文/中国の大法弟子
【明慧日本2021年4月25日】長年にわたって、中国共産党(以下、中共)の法輪功への迫害により、数多くの大法弟子は経済的に厳しい状況に置かれています。私の体験を通して少しの参考になればと思い、皆さんと交流させていただきます。
私は会計士です。初めて経済的迫害を受けたのは2000数年で、具体的な年は忘れました。当時、私はある大手国営企業に勤めていました。私が会社の2人の同修に大法の経文を渡した時、会社の公安保衛部に知られてしまいました。取り調べで2人が私の名前を言ったため、保衛部に呼び出されました。
私は同修を怨む気持ちは全くなく、心はとても純粋で落ち着き、堂々と認め、自分が担当している財務部のコピー機で経文をコピーしたと言いました。最後の処分結果は、私を財務部の業務から外して清掃員として働かせ、給料は毎月300元しか支給しないと言われました。
私は公安保衛部長に「大丈夫です。ほかの人よりもきれいに掃除をしますので、ご安心ください」と言って、財務部に戻りました。
ところが、財務部長に報告すると、部長はすぐに私に「向こうの話なんか聞かなくていい。今まで通りやるべきことをやりなさい。コピー機はあなたに任せる。あなたなら安心出来る」と言ってくれました。その話を聞いて、とても嬉しく思いました。当時、まだ大法の関連資料を作る拠点がなかったため、師父の経文はみな会社のコピー機でコピーしていました。
さらに思いもよらないことに、翌日、労働組合の担当者がわざわざ私のために会社側に異議を申し立て、女性社員の給料を差し引くことは適切ではないので、元通りの金額を支給するように強調しました。結局、私に対する経済的迫害の目的は達せられませんでした。
それだけでなく、私は社内評価のトップの成績で財務部の副課長に選ばれ、課長レベルのボーナスをもらっています。「良い人に損をさせてはいけない」という主張があったそうです。
その後、会社は他のところへと移ることになり、距離が遠くなったため、私は希望退職をして、新たに仕事を探すことにしました。夫が病気になったこともあり、合わせて3回も仕事を変えました。どこで仕事をしても、私は自分が大法弟子だと正々堂々と言い、どこにいても人から信頼と尊敬され、給料も手当もみな良かったのです。
現在私が勤めている会社の社長は疑い深い人で、いつも社員が裏で会社の金を狙っているのではないかと誰も信用しませんでした。私が採用されて1週間後、社長は1台のレザーコピー機を購入すると決めましたが、何度も私に質問してなかなか決まりません。私は社長に会議室まで来てもらい、社長に「私は法輪大法の修煉者です。私は24年間修煉しており、どこに勤めても会計士として会社や人に損をさせたり、悪い事をしたことはありません」と言いました。
私の話を聞き、社長は30秒ぐらい沈黙し、その後紙に「真・善・忍」の三文字を書いて私に見せ、「あなたはこの三文字を修める人ですか?」と聞きました。「そうです」と言うと、社長はすぐに「それなら安心できますね! 実は、私の母親も修煉していました。私はあなたの給料を800元上げて、8800元に決めます!」と言いました。私が「社長、私は給料が少ないと言っていません! 今、コピー機の購入について検討しているのではありませんか?」と言いましたが、社長は「必ず給料を上げます! あなた達の人柄はよく知っています。人の利益を貪ることもなく、皆良い人です、やっと信頼できる人が見つかりました!」と喜びました。こうして、私の給料は8000元から8800元に上がり、さらに半年後には1万元になりました。
大法を修煉していた社長の母親はすでに亡くなっています。社長はいつも私に「あなたのことを姉のように思っています。きっと母が天国であなたを私の側に送り、私を手伝うようにしてくれたのです」と言ってくれ、社長の信頼と尊敬する気持ちがよく伝わってきました。
私は1997年に法輪大法の修煉を始めました。修煉してから今まで、経済的な損失はなく、逆に良い人柄と優れた技術で何度も奇跡を起こしました。私は大法弟子であることを誇りに思い、今世師父の弟子になれたことを幸せに思っています。
私の現在の次元で分かってきたのは、常人の仕事において、先ず観念を変えることです。卑屈で劣等感を抱くと、逆に経済的迫害に遭うかもしれません。師父は私たちを道徳の崇高な人に導かれましたが、なぜまだ劣等感を持つのでしょうか? 心を清らかに、正々堂々と行うべきです。私たちは師父を助けて法を正す大法弟子であり、誰も私たちを迫害する資格はなく、誰も私たちを迫害することはできません。努力をして、報酬を得、尊敬されることは当たり前のことで、最も基本的なことです。もちろん、常人の次元においては、優れた業務能力は欠かせないものです。
私たちは皆人のための人間になり、私心のない純粋な心で三つのことを行い、師父に従って本当の故郷に帰りましょう。
以上は私の少しの認識です。法に符合していないところがあれば、慈悲なるご指摘をお願いします。