文/中国の大法弟子
【明慧日本2021年5月13日】私たち人間は生きている間、さまざまな観念を形成しています。現世だけでなく、生々世々でさまざまな観念を形成し、それらの観念によって人生を操られています。このような観念によって支配されている中で、人は知らず知らずのうちに多くの業力をつくり、更には自分の観念を真理だと思い込み、それをもって強引に他人を変えようとします。自分の目的が達成できなかった際には、憤慨し、怨恨が生じて、自分自身や他人を傷つけてしまうのです。これは自分の観念によって生じた業力で、自分自身を傷つけているということではありませんか。
法輪大法を修煉して二十数年、私はいつも法理に基づき、同修と交流してきました。交流を通じて、多くの同修は法理に対する認識が向上し、様々な魔難を乗り超えることができました。しかし、同時に、一部の同修は私のことを「強引な人で勝手に大法を解釈している。邪に悟る者だ。大法を破壊する魔だ」などと悪く言っています。私と面識のない同修もその噂を聞いて、広めたりしています。さらに辛いのは、私が時間をかけて一緒に学法し、切磋琢磨して魔難を突破した同修がかえって、私の悪口を言っていたことでした。
「私は法に基づき、自分の修煉の体験と自分の認識を話しただけなのに、なぜ、こんな始末になったのか」と、どう考えても理解できませんでした。師父は「皆さんはなんと言っても一緒に法を学んでいるので、読み終えたらお互いに切磋琢磨し、話し合ったほうがいいのです。先生の話にこの意味があると急に悟りましたが、私はまだそこまで達していません、という具合です。家で読む場合この方面において足りないところがあるかもしれません。今後、この足りないところを直すべきです。つまり、お互いに切磋琢磨すること、これは必要なことです」[1]とおっしゃいました。私は一体どこが間違っていたのでしょうか?
最近、学法を通して「法は異なる次元で異なる基準があり、私の基準で同修の善し悪しを測ってはいけない。その生命がその次元の基準に符合している限り、その生命が悪いとは言えない。同修と交流する際、自分の法に対する認識や修煉過程で悟った法理を同修に押し付けてはいけない。同修が受け入れるかどうか気にせず、ただひたすら自分の認識を話し、無意識のうちに傲慢な心、人の上に立つ潜在意識があったことで、同修に不快感を与え、私は拒絶されたのだ。長年にわたって同修から誤解され、拒絶された原因がわかり、私の執着心が同修を傷つけてしまったのだ」と気づきました。そして、私は執着心を取り除き、同修との関係を正しく処理し、十数年来の誤解がすぐに消え、まるでなかったかのように、協力的な関係になりました。
家族関係でも同じような問題がありました。以前、夫が暴力団のトップになりたくて、毎日のように多くの人が家にタダで飲み食いしに来て、嫌気がさしたことがありました。私は常人のさまざまなやり方で夫に強く反発し、対立が日に日にエスカレートして夫が私に暴力を振るいそうになるほどでした。
「このように争い続けてはいけない。内に向けて探さなければならない」と思い、懸命に探した結果、「法を得えれば即ち是れ神」[2]と師父の詩を思い出しました。自分を神様の位置に置き、神様の立場からこのことを考えてみると、人間は業力があり、神佛は慈悲なのです。「大覚者たちから見れば、人間になることは目的ではありません。人間の生命は人間になるためのものではなく、元に返るためのものです。人間はさまざまな苦しみに耐えていますが、大覚者はその苦しみが多ければ多いほど良く、債務が早く返済できるものと考えています」[3]と師父はおっしゃいました。
業を滅する形は様々で、他人にタダで飲み食いされることも業を消滅させる良い方法ではないかと悟りました。それで、私は気持ちが軽くなり、苦痛を感じなくなりました。 観念を変えた私は、必ず夫のことを変えなければならないという執着を無くすことができました。
悟ってから数時間後、夫が帰宅し、「今日は足を洗うためのお酒を飲んできた。暴力団をやめる」と言いました。夫が正しい道に戻ったのは、私が常人の方法で無理やり彼を変えたのではなく、私が内に向けて探し、自分の観念を変え、大法の中で修めることができたからです。大法によって心のバランスが取れ、外の環境も自然によくなりました。もし、私が自分の観念に固執して憤慨し続ければ、家族の対立が激化するのではないか? それが続けば迫害になるのではないでしょうか?
師父は「以前既に話しましたが、実は常人社会で起きた全ては今日においても、皆大法弟子の心によって促成されたのです」[4]とおっしゃいました。私の執着心は、常人の観念から生じるものです。宇宙の特性に反して内に向けて探さなかったがゆえに、トラブルが激化したり、事態が悪化したりするのでしょう。
以上、個人の修煉の悟りですが、法に則っていないところがあれば、同修の慈悲なるご指摘をお願いします。
注:
[1] 李洪志師父の経文:『長春輔導員法会での説法』
[2] 李洪志師父の詩:『洪吟』「衆生を広く済度する」
[3] 李洪志師父の著作:『轉法輪』
[4] 李洪志師父の著作:『各地での説法二』「二〇〇二年米国フィラデルフィア法会での説法」