文/日本の大法弟子
【明慧日本2021年5月20日】私は2014年に正式に法輪大法に入って修煉を始めました。『轉法輪』という素晴らしい本を手に入れてから、実際に大法の修煉に入るまでの過程は非常に長かったのです。悟りが鈍い私を見捨てず、見守って下さった師父に心から感謝します。
私は1992年3月に留学で日本に来ました。中国国内で大法が伝え出された時の盛況、1999年以降、法輪功が受けた残酷な迫害について、よく知りませんでした。
母は1996年に幸運にも大法に出会って修煉を始めました。かつて心臓病、椎間板ヘルニアを患ったことがあり、仕事中の事故で片方の目の視力がとても悪く、すべての症状が大法を修煉した後に徐々に消えて、健康になりました。それだけでなく、多くの法理が分かったため、性格も明るくなりました。母は知り合いに頼んで『轉法輪』を私に渡して、読むように電話で言い聞かせました。
当時、法輪功は病気を取り除いて体を鍛えるための良い気功だと思い、自分はまだ若くて健康で、気功をやる必要はないと思いました。断続的に『轉法輪』をめくったりもしましたが、真面目に読んでいないため内容が分からないまま長い年月が経ちました。2014年、私の人生に大きな悲劇が起きて、それをきっかけに大法の回天の力を目で見ることができ、大法の素晴らしさを讃嘆し、最も苦しい中で再び『轉法輪』を手に取りました。
私には2人の子供がいて、2人とも日本で生まれ育ちました。中国語を勉強させるために、2人を中国の学校に送りました。中国で一酸化炭素中毒が発生し、思いも寄らないことに2人が罹り、2014年3月20日の朝、救急車で搬送されました。救急車の中で長男はすでにバイタルサインがなくて、次男は息をしていませんが、バイタル症状がまだあったので病院に運ばれました。
病院で、一酸化炭素中毒の唯一の治療法は患者に高圧酸素を吸わせて、血液中の一酸化炭素を抜くことだと言われました。しかし次男は自発呼吸もできないため、病院側は打つ手がなくなりました。「ここにいるとこの子はきっと助からないので、早く他の病院に行ってみよう」と言われて、こうして絶望の中で某医科大学の付属病院にたどり着き、次男はICUに入れられて、口に呼吸管を入れて人工呼吸器で呼吸を維持していました。医者は「検査の結果、非常に深刻な中毒状態で、血液中の一酸化炭素濃度がとても高い。内臓、神経はすでに損傷していた可能性があり、蘇る可能性が非常に低い。特別な治療法はなく、気管を切開して肺に入った一酸化炭素を吸い出すのは唯一の方法だ。このようにして命は救えるが、患者は植物人間になる可能性が非常に高い」と言いました。長男はすでに亡くなったので、少しでも希望があれば次男を助けたくて、生きていれば、植物人間になっても助けたい、そう思って手術の同意書にサインしました。
その日は週末だったので、手術は翌週の月曜日に手配されました。長男を失った苦しみ、次男のための心労は私を苦しみの淵に落としました。日曜日、私の母が病院に駆けつけてきて、ICUでずっと次男の耳元で「法輪大法は素晴らしい、真・善・忍は素晴らしい......」と言って聞かせました。母が言っている時、次男の目玉が動いたことに私は気づきました。
それからしばらくして、次男は少し目を開け、涙が出ていました。翌朝、次男の意識が回復し、名前を呼ぶと反応してくれました。口の中にチューブが挿入されているため話すことができませんが、「手を動かしてみて」と言うと手を動かし、「足を動かしてみて」と言うと足を動かしました。「神に感謝したい」と思いました。医者も次男の様子を見て驚きました。気管切開手術を予定していたのですが、意識が回復したため、手術は必要なくなりました。
このように、危機一髪で次男は気管切開をせずに済みました。3日目になると、口の中のチューブを抜いて、鼻からチューブを挿入することになり、体を起こして座ることも話すこともできるようになり、まるで熟睡から目覚めたかのように、体に何の異変も見られません。そして、自分でトイレに行けるようになって、10日目にICUを出て一般病棟に入りました。
この病院で同じく一酸化炭素中毒で気管切開の手術をした20代の青年がいて、神経が損傷して廃人になりました。家族が着替えをしてあげる時、彼は痛みで苦しそうに叫びました。彼の悲鳴を聞いて、私の胸は張り裂けそうでした。同じように医者に「命が助かっても植物人間になる恐れが非常に高い」と診断された次男ですが、わずか数日で奇跡的に生還して、しかも元気はつらつで少しの後遺症も残っておらず、本当に奇跡としか言えません! 今、6年が経ち、次男は18歳になって、相変わらず健康です。
このような経験をしても、母が言った「法輪大法の李洪志先生がこの子を救って下さった」ことが、よく理解できませんでした。無神論に洗脳された私はこんな不思議なことは信じられませんが、しかしこれは自分の目で見たものなので、疑う余地もありません。病院側も「不思議な奇跡だ」と言っています。
長男を亡くした悲しみに浸っていた私には、母の言葉を考える気力がなくて、私は生死について考えるようになりました。なぜ良い人生だった15歳の少年がこのように亡くなったのか、死後の長男はどこに行ったのかを知りたくて、自責と悔いの気持ちが入り交じりながら私は佛教の本、精神世界に関する本、人間の死後の世界に関する本を読みましたが、何を探しているのか分かりませんでした。
その時、私自身も体調が悪くなって、泣くことによって頭痛が起こり、目の中に針が刺されているような激痛が走り、目もかすんで物が見え難くなり、視力がかなり落ちました。心身の二重の苦痛の中で法輪功を思い出し、母が法輪功を修煉した後の変化を思い出し、次男に起きた奇跡とは何かを知りたくなりました。それで、18年間本棚に置かれていた『轉法輪』を手に取りました。『轉法輪』は私に、人間は何のために生きているのか、なぜ人間は病気に罹り難に見舞われるかなどを理解させ、母の言った「これは普通の気功書ではない」という言葉の意味を理解させてくれました。こうして母に勧められて18年後に、私はやっと修煉に入りました。
(続く)