文/中国の大法弟子
【明慧日本2021年5月23日】
私の名前は春来と言います。今年で68歳になりますが、コンクリート工場で働いていました。法輪大法を修煉するまでは肝炎、胃炎など複数の病気を患っていました。毎日いろんな薬を飲んでは、酒を飲んでいつも喧嘩ばかりしていました。地元でも名の知れた悪者で、工場のものは思うままに家に持ってかえり、誰もこれを止めることができませんでした。家でも妻に暴力をふるい、夫婦関係も良くありませんでした。
大法を修煉してから、私が最初にやったことは工場から持ち返ったものをカートいっぱいに入れて工場に返すことでした。「これは以前工場から持ち返ったものです。今は法輪功を修煉し始めましたので良い人になることを目指します。工場に戻します。申し訳ありませんでした」というと、その場にいたみんなが親指を立てて、「法輪功って本当にすばらしい!春来が良い人になりました!」と喜んでくれました。
しかし、1999年7月に共産党江沢民政権が法輪功を迫害し始めてから、工場の元上司が私の家に立ち寄り、「公安局のものがまたあなたのことを聞きに来ました。暫くは身を隠したら?」「法輪功を修煉して良い人になったのに、全く公安局の人のやることは理不尽だ」と言ってくれました。この上司は、元々私への印象が悪いうえ、関わると面倒のため私に仕事を振ってくれませんでした。しかし法輪功を修煉してからトイレ掃除などの汚れ仕事はいずれも私が自らやりだしたのを見て私への態度が変わり、進んで私を守るようになりました。
2015年11月、私は三輪車で貨物の輸送をやっていました。ある日運転中に不注意に路肩に止めていた新しい高級乗用車にぶつけ小さなへこみを作り出しました。その場にいたほかの人に聞くと誰の車が分かりませんでした。隣にいた貨物の所有者が面倒になるのを恐れて「早くここを離れよう、誰も見ていないから問題ない」と言いました。
車の主人が見つからず、仕方なく先に貨物を届けました。それから私は車のところに戻り車のオーナーを探しましたが、夜になっても見つからなかったため先に家に帰りました。車があるから翌日にまだ探そうと思ったのです。しかし翌日行ってみると、止めていたはずの乗用車がなくなりました。その日の午後にもう一度行ってみても、車はありませんでした。三日目に行ってみると元々停車していた場所から20メートル離れたところにその車が止めていました。私は安堵のため息をして、やっと見つけた、と思いました。
ちょうどそのとき三輪車に友人を載せていました。「この車は私が先日にぶつけたところがあるので、ちょっと携帯番号と名前のメモ書きを置いてくるから待って」というと、友人は「そんなもの書いてどうする?誰も見ていないからいいじゃないか」というと、私は「私は法輪功を修煉してるから、人の車をぶつけて知らんぷりをするのは大法の教えに反するのでそんなことはできない」と言いました。友人を目的地に届けてから再び車のところにもどると、ちょうど遠くから二人が歩いてきていたので、「この車のオーナーの方ご存じですか?」と聞きます。「どうしたの?」と聞かれ、「車をぶつけました、オーナーさんと話をしたい」というと、「分かりました。電話します」と言って二人は電話し始めました。
電話しながら「どこをぶつけたの?」と聞かれ、「ここです。ちょうどここに先ほど描いたメモ書きがあります」と指をさすと、「今時こんな人いるのか」と電話の人がいいました。暫くすると車のオーナーがやってきて、私は「三日前にお宅の車をぶつけてしまいました。ここです」と話しました。オーナーはそれをみて「大丈夫ですよ。気にしないでください」と話した。その場にいた二人も「今日は珍しく良い爺さんに出会ったもんだ」と言いました。私は「私たち法輪功修煉者は誰だろうとこのようなことになったらみんなこのようにします」と言って少し弁償金を支払おうしたところオーナーはどうしても受け取ってくれませんでした。
その後この話を聞いた友人は「ばかかお前、もし高額の請求を要求されたらどうすんの」と言われましたが、私は「もし自分の車をぶつけられ、ぶつけた人が黙って逃げたらあなたはどう思う?」と答えました。
一緒に働いているほかの同僚がこのことを知ったとき、みんな私に親指を立てて「法輪大法は本当にすばらしいですね!」と言ってくれました。
これは、私が大法を修煉したからこそできたことであって、師父と大法が私を救ってくださいました。