文/貴州省の大法弟子
【明慧日本2021年4月25日】人は日常生活や仕事の中で、目標に早く到達するための近道やコツを見つけようとしますが、最終的には努力が大きくなり、効果が少なくなってしまいます。コツはすぐに覚えられるかもしれませんが、実力は時間をかけて積み上げていくものであり、近道やコツを通して、習得するものではありません。
この道理は誰もが理解しているように見えますが、私たち修煉者の中には、自分が早く上達するために、意図的に、あるいは無意識的に、修煉の近道と呼ばれるものを探す人もいます。しかし、修煉とは、少しずつ執着を取り除き、心を修め続けていくことで、功を伸ばすことができます。修煉には近道がありません。師父は『二〇一〇年ニューヨーク法会での説法』の中で、「難や解決できないことに遭うとき、いつも何かの方法がないかと考えています。実は大法に基づいて着実に修煉するしかなく、近道はありません。一人の人が神に向かおうとしていますが、近道を探してみると言うのであれば、(笑)それは着実な修煉による向上なのでしょうか? それではいけません。着実な修煉によってはじめて向上することができます」と説かれました。
どうやって自分を修めていくのでしょうか? 私の個人的な理解ですが、いつでもどこでも、常に自分を修煉者として扱い、法を師とし、自分に厳しく、率先して大法と同化して、初めて向上することができるのだと思います。
【編集者注:この文章は筆者の個人的な観点を代表しているものであり、正しいか否かについては筆者個人が責任を負うものとし、読者は自身で判断してください】