・忍」の三文字が、まだ13歳だった私の心に種を蒔き、自分の善良な本性がこの三文字に共鳴したように感じました。これこそが、私がずっと探していたもので、欲しがっていたものでした。
私はその場で「法輪功を学びたいのですが、どうすればいいですか?」と聞くと、輔導員は「すべて無料で教えますので、時間がある時に来て、皆と一緒に煉功すればいいですよ」と言いました。私が法輪功の書籍『轉法輪』を買い求めようとすると、輔導員は12元の定価に対して10元の原価しか請求せず「法輪功は名利を求めることなく、ただで人に教えますので、ほかの人に対しても同じです」と言ってくれました。
その後、輔導員は大学院生であり、同じ部屋の4人が皆大学院生で、共に法輪大法を修煉しているのだと知りました。法輪功はハイレベルな知識人や、ある程度の知識を持っている人の中で非常に人気があり、これらの人々は知的で独立した判断力があり、安易に何かを信じることはありませんでした。
平和で和やかな浄土
私は高校に進学し、学校が東北師範大学から遠くなってしまい、前の同修たちと中々連絡が取れなくなって困っていました。しかし当時、私が住んでいた長春では、法輪功が盛んで老若男女に関わらず大勢の人が修煉していました。サラリーマンもいれば、定年退職した年配者もいました。中には博士や大学院生、大学生、そして高校生、中学生、小学生、さらに小さな子供までいました。人々は自分の時間に合わせて、近くの煉功場に行って煉功するだけですが、すべてが無料で、特別な要求もなく、環境が静かであれば、どこででも煉功ができるのです。
私は、自転車で通学する途中に一つの煉功場があり、そこで煉功することにしました。場所が異なっていても煉功音楽は同じで、どこの法輪功学習者(以下、学習者)も皆同じく穏やかでやさしかったです。互いに面識がなくても、その煉功場にいるだけで、皆久しぶりに会った友人のように笑顔で接し、利益上のことも、疑い合うこともなく、みんな真・善・忍の基準で自分を律し、自分のどこが間違っていたとか、どこが以前と比べて良くなったとか、互いに感想や体験を語ったりしていました。法輪功の修煉者はどこにいても良い人で、学習者の穏やかさと寛容は、誰もが心地よく感じられました。
それは平和で和やかな浄土であり、自分の名前を言う必要もなければ、個人情報を求められることもありません。人々は『轉法輪』を読み、それを基準として物事の良し悪しと、自分や人の言動を測るので言い争う必要もなく、良くできたら喜びを分かち合い、良くできなかったとしても励ましてくれます。その光景を今思い出しただけでも、心が和やかな雰囲気に包まれているように感じます。
17歳のとき、陳情する過程で見た大法弟子の無私と善良
私が行く煉功場の輔導員は、吉林大学の博士で、若い女性でした。輔導員はとても才能のある人で、よく私の面倒を見てくれました。1999年7.20、中国共産党(以下、中共)による法輪功への迫害が始まりました。私の最初の反応は「国の権力者たちが間違っているのではないか? 法輪功について分かっていないため、このような命令を出したに違いない」と思いました。学習者として「私は法輪功の素晴らしさを伝えよう、テレビの宣伝は違っている」と陳情することに決めました。輔導員も私と同じ考えだったので、ほかの同修と合わせて5人で長春から北京へと陳情の旅に出ました。当時、私は17歳でした。
輔導員以外のメンバーとは面識がなく、その中の1人は輔導員の弟で、もう2人は若い女性でした。当時、私は2~300元(約3~5000円)しか持っていませんでした。北京行きの列車の中で、たくさんの大法弟子が乗車していて、私たちと同じように陳情のために北京へ行く人もいれば、ほかの地域から長春に来て家に帰るところだという人もいました。学習者たちは席を譲り合ったり、助け合ったりしていました。また、弾圧の命令が北京から下ったと知り、地元に帰る多くの学習者は、急遽、車中でチケットを求め、北京に行って陳情することに決めました。その誠意と善良な心は天地を感動させるものでした。
北京に到着すると猛暑で、街の至る所に、実弾を持った武装警察と私服警官が警戒していました。このような態勢の中で、無防備な状態で陳情しに来た老若男女の私たちを防御するなんて、とても理解しがたいものでした。北京に着くと、さらに多くの学習者が全国各地から集まって来ました。当時、未成年の上に、初めて地元を離れた私は、何も準備しておらず、わずかなお金も使い切ってしまい、食べ物や生活必需品を買うこともできませんでした。しかし、たくさんの見知らぬ学習者たちは私たちに必需品をくれたり、お金を援助したり、スカートや衣服を買ってくれる同修もいました。
北京にいた時、私は暑さと食べ物にあたったのか、具合が悪くなり、急いでトイレに行きましたが、間に合わず吐いてしまい、トイレを汚してしまいました。私は同修たちに「酷く汚してしまったから入ってこないでね。皆さんに迷惑をかけてはいけないので、自分で片付けます」と言いました。しかし、同修たちは「大丈夫ですよ」と慰めてくれると同時に私を休ませると、嘔吐物を処理してくれました。
これほどやさしい同修たちなのですが、誰とも面識がないばかりか、初めて出会った人ばかりでしたが、それからは二度と会うこともなく、今でも名前も分かっていませんが、同じ大法を修めている大切な同修であり、互いに善良と誠意をもって接するのです。このような光景は、今の中国の社会では珍しくなってしまい、今の価値観で量ることができず、これこそが、真・善・忍を修める大法修煉者の善良と無私なのです。
残酷な迫害の下で、自由な修煉環境がなくなる
私は、同修たちと一緒に修煉していた自由だったころのことを、とても懐かしく思っています。しかし、中共による迫害が起きてからは、私たちは以前のように公に煉功したり、体験交流したりすることはできなくなりました。迫害の残酷さによる恐怖の雰囲気、絶えず起きている拉致、連行、家宅捜索、労働教養、刑罰、さらに臓器狩りなどで、今では同修との正常な行き来もできなくなってしまいました。
私と一緒に、北京へ陳情しに行った4人の同修たちとは、未だに全く連絡が取れていません。彼女たちの情報や生死さえも把握できていません。連絡が取れている同修の中には、連行されたり、家宅捜索されたり、労働教養されたり、迫害の実態をたびたび耳にしています。しかし、このように迫害された人たちは、いかなる法律にも反してはいないのです。
私は、肉体的な迫害は受けていませんが、精神は、十数年来ずっと迫害されている状態にあり、それによって私の正常な生活環境が破壊され、巨大な恐怖に晒されています。
修煉して生き返った同級生の母親が迫害された
私が小学校の時のある同級生は、母親と共に法輪功を学んでいました。私が中学校に入ると、彼女の母親は、たまたま同じ学年の他のクラスの担任の先生で、国語を教えていました。教え方が上手で、非常に有名な先生として、生徒や保護者に人気がありました。しかし、先生は1995年に病名さえ分からない重病に罹り、入院治療をしましたが治らず、遂には病院から危篤通知が出されました。そのため、先生が担任していたクラスは、他のクラスに分散されることになり、私のクラスにも数人の生徒が入ってきました。
誰もが「先生は帰らぬ人になってしまうのではないか」と思いましたが、奇跡的に、先生は元気になって復帰したのです。先生は、保護者に法輪功を紹介され、煉功して完全に回復し、奇跡的に生き返ることができたと話しました。当時、このことを知っている人は沢山いました。
しかし、1999年7.20以降、先生は数々の迫害を受け、何度も不当に家宅捜索され、その後、労働教養を強いられ、拷問を受けました。それだけではなく、賃金も不当に差し引かれてしまい、娘まで1年間停学処分を受けました。2003年の正月に同級生から電話があり「母が連行された」と言いました。私はすぐに彼女の家に行き、中に入ると恐怖の雰囲気が感じられました。聞いてみると「大晦日の午後6時過ぎ頃、10数人の警官が家に押し入り、強行に母を連行した」と言いました。大晦日の夜にこのような事をするなんて、家族にどうやってこの正月を過ごせというのでしょうか?
21歳の私は、公安局に行って同修の無罪解放を訴える
同級生の家に入った瞬間から、見えない圧力を感じましたが、私は同級生と一緒に、同修であるおばさんに会いに行こうと決めました。しかし、公安局に行くと結果はどうなるのか? 私たちに何か起きるのではないか? おばさんに何か影響がないだろうか? その圧力は大きな恐怖と変わりました。というのも、法律に反していない修煉者を勝手に捕まえること自体、中共は法律を踏みにじっているからです。
いろいろな不安がありましたが、私たちは公安局に向かいました。朝陽区公安支局に着くと、私たち2人の女の子にとって、恐怖感がさらに大きくなって、だんだん階段を上る足が重くなり、重圧で息が詰まりそうになりました。やっと同級生のお母さんに会った時、おばさんは高い鉄の椅子に固定され手錠が掛けられていました。目の前の光景に驚き、そして悲しみに包まれました。私は、おばさんの手錠を外そうとしましたが徒労でした。私たちはおばさんの顔を見て状況を聞く外は、何もできませんでした。私たちは担当者に、即座におばさんを解放するように要求しましたが、何の結果も得られずに帰ることになりました。当時、私は21歳で、同級生は20歳でした。大晦日に4時間以上も行われた不当な家宅捜索で、同居していたおばあちゃんは恐怖とショックを受け、それから40日余りで亡くなりました。
これらのことは私が経験したものに過ぎませんが、法輪功への迫害は21年が過ぎても未だに続いています。私が生まれ育ったこの土地で、どうして真・善・忍は認められないのでしょうか? 「憲法」には信仰の自由があると書かれているのに、どうして人の信仰を変えるために、すべての国家機関を利用して全力を尽くし変えようとするのか、私には理解できません。私が受けている巨大な恐怖は、ただ法輪功を修煉し、真・善・忍を信仰するためです。「修煉をやめます」と言うだけで、恐怖から解放されるなんて、ここまで変形してしまった社会になったのでしょうか?
普通の頭脳と心を持つ人ならば、誰もが法輪功への弾圧を決めたその人の考えは、理解し難いと思うでしょう。この世で最も素晴らしい「真・善・忍」の3文字が、どうして江沢民の神経に触ることになったのでしょうか? 1999年7.20、江沢民は法輪功への迫害を引き起こし、学習者の「自殺」、「殺人」の偽のニュースを作り出し、そして2001年1月23日のいわゆる「天安門焼身自殺」の偽りの宣伝を世界中に広め、繰り返し誹謗中傷と嘘で陥れ、法輪功への恨みを種のように人々の心に植え付け、中国の社会全体が恐怖に覆われたのです。
私は自分の体験を通じて、人々が学習者たちの無実の罪の真実を知り、善悪と是非を見極め、中共の道連れにならないことを望みます。真相が明らかになった日に、後悔することがないように願っています。「天網恢恢、疎にして漏らさず」という言葉通り、善悪は必ず報われるのです。